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 「私たちの『エルサレム』の確立を目指して -中会形成を目指して歩む我々の課題-」

 「私たちの『エルサレム』の確立を目指して
               -中会形成を目指して歩む我々の課題-」

使徒言行録 第15章1節~6節

      2003年3月21日 日本キリスト改革派教会 春日井教会
   
 お話しを始めさせていただく前に、何よりも、皆様にお礼と感謝を申し上げます。今週、遂に、新しい教会堂で第一回の礼拝式を捧げました。中会の諸教会から1000万円募金の予約は、先週、ついに1000万円を越えたと報告を頂きました。また、名古屋岩の上伝道所が責任を持って行いました、300万円募金は、680万円余りを捧げていただきました。取得委員会が立てられた総予算は、6800万円でした。しかしながら現実には、それを1000万円近く越えるほどの支出となりました。しかし、大会募金と新たな教会での献金、教会債で何とか、赤字を出さずに済むと思います。まことに夢のような思いで、おります。皆様のお祈りに心から感謝申し上げます。

さて、大切な総会の折に、小さな者が講演を依頼されました。長老の皆様には、名古屋岩の上伝道所のために、特にこの度の会堂建築のために尊いお祈りと献げ物とを戴いておりますので、また、御言葉の奉仕の依頼は断らないというポリシーを持っておりますので、お引き受けいたしました。しかしながら今回は、特に、幾つかの講演の準備が重なりましたし、何よりも、引越しという大きな課題もありました。また、依頼をお受けしたのも、2ヶ月前でしたから、きちんと準備する暇がありませんでした。ただし、時間があっても、自分の能力の問題から、お話する内容は、おそらく同じようなことであったと思います。
 
皆様のなかで、私がさせて頂きました中部中会の諸集会でのお話、あるいは連合長老会ニュースなどの原稿を、もしも、複数回聞いたり、読んだりしてくださった方は、もしかすると既に気づいておられるかもしれません。それは、中部中会で発言、主張している内容は、本質的には同じ事柄であると言うことであります。それを標語のように言いあらわしてみますと、「中会なくして教会なし」・「中会が教会である」・「中会形成と各個教会の形成は一つのこと」このような事柄となります。
 そのような私の言わば神学的な主張、理解を最初に公にさせて頂きましたのは、中部中会40周年記念信徒大会の分科会でありました。その原稿は、そのまま、記録誌にとどめていただいておりますので、結論を申し上げれば、私の理解、中部中会への問題意識は今でもあの時のままであります。今日のお話しもまったく同じであります。
  加入の前に、わたしは個人的には相当苦しみました。加入を延期することを教会に申し出たほどでした。しかし、現実には、加入決議の総会をわずかに遅らせただけで、無事に加入させていただきました。その折に抱いておりました中会への問題意識は、正直に申しますと、さらに深刻さを増してしまいました。昨年の中会の会議のなかで、「戒規」に関する問題が二つ生じました。一つ一つは実に大変重要な課題であります。これは全く個人的な認識ではありますが、その聖書的な、信仰的な扱いを私どもは間違ったのではないか、と受け止めております。
既に昨年のこととなりましたが、私の出身神学校とその母胎となっている日本ホーリネス教団の教育局主催の牧師の集まりでお話する機会が与えられました。またこれはつい先月のことですが、私の出身教会の日本キリスト教団の役員・信徒研修会の集りでお話をさせていただきました。ホーリネスでの主題は「教会の自律」ということでした。教団での主題は、「聖餐と教会」というものでした。その二つは全く違う内容ですが、しかし要するに、そこで何をしたのか、何をしたかったのかと申しますと、私ども日本キリスト改革派教会創立宣言において内外に言い表した教会形成の筋道こそ、この日本における真の教会の形成と伝道において最善の筋道である、皆さんもこの道を共に歩もうではないかという事であります。二つの集会を終えて、ぐったり疲れました。今後二度と呼ばれる事がなくても、私どもに与えられた、この伝統、歴史的教会の遺産を正しく継承することがどれほど大きな恵みであるかを、喜びと感謝、誇りと使命感、勇気をもって、愛をもって語ったつもりであります。これからも、求められなら、ますます改革派の主張を大胆にさせていただきたいと思っております。
そしてそれゆえにこそ、わたしにとりまして、中部中会がキリストの教会として健全に進展、形成されることがなければ、笑われてしまいます。何よりも、仕えております、名古屋岩の上伝道所が健やかな歩みをして、教会形成の実りを表す事がなければ、まったく物笑いとなってしまいます。どうしても、改革・長老教会こそ、もっともキリストの主権を明らかにすることができ、伝道においてもっとも有効な実りをあらわずことができることを証明して見せなければならないと考えております。もとより、このような志は、一人わたしだけのものとは考えておりません。他の教師たちも基本的に同じであろうと信じます。また、皆様もそのような強い意識をもっておられることと考えております。

