過去の投稿2013年7月17日

7月14日

☆  本日は、子どもの教会のキャンプの出発礼拝式としても捧げています。一年に一度、主日礼拝式の時間を繰り上げさせて頂きました。これは、皆さまの深いご理解なしにはなしえません。そもそも、主日礼拝式は、私どもの教会員あるいは教会にかかわる求道者の皆さまのためだけのものではありません。教会は、この町に住むすべての人に開かれています。つまり、すべての人々のためのものでもあります。ですから、この時間をこのように変更するのは、まさに例外的なことと言わなければなりません。そして、それだけに私どもは、改めて主の日の恵み、礼拝式の特権をひろく、多くの方々に告げ広め、共にこの幸いにあずかれるようにとお招きする責任が与えられていることを思います。

☆  今回のキャンプは、中学生と高校生の契約の子らの参加がないことは、寂しい限りです。信仰告白の適齢期を迎えている子らと親のために祈ります。同時に、今回は、地域の子どもたちが大勢参加して下さいます。子どもの教会へと繋がることを祈りつつ、このキャンプを通して主なる神さまによる恵みの体験という教会でしか味わえない思い出がつくられることを祈ります。

★  先週の祈祷会から、「礼拝指針」の中から主日礼拝式について学びを始めました。前文をふしたウェストミンスター信仰規準と教会規程そして礼拝指針が教会の「憲法」を構成しています。祈祷会に出席できない皆さまも、ぜひ、お読みください。そして、「すべては主日礼拝式の充実のため」というように、礼拝式を重んじて来た私どもの歩みをさらに深め、そして、聖霊の力溢れる明るい教会の形成のためにこそ、主日礼拝式の祝福に生きてまいりましょう。

☆  夜の祈祷会で、「何故、【憲法】という言葉を、教会で用いるのか?」という問いを受けました。憲法は、立憲主義の常識では、国民が権力者(政府)の権力の濫用を阻止し、拘束するもの、縛るものです。(この立憲主義を根本から崩すねらいが自民党憲法草案に現れています。)しかし、教会の憲法の性質は、何より教会の一致、交わりに奉仕することです。何より、第一に信仰告白がなければ、教会の形成は成り立たないと主張するのが改革長老主義の教会の根本です。そして、この信仰告白(信条)とは、唯一の規範である聖書に規範される限り権威を有するものです。聖書の信仰の要約以外の信仰告白は、認められません。しかし、聖書をどのように読むのか、それを各自の自由に任せるなら、キリスト教もその教会も事実上崩壊します。その自由(ここでの自由とは、自分勝手なとかでたらめなという異端信仰を意味するものです)を「縛る」ものが、信仰告白です。その意味で、牧師と教会役員が任職、就職する際には憲法、信仰規準への「誓約」が求められます。会員に、「誓約」義務がないのは、彼らが、自分勝手に教会を治めさせないための規範として機能し、彼らを拘束するものだからです。ただし、言うまでもなく、牧師や役員への信頼と尊敬なしに、教会の交わり、(聖霊の力あふれる明るい教会)は成り立ちません。その点において、伝道所委員たちは、皆さまに深く感謝しつつ、その重い責任を覚えて、日々、歩んでいるわけです。

★  猛暑が続きます。厳しい暑さが続くことが予想されているようです。どうぞ、特に、年を重ねておられる皆さまには、積極的に冷房を利用しての体調管理をお願い致します。主の守りを祈っています。

☆  先週の月曜日は、第一回臨時会を欠席いたしました。実は朝から、腹痛がありました。しかも、持病である「結石」によるものです。尿管に詰まったりすれば、じっと忍耐などということはあり得ないのですが、鈍痛に悩まされました。しかし、火曜日には、当教会を会場にした大会教育委員会に出席できました。2011年の秋にも、病院に駆け込みましたが、今回は、そこまでの痛みではありませんでしたから、痛み止めで、石が体外へと排斥される「善き日」を待つ以外にないかと思います。いつ、結石が動き、悪さをするのか、予測がつきません。体質のようですから、いかんともしがたいわけですが、ここぞというときに、動かないようにと、願うのみです。