過去の投稿2013年3月14日

3月10日

☆  受難節を過ごしています。キリストのご受難は、そのまま父なる神の苦しみであり、悲しみでもあります。私どもを守るために、主イエス・キリストが十字架に死んでくださいました。そして、ご復活されました。教会は、いにしえから、主イエスの十字架に至る歩みを想起し、黙想することによって信仰の深い養いと霊性を深めてまいりました。以前から少しずつ、イエズス会の創始者のイグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」を読んでいます。「霊操」とは、言わば魂・霊の「体操」のことです。受難節に入り、この「霊操」の深さを思わされます。イエスさまがあれほどまでに苦しまれ、死なれたのは、他ならない「このわたしの罪」のためであったと知ること。それ以外に、私どもの救いと聖化の歩みはありません。もとより、私どもの「霊操」の歩みを深めるためにイエズス会の伝統を採用する必要はありません。(もとより、そこからどれほど多くのことを学べるかは、言うまでもありませんが。)何よりも、カテキズム(信仰問答)を繰り返し読み、味わうことが、私どもの伝統であり、力です。

★  北海道を襲った暴風雪。53歳のお父さんがたった一人のお嬢さまを守ろうと自分の上着をかぶせ、覆いかぶさって、お亡くなりになられました。同い年だけに、心に残り続けています。奥さまを亡くされ、親娘二人の生活であったとのこと。遺された彼女の上に、父なる神の守りがあることを祈ります。たとい、両親を亡くされても、命がけで愛されたその愛は、彼女の中に残ります。彼女がその愛に包まれたまま成長されることを祈ります。そしていつか、父なる神の愛、御子イエスさまの愛を知ることができますように。

☆   先週の夜の祈祷会から、コーヒーブレイク聖書研究の司会を、わたしではなく委員が順番でするように致しました。司会者自身が、前もってテキスト(聖書個所)を読み、一定の下調べをすることが、強いられた恵みの学びとなるでしょう。また、そもそもこの聖書研究は、伝道のためのものですから、司会を、有志の皆さんで実際にしてみることこそ、大切です。改革された教会の霊性を深める道、それは、徹底的に聖書(御言葉)です。御言葉の黙想です。確かに、ひとりで、リジョイスを用いて、御言葉に聴き、祈り、主イエスとの交わり、神の愛の中に包まれる至福の時を、持つ事も大切です。しかし、兄弟姉妹と分かち合いながら・・・。これこそ、私ども教会に生きる者たちの特権です。

★  明日で、2年目の「3:11」が来ます。書こうとすれば、この欄に収まりません。あの日、名古屋もこれまで経験したことのない揺れを感じました。大地がゆるくしかし大きく揺さぶられました。嫌な予感もしました。しばらくして、二階にあがり、既に家内がつけていたテレビを見ました。なんと、津波が襲っている、リアルタイムの映像です。テレビの前に呆然たる思いで、いました。数日後、何とか、名古屋に住んでいるからこそできる支援の道を探りました。あれから早くも2年が経ちました。私の時間、関心の相当部分が、被災地ディアコニアに注がれたのは、明らかです。「ディアコニアに生きる教会」を目指した私どもとして、どうしても、そうすべきであると、確信しての事です。被災者の皆さんは、どれほどの涙を流されたのか、今も、乾いてはおられません。私どもですら・・・。  日本キリスト改革派教会は、現在、とりわけ二つのセンターに、世界の諸教会からの献金をも頂いて、支援と奉仕を継続、展開中です。東仙台教会ボランティアセンター、そしてのぞみセンターです。それぞれに有給スタッフが備えられています。また、李根培宣教師(仙台栄光伝道所)のチームによる陸前高田の仮設訪問も、すばらしい奉仕としてなされています。祈りと奉仕を続けたいと思います。

                           第11章 教会会議の一般原則
第61条(教全会議の議員) 教会は、正規の段階を持つ教会会議によって統治される。これらの教会会議の議員となり得る者は、教師と治会長老である。   
⇒教会の会議とは、長老(宣教長老=教師と治会長老)たちによる会議のことが明記されています。

第62条(教会会議の種別と役員) 教会会議は、小会・中会・大会である。各会議の役員は、議長と書記である。
 ⇒各個教会は、「執事会」を組織します。もとより、それもまた会議を開催します。しかし、執事会はあくまでも「教会の統治」に関わるのではなく、教会内外の奉仕の働きを整え、実行することが任務です。

第63条(議長) 議長は、政治規準の規則及び大会会議規則に従って会議を招集し、その秩序を維持し、すべての議事を適正かつ迅速に処理する一切の権能を有する。

第64条(書記) 書記は、会議の議事を注意深く記録し、その記録を保存しなければならない。書記の記録は会議で承認され、公的資料とされる。