さて、伝道者、説教者は「言葉」に命を懸けます。特に、開拓伝道者は、「言葉」に賭けています。言うまでもなく、御言葉の教師は、説教者として神の言葉の説教によって、伝道し、選びの民を救いに導き、養い、整え、教会を形成するのです。伝道者に必要な確信は、生ける神の言葉はそこで語られ、聴かれたら必ず出来事になること、空しく地に落ちないことへの確信であります。イザヤ書第55章10~11節にこうある通りであります。「雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」
 しかしながら、この力ある言葉が出来事になるまで、しばしば時間がかかります。そこに忍耐と信仰が求められます。名古屋岩の上伝道所において語り続けて、10年目を迎えて、キリストの体なる教会として目に見える「形」が現われはじめております。しかも教会堂という目に見える器すら与えられました。福音を語り続けることのすばらしさと約束の確かさが身に染みております。
 日本キリスト改革派教会は、創立宣言において標榜した教会形成の筋道を堅持し、これを何度も何度も、繰り返し宣言し、自らに言い聞かせ、この宣言が借り物ではなく、まさに牧師ひとりひとり、長老ひとりひとりの自分の言葉になるまで、実現のために言い聞かせることが大切なのではないでしょうか。

ルカ文書・使徒言行録 
真に長い前置きとなりました。今回は、既に他の集会でお話させていただいたことを、もう3年も昔になりますが、日本キリスト改革派教会加入を考える契機ともなった聖書の信仰について最初に学びたいと思います。それは、使徒言行録における二つの神学的なメッセージ、二つのベクトル、力の方向性についてであります。
 私共が、教会の聖書的なルーツを探る上でもっとも重要となる文書の一つは、「ルカ文書」であります。ルカによって著された福音書と使徒言行録であります。ルカ文書は、新約聖書の中で、「歴史書」の役割を担わされているからであります。榊原康夫先生は「ルカが新約聖書のなかで、決定的に重要な文書をものしたことは、ルカ文書だけが、新約聖書27巻のうちで正しい意味での唯一の歴史書であるという事実から知られる。もしキリスト教が歴史的宗教であるとするならば、ルカ文書なしに新約聖書はこの宗教の経典として必要な土台を提供することはなかったであろう」(いのちのことば社、新聖書注解新約2「ルカ文書の意義と神学」)と仰っています。
 ルカによる福音書には、「エルサレム」という地名が31箇所、使徒言行録には60箇所でてまいります。ルカ文書における「エルサレム」の使用は新約聖書全体の実に3分の2に相当致します。ルカによる福音書において、主イエスの復活が顕現された場所はエルサレムであります。その主イエスは弟子たちに、エルサレムから離れるなと仰っいます。(使徒言行録1:4)十字架・復活・聖霊降臨(つまり教会形成)はエルサレムで起こり、伝道も実にエルサレムから始められます。つまり、エルサレムが救済の歴史の中心として位置づけられているのであります。端的に申して、ルカの主張は、エルサレム教会と結びつかない教会・伝道者・福音の内容等は正統ではないということになるのであります。このルカの神学をある聖書学者は「エルサレム中心主義」と申します。
