過去の投稿2014年2月10日

2月9日

★  先週は、浜松伝道所の会員総会を恵みの内に終えることができました。礼拝式後、ほとんどどなたとも挨拶することもできず、車に飛び乗り、鳴海駅の階段をまさに駆け昇って、ギリギリ間にあいました。総会は、2時30分~3時50分まで、予定より少し早く閉会することができました。昨年までの総会は、折りたたみテーブルを四本くっつけて並べて行いましたが、今年は、真ん中を空けてテーブルを大きく囲むようにして満席の状態です。望月先生のご奉仕もなお最低1年間、延長して頂けます。神の摂理、祝福を思い、浜松の会員一同、心から感謝し、神への献身を深めておられます。

☆  先週の祈祷会での礼拝指針の学びは、「幼児洗礼」の前半でした。実は、先週の浜松伝道所委員会の折、ひとりの委員より幼児洗礼の志願書をお受けいたしました。その兄弟姉妹には、1月に第三子が与えられました。それを機に、三人のお子さまたち全員に洗礼を、との申し出でした。これほど、嬉しいことはありません。何故、キリスト者のカップルにもかかわらずすぐにできなかったのか・・・、その背後には、ご家庭の事情がありました。しかし、今回、それを乗り越えて、主の導きと招きに従う道を選びとられたのです。状況が変わったからではなく、御夫妻の信仰の決意に基づくものだと思います。
  53条には「親の義務と特権」とあります。幼児洗礼を授けること、神の契約の約束を求めることは親の「義務」と記されています。実は、「子どもカテキズム」には、その表現を記していません。それは、現実に当時の私どもの教会の中で、洗礼を授けることがかなわない会員の事実があったこと、その方々への牧会的な配慮を熟慮しての表現でした。「キリスト者の子どもは、恵みの契約によって、教会の中に入れられていますから、洗礼を施します。」絶対的なこと、義務との表現はありません。これは、改革教会の教理にとって看過できないものと言われれば、そうかもしれません。しかし、今でもわたし自身の姿勢に変更はありません。タダシ、「義務」という言葉の中に、まさに「特権」を見ることができると思います。先週の説教で、ご復活の前の主イエスには、家族伝道が実っていなかった事実を見ながら、ご復活後には、見事に母と弟妹たちが主イエスの忠実な弟子となり、イエスさまを主また神と信じて、従う者に変えられていた事実を見ました。主イエスが、肉の家族の救いをどれほど願っていらっしゃったのかをまざまざと物語る出来事でした。それは同時に、私どもの家族の救いを主イエスが、そして父なる神がどれほど真剣に願って、果たそうとしておられるのかということです。いずれにしろ、私どもは、契約の子らが教会員であることを当然ながら信じ、それだけに、彼らに注がれた神の絶大な恵みを教え、一日も早く聖餐の食卓に連なれるように、信仰の養育に励みましょう。そのために、「心を合わせ」「熱心に」「祈り」続けてまいりたいと思います。

★  先週、突然、東北ヘルプ(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク)の実務の長でいらっしゃる川上直哉牧師からお電話を頂きました。次主日の夜の祈祷会には、川上先生から東北の現状、そして東北ヘルプのこと、何よりもフクシマのこと、私どもがお手伝いさせていただいている後藤一子先生のご奉仕に関することごとを30~40分で分かち合っていただくこととなりました。夜の祈祷会はほぼ固定メンバーで12名程ですが、次主日は、朝のメンバーの皆さまには、できれば夜にもお出かけ下さり、また何より、普段、出席できない方は、今から準備をしてくださって、ひとりでも多くの方と共に被災地のために、そこで奉仕するキリスト者、教会の皆さんを覚えて祈りの時が持てればと願います。もうすぐ、発災3年となります。東北、とりわけフクシマの課題を、教会としても担う責任、そして覚悟をいよいよ定めてまいりましょう。

☆  のぞみセンターの手づくりケーキの奉仕のアッピールがありました。負担にならない程度に、しかし、ある深い思いを持って、出来る方は、率先して応答してくださると感謝です。

★  先週の委員の自主勉強会は、○○委員の主導でとてもよい学びがなされたと伺いました。いよいよ、試問会も間近です。候補者、ひとりひとりが、改めて召命、そして教理と政治に対する基本的な学び、霊性の涵養、仕え人としての姿勢を見つめ直しておられます。彼らのために、祈りましょう。

☆  今日の特別の読書会は、委員だけではまったくなく、全員が出席されますようにと願います。

★  姉妹会の皆さまに頼ることになりますが、記念品(押し花のしおり)作成 もよろしくお願い致します。

☆  冬季オリンピック開催と雪景色。皆様の教会までの足元が守られますように。