過去の投稿2003年12月24日

恵みを受けて 30代女性

主イエス・キリストの御名を賛美申し上げます。
私は、キリスト教系大学で聖書と出会いました。当時、「私は信仰が必要なほど弱くないし、何かを真剣に信じるなんて恥ずかしい。」と考えていました。しかし、この時期に、自分でも気付かぬまま、神様への憧れが心に芽生えていたのです。

私は幼い頃から家族や友人に恵まれていたにも関わらず、漠然とした不安感・孤独感を抱えながら、かりそめの楽しさや忙しさに心を紛らせて生きてきました。しかし、就職、結婚、出産、両親の病気などを通して、逃げられない苦しい出来事が多くなり、自分の心の空洞に目を向けるしかなくなりました。そして、私は心の空洞を周囲の人と常に完全に理解し合い、赦し合うことによって埋めようとしていたことに気付きました。そのような人間関係を築くのは不可能であるので、私はその時々の感情や変わりやすい価値基準で相手や自分自身を裁き、傷つけ、周囲の人も自分をも深く愛することが出来ませんでした。「どんなに努力しても人間同士は分かり合えない。自分の心の問題を人に頼らず自分で解決しなければ、周囲の人も自分も愛せない。」と考えるようになりました。しかし、どうすれば良いのか分からず、言いしれぬ絶望感に襲われました。

このように苦しかった数年間、時折、学生時代の礼拝を思い起こしました。それは、まるで私の心に点った小さな灯火のように消えることはなく、教会に行きたいという思いは、年々強くなりました。けれど、どうしても教会に行けませんでした。しかし、突然、転機は訪れました。1年半前、夫の転勤で越してきたマンションでキリスト者の女性に出会いました。それまで、あまり人に話さなかった両親の病気を、なぜか彼女には話し、彼女は遠慮がちに「私の言葉ではあなたを慰められない。聖書には本当の慰めがある。」とおっしゃいました。その時、彼女が人は人を完全に慰められないということを、信仰をもって知っておられることに驚きました。彼女の確信とは何なのだろう、彼女のお母様が貸して下さった三浦綾子氏の数冊の著作に著されている信仰とは何だろうと考えさせられました。そんなある日、彼女の2才のお嬢さんが「きょうかいにいったの。」と、あどけない笑顔で話しかけてくれた時、彼女に「教会に行ってみたいのだけど。」とようやく言えました。
それでも教会に行き始めた頃は、「今思いつくのはキリスト教だけれども、何でもいいから、心の空洞を埋めるものが欲しい。」と思っていました。でも信仰を持つのは容易ではないとも思っていました。学生時代に多くの御言葉に囲まれていたにも関わらず、信じられませんでしたし、教会に行こうと何度か真剣に考えた時も、「私に根付いている仏教や神々を捨ててまで、キリスト教を信じられるわけがない。たとえクリスチャンになったとしても、家族に嫌がられたくない。」と思っていましたから。しかし、岩の上教会でたった一度の礼拝とたった一度の学び会を経て、「あっさりと」信じられたのです。信仰は自分で持てるものではなく、神様から与えられるのだと実感しました。

今、学生時代に聞いていた御言葉を再び聞くことがありますが、当時は通り過ぎていた御言葉に、涙し、心洗われ、喜びを感じています。それらの一つ、最初の学び会で先生が説いて下さったこの御言葉で私は信仰の目を与えられました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネによる福音書15章16節)この御言葉を聞いた時、「もう自分でどうにかしようともがかなくてもいい。神様はこんなにも心貧しい私を全てご存知の上で、それでもなお私を憐れみ、愛してくださるのだ。」と思いました。そして、不安と孤独に怯えていた私は死に、神様の完全な尽きることのない愛によって心の飢え・渇きが満たされた新しい私に生まれ変わりました。私は神様を仰ごうとしなかった大きな罪により、人間を身勝手に裁くという罪も重ね、罪の連鎖の泥沼に惨めにもがいていました。私の罪を全て贖って十字架につかれた主イエス・キリスト、御自分の何の罪もない御子を犠牲にしてまで、私を憐れんでくださった神様に賛美と感謝を捧げます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)神様がそこまで愛し抜いて下さる人間を自分も含めて愛することができるようになりたい、でもそれは不完全な私が自分で出来ることではなく、常に祈り、導かれるまま従っていかなければならないと思っています。

しかし、信仰を与えられた当時、自分が救われたことは実感できましたが、「祈り」とは何か分かりませんでした。その頃、父の病状が悪くなる一方で、父のために何もできないと自分を責めていました。そんな私に、牧師婦人が明るく力強く「祈ることはできるじゃないですか。」と言われました。なぜそこまで断言されるのか不思議でした。先生と学びを重ねるうちに、祈ることの大切さが分かり始め、初めて声に出して祈りを捧げたとき、自分のためだけでなく、父のため、父の病に悩み苦しむ家族のため、心から祈ることができました。この時、神様が常に呼びかけて下さっていること、聖霊がともにいてくださることが感動とともに初めて実感できました。しかし父の意識が激しく混濁するようになり、私はそんな父を混乱させるのではないかと怯え、父の枕元で祈ることすらもできないままで、父は亡くなりました。私が家族にうまく説明できなかったため、先生が父の病床に来て下さることも叶いませんでした。家族と分かり合えない辛さから逃げ出したい気持ち、家族を責める気持ちも強くなり、そのような本当に罪深い自分を疎ましく思いました。それでも、地上では先生と兄弟姉妹が、天上では主イエス・キリストがとりなし祈ってくださることによって、信仰の歩みが支えられています。以前、家族に「信仰の押しつけはやめてほしい」と言われ、随分悩みましたが、今は聖霊がともにいて下さり、このような心貧しい私でも家族のために用いて頂けたらと祈っています。ようやく「祈り」とは何か、ほんの少しですが分かってきました。そして「祈り」がきかれていることも、私と息子が受洗できること、母の病状が奇跡的に安定していること、この短い信仰生活の中で私が何度も新しくされていることなどで強く実感しています。また、私の思いなどをはるかに越えて、今も主のご計画がなされていることを感謝とともに覚えています。

今、こうして全てが整えられ、受洗できます。この教会に導いて下さった友人親子、熱心に御言葉を説いて下さる先生、祈りを捧げて下さっている兄弟姉妹に、心から感謝しています。

これから、この教会に枝としてつながれることを心から喜び感謝し、兄弟姉妹とともに御言葉を正しく理解し、従っていけるよう、そして怠惰で高慢なこの私が常に祈りとともにあることができるようにと祈っています。今の私には背負う十字架が何であるか具体的には分かりません。ただひたすら祈り続けることが、今の私の十字架だと思っています。祈り続ける中で、いつか私の十字架が具体的にはっきりと示されるのではないかと思っています。その時には、しっかりと十字架を担っていけるよう、神様に用いていただけるよう、いつも喜び、祈り、感謝しつつ、聖書を携えて歩んでいきたいです。  主にありて