 さて、同時に使徒言行録を素朴に読めば、すぐに気づく特徴は、福音が世界に宣教されて行く過程を記した文書であるということであります。マタイは主イエスの「異邦人の道に行ってはならない。またサマリア人の町に入ってはならない。むしろイスラエルの家の失われた羊のところは行きなさい。」(10:6)、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」(15:24 )との言葉を記しました。それに対し、ルカは、使徒言行録で「あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1:8 )との言葉を記しています。そして、この言葉を骨格にして、使徒言行録は構成されているのであります。(1~7章、エルサレムまでの福音伝道・8~9章、ユダヤとサマリアまでの福音伝道・10~28章、地の果てまでの福音伝道)つまり、キリストの使徒団、弟子集団がエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、そればかりか地の果てに至るまで、キリストの証人となって行く過程を記すのであります。つまり、真の福音、使徒的な福音というのは、その内容は勿論のこと、その内容に規定されて、全世界への福音伝道という「行動」をもたらすものであることを証しているのであります。つまり、真正の使徒的福音とは言わば「世界宣教主義」というあり方をもたらすと言うメッセージが、ルカのメッセージなのであります。
(このようなとらえ方は、日本キリスト改革派教会の創立宣言が、「一つ信仰告白」と「一つ教会政治」によってのみ教会の形成を考えたのではなくそれに付け加えて、「一つ善き生活」を標榜したことと同じ神学的理解があるかと思います。つまり、真の福音は、信じる者の生活に現れ出るし、現れ出なければならない、福音は単なる思想ではなく必ず福音的存在を生み出すという理解があるのであります。言い換えれば、使徒的福音・教会とは「教えの使徒性」のみではなく、「生き方も使徒に倣う」ものとなる教会ということであります。これは、改革長老教会のあり方を極めて徹底させたものかと思います。この面ではルター派の教会理解とは全く一線を引いています。)
「世界宣教主義」という主張は、使徒言行録を単純に読むだけですぐ分かりますし、これまで多くの方々がこの書を根拠に宣教の動機を語って参りましたから使徒言行録を世界宣教を語るテキストとして取り上げられる事が多いかと思います。その意味で最初に申した、「エルサレム中心主義」と言う事は、実際分かりにくい事でありますし、頷かない方々もおられます。

 さて、使徒たちが最初にエルサレム中心主義ともいえる行動をとるのは、8章14節です。ピリポがサマリアの町に入って行き、サマリア人が福音を信じたということを聞かされたエルサレムにいた使徒団はペトロとヨハネとをサマリアに遣わします。このことは、エルサレム教会こそが、(そこは、使徒たちのいた「座」であります。ここからローマ・カトリック教会が司教座、ローマの教皇座という考え方を持つ・・・)福音が宣教されて行くことを監督し、それが使徒的福音と合致したものであるかどうかを判定する、義務と権威を有することを明らかにしようとしていることであります。
 
