過去の投稿2014年1月26日

1月26日

★   総会準備の折、昨年の伝道所委員会の開催回数をあらためて確認しました。実に18回です。まことに驚くべき開催回数かと思います。教会設立を延期した「ことごと」に伴ってなされた対応によるものです。おそらく19年の歩みの中で、最も厳しい時を歩んで来たのだと思います。わたしの心にエフェソの信徒への手紙第6章の御言葉がこだまします。

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」

強くならなければなりません。もとより、それはただ主に依り頼むところにしか実現しません。主の偉大な力によって強く「される」という恵みの世界へと招かれているわけです。確かに悪魔は策略を練ります。彼らと地上のキリスト者・教会を比べれば、(悪)知恵も経験知も圧倒的に彼らの優位です。しかし、主の前には、その策略と勝利は限定的なものでしかありません。神は、最後の審判において決定的に滅ぼされます。そして今は、まことに神秘としか言いようがありませんが、その戦いへ私どもを招き入れられます。それは、共に勝利に与らせて下さる御心です。

私どもは、日々「悪より救い出したまへ」と主の祈りで祈ります。毎日、主イエスへと逃げ込ませていただいているわけです。悪魔の攻撃や誘惑から助けだされているのです。今、いよいよ教会設立を目前にしています。ヨシュア記になぞらえるなら、主は約束の地へと導き、それを「獲得」するようにと私どもを祝福していてくださいます。設立後、そして20周年を記念する私どもの「取るべき地」はいよいよ大きいのだと思います。もとより、それは単なる「領土」を意味していません。御国の前進のことです。総会で、志を新たにして、出発いたしましょう。

☆  昨年のことごと、伝道の面から言ってもまた痛恨事でした。洗礼入会者がひとりも与えられなかったことは、第一には、牧師の責任であることを自ら思います。先日、敬愛するひとりの牧師からお便りを頂きました。降誕祭において5名の方々が洗礼を受けたとの嬉しいニュースでした。地方の教会です。岩の上の歴史の中で、一度に5名の受洗者はありません。また、この数年、日本キリスト改革派教会の中では、一度に複数の方々が洗礼を受けたというニュースを聞くことが、珍しくなりました。召しを受けた者として、まことに主の前に赦しを請う者です。土地取得、会堂建築の時ですら、伝道を後回しにすることが決してないようにとの思いの中で過ごしました。実際に建築に伴う業者の方との出会いの中で、ひとりの兄弟が洗礼に導かれたのでした。教会設立を実現すること、それは、いよいよ伝道的な教会として整えられることを意味します。しかしその過程で、伝道の進展がなされなかったことは、私どもの悲しみであり痛みです。しかし、いよいよ設立式は目前です。感謝なことには、すでに洗礼入会を目指して学んでいる求道の友も起こされています。先週の礼拝式には、6名もの未受洗者が出席されました。決算報告も、予算が満たされたことが報告されました。厳しい試練の年でありながら、これらの様々な出来事の中に、祝福された、将来に備えるときとしてくださる主の摂理のお働きを信じ認めます。主イエスがどれほど名古屋岩の上教会を愛していて下さるかを、しみじみとまた熱く思わされています。

★  安倍首相の危険な「火遊び」がエスカレートしています。この国(この国に生きる市民)を、自分の思想実現の道具のように見なしているのでしょうか。ただし問題は、それを支持する国民がなお多数であることです。先週、ネット上で、親しい友人牧師が朝日新聞「声」欄に投稿(12月12日)しているのを知りました。「戦前にもどりつつあるのは、国民でもあるという自覚が必要」との主張に、全く同感します。私どもの信仰と伝道の戦いは、このニ方向にある以上、いよいよ厳しいものとなることは必定かと思います。しかし今こそ、私どもの責任を果たすべきです。