過去の投稿2013年5月9日

5月5日

★  先週の読書会は、予想していたとおり、序論で終わりました。言葉(専門用語)の説明だけで、前へ進めませんでした。今回、このテキストを選んだ目的の一つは、かつて「信徒の手引き」草稿で、ディアコニアに生きる教会の姿を学びました。それらの神学的な背景を、春名長老の講演原稿を通して裏付けられたら・・・というものでした。中尾兄が、「自分は子どもカテキズムを学んで良かった。あれくらいがちょうどよいのに・・・」と。わたしは、「子どもカテキズムを学べば十分です。ただし、あのカテキズムの背景には、ウェストミンスター信仰告白や大教理問答やその他の神学的な議論が込められています。信徒の手引きの文章にも、これまでのディアコニアの学びの背景があるわけです・・・」とお答えしました。ただし、やはり教会全体の読書会としては、やり方に大変問題がありました。どなたか(わたし自身?)が、「要約」あるいは「図解」したプリントをつくって、専門的な領域に踏み込んでいる講演記録は読む必要があると思います。 申し上げたい事はただ一つ、どうぞ、今回のことで、読書会から足が遠のきませんように! お詫びしつつ、お願いいたします。

★  先週の委員会で、次回の読書会は、6月の伝道月間を踏まえて、皆さまとその直前の準備、伝道の実践について学び、懇談することが決議されました。次回は、一転、「実践」そのもののために、90分を用いたいと思います。いずれにしろ、「読書会」は、私どもの教会の主日午後の集会として、月一回の全体の学び会として、極めて重要な、数少ない集会ですから、これからも大切にしてまいりましょう。

☆   伝道所委員会は、朝夕の祈祷会で続けられた「コーヒーブレイク」の委員による司会を、止めることと致しました。これからは、なお、しばらくわたしが司会をして、共に聖書を学んでまいります。用意された設問を通して、出席者が自由に考えるところを「言いあう・・・」。「言いあう」というと、どこか無責任で、神の御言葉を解釈するという教会にとっては生命的に重要な事柄に、ふさわしくないというような思いが強いかもしれません。教会員には、信仰の歩みの長短の差があります。賜物の違いもあります。この差を、豊かな交わりとして積極的に捉えることができるかどうか、それが、教会形成にとって、重要なことです。学校の教室との違いがあります。神の御前の自覚があれば、私どもはまさに自由に、分かち合うことができます。もとより、聖霊は一つ、信仰は一つです。聖霊による自由は、最終的には一致へと導いて下さいます。そして、そこに御言葉の教師がいれば、自分で言うのもおこがましいですが、大船に乗ったつもりで、思うところを語ってくださればよいと思います。そして、それが間違いとか誤解であったときには、ただちに修正する謙遜があればよいのです。朝と夜の両方に出席された方は、「朝は元気でどんどん意見が出るようで、良いですね」と言われます。もとより、一日の仕事を終えて来られる兄弟姉妹方ですから、当然でしょう。

★  先週は、ヨハネによる福音書第9章の「生まれながらの盲人のいやし」の物語を読みました。実は、このテキストは、一年前の説教のテキストであったことを、朝の祈祷会をしている最中に思いだしました。説教を、覚えておられた方がいらっしゃったからです。しかし、多くの方は、忘れておられたようです。今回も改めて、このような、質問されることによって自分で「考え」、仲間の声を「聴き」、自ら「発言」することによって、御言葉がいよいよ理解され、心に沁み込んで来る事が、手に取るように分かります。そもそも、一般的な真理ですが、学習効果の面から言えば、単に先生のお話を聴くことと、このような問答方法とを比べれば、何倍もの効果があることは、広く知られていることと思います。それなら、教会は、何故、主日礼拝式において、2000年の間、「説教」に集中する伝統を変えないのでしょうか。(実際には、変える教会もあるのですが・・・)説教において、神は今そこで直に語られるからです。それを、信じるからです。ただし、説教は人間の言葉が用いられるわけですから、どうしても「教理=聖書の教えの全体と部分」の知識が、その共同体において共有されていなければなりません。家族でも学校でも会社でも、その共同体に所属している人であれば、理解しあえる言葉があるはずです。そもそも聖書そのものが、信仰共同体によって編まれたものです。ですから、共同体の言葉が分からなければ、読み解くことはできません。だからこそ、私どもは祈祷会や学び会を大切にするのです。それらは結局、説教を聴き取り、それに応答するためのものであると、言いきってもかまいません。

☆  自民党の憲法草案は、「革命」を起こすようなものです。立「憲」政治を破壊するものだからです。憲法を守る義務は、誰にあるのか・・・。この基本を、弁えない憲法草案なるもの・・・。恐るべき事態です。   
                                                    
★  第9回の被災地ディアコニアに出発します。今回は、昨年のゴールデンウィークの働きで、大変、好評でありました、子どもたちと思いっきり遊ぶことを中心にした奉仕の第二回目です。これが、私どもの黄金週間の「(主にある・聖なる)遊び」です。そのために、安全第一です。お祈りを心から感謝いたします。