この線上にある第二の出来事が、第11章22節です。ここでは、無名の弟子たちが海外宣教の最初の担い手となり、アンティオキアで御言葉を語ったのであります。それによって大勢の人が信じます。これにたいして、すぐにエルサレム教会はバルナバを遣わします。ここでも彼らは、「使徒的宣教」がなされているかどうかを「査察」しているのであります。真正な福音であるかどうかの確認と承認の担い手はまさにエルサレム教会にあり、使徒団にあるのであります。アンティオキアの教会は、自らが使徒たちの教え、使徒伝来の福音に則った教会、真のイエス・キリストの教会であるか否かを、エルサレム教会との関係、交わりにおいて確認することが許されるのであります。そうであれば、彼らの客観的な救いを確保し、確証する、自負することが許されるのは、エルサレム教会との正しい関係、交わりがあるからであるという事になります。 
このことがさらに明らかにされるのは、11章27~30節においてです。アガボという預言者がエルサレムから来て、世界中に大飢饉が起こると言いました。それがクラウディウス帝の時に現実に起こります。そこで、アンティオキアの教会は、ユダヤに住む兄弟たちに援助物資を届けます。この行為によってアンティオキア教会が、あのエルサレム教会が互いに物質的な責任を負い合い、分かち合っていることを模範として受け入れていたと言うことが言えると思います。(2:44~45「一切のものを共有にし」)つまりその意味でもエルサレム教会との相似性、使徒的模範に従う姿を示そうとしていると考えられます。しかし、そこで何よりも大切なことは、エルサレム教会に物資を送ること、それをエルサレム教会が正規に受納すると言うことは献金を受け入れられたアンティオキア教会にとっては、自らの使徒性、正統性の証しにもなった事であります。このように申しますと、現代の感覚から言えば、上納金を納めさせられるようで抵抗があるかもしれません。しかし、機関紙「改革派中部」2000年2月号の巻頭言で中根牧師が、「共に一つキリストの体に連なる喜びと感謝を味わいつつ、予算を担いあい祈り会うなら、『負担感』ではなく、『一体感』を覚えることができるでしょう。そしてそれこそ、『唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会』ニケヤ信条の体現です。」と記しておられました。この中根先生の仰っる通りの理解が、アンティオキアの教会にあったと信じる者であります。
  ただ、消極的に言えば、エルサレム教会はこれによって異邦人教会への監督的地位を承認させているということも事実であります。この論拠は、世界中に及んだであろう大飢饉に対して、支援先はエルサレム教会に限定されていることであります。(エルサレムのキリスト者は、どの教会よりも厳しい信仰の戦いを強いられていることを覚えたいと思います。ユダヤの社会の直中で、キリスト者であることは職場を失うことを意味しているのですから!)この行為をルカが記したことは、単純に、愛の業を行ったアンティオキア教会であったと伝えるという事を越えた深い意図があるのであります。
 
第三にエルサレム中心主義が判然とさせられるのは、9章26~30節です。この章には、異邦人の使徒たるパウロの回心が記され、そしてパウロの回心(=救いと使命)の正統性、使徒性がエルサレム教会との交わりにおいて確証されたことが記されています。(勿論、パウロの回心、召命、使徒的権威は復活のキリストに根ざしています。ただそこには必ず、エルサレム教会の追認も求められるのです。それがここで確認されているのであります。ちなみに、「教会規定」の第十八章百十六条(召命の教理)はまさにこの事と相即しています。)ここでは、12使徒の優位性が示されています。そしてこれは、エルサレムの重要性が12使徒たちの座であることを示唆しております。(使徒言行録はパウロの回心記録を三度記す。①→ ②→ ③という自己証言のなかで、①はアナニアとエルサレムの関与、②はアナニアのみの関与、③は人間的関与は語られずキリストのみ。①の人間的関与があったことは確実。しかし、本質はキリストの召命。この相互関係、緊張関係が教会形成、ひいてはキリスト教にとって極めて大切。形式主義と熱狂主義・・。)

 第四にエルサレム中心主義が判然とさせられるのは、第10章と11章1~18節における使徒ペトロと異邦人でありながら、神を畏れ信仰心あついコルネリウスとの出会いの物語です。神は、コルネリウスの救いの奉仕者としてペトロを用いることを通して彼に、「異邦人伝道への御心」を示されました。しかも、この救いの出来事も、ペトロとコルネリウスだけの個人的な事件にしていません。ペトロはエルサレムに報告するのであります。そして、その報告を受けてエルサレムの教会はこれを聖霊の御業として承認し、神を賛美したのです。このように、原始教会にとって、歴史的転換点には、エルサレム教会の確認と承認が求められるのであります。
 
最後に、決定的にエルサレム中心主義が明らかになる一大事件は、15章のエルサレム会議であります。キリスト者と割礼、福音と律法との関係が教会において明確化されるために、パウロとバルナバはエルサレムに上らねばなりませんでした。それは、使徒的福音とは何かを決定する最高の機関が他のどこでも、また誰にでもなく、まさにエルサレム教会、使徒団にあるということの確かな証拠となっているのであります。エルサレム教会、使徒団こそ、今や地上のキリストの権威の担い手、権威の所在なのであります。
 この線上に、18章22節、21章17~26節もあります。即ち、エルサレム会議がパウロの第一次伝道旅行の最終的結果報告としての役割を担わされ(アンティオキアから出発したのであるから、本来的にはエルサレムに報告する義務はないはずであります。)第二次伝道旅行の結果報告もエルサレムでなされ、第三次伝道旅行の結果報告も、エルサレムでなされるのであります。
 このように、使徒言行録におけるパウロは、徹底的にエルサレムとの結びつきにこだわるのであります。繰り返しますが、エルサレム教会、使徒団こそ、使徒的教え(福音)・使徒的教会の『規準』であり、規範であり、権威の所在なのであります。原始教会は、エルサレム教会と何らかの意味で結びつかないかぎり、自らをキリストの教会と標榜することは出来ないのであります。使徒言行録は、最初の教会の形成期、その確立の基礎造りを整える上で、何よりも「エルサレム中心主義」を明瞭にする事を目指し、それによって、異端との闘争に道筋をつけることにあずかって決定的な力となったのであります。初代の教会の形成のために、ひいては、すべての時代のキリストの、真の教会の形成のために使徒言行録が、どれほど重要な文書となっているか、以上のことから明らかであります。
       
エルサレム中心主義と世界宣教主義の相互関係 
使徒言行録のこの二つの主張は、相互に緊張関係を強います。前者は、福音の「内容」の正統性に、使徒的福音の本質を見る方向性をもっています。後者は福音の内容だけではなく受容したキリスト者のあり方、宣教に生きると言う「生き方」の中に、使徒的福音の本質を見る方向性を持つからであります。前者はどちらかと言えば静的、知的、認識的、客観的であるのに対して、後者は動的、行動的、実戦的、主観的と区分することも出来るかもしれません。
 しかし、この両者の関係を考えるときに根本的に大切なことは、エルサレム中心主義のその方向性であります。これなくしてキリスト教とは何であるか、福音の規準は何か、教会の教会たるゆえんは何にあるのか等々、本質的なことは何一つ整わないからであります。使徒言行録だけをとりあげても、明らかなことはエルサレム中心主義の優位性であります。
 エルサレム中心主義は、ある時には、世界宣教主義の足かせになることもあるでしょう。いちいち、エルサレムへの報告などしていられない、宣教の現場は緊急であり、即時応答性が損なわれるなら、宣教の前進が阻害されることがあるというのは本当のことかと思います。
 しかし、同時に覚えたいことがあります。その根本的に大切なエルサレム中心主義も、世界宣教主義によって、改変されざるをえなかったことであります。即ち、教会が世界大に進展してゆく中で、一地方であるエルサレムは相対化されて行かざるをえなくなって行ったのであります。しかも、やがて使徒たちが天に召されてからは、加速度的にエルサレムの全教会における重みは減じて行きます。アンティオキアの教会に人的に、経済的に乗り越えられてまいります。これは、良い悪いではなく、当然の事であります。

 現代の『エルサレム』(エルサレム普遍主義)=『正典・信条・職務制度』 
そこで、教会が聖霊によってこの問題を解決し、克服するように導かれるのであります。一時代のみに通用する「エルサレム」ではなく、主イエスの再臨まで通用する『エルサレム』が求められるのであります。聖書学者は、使徒言行録のエルサレム中心主義と申しましたが、教義学的に申しますと、「エルサレム普遍主義」とでもなるかと思います。つまり、キリスト教の権威の座、キリストの主権を証し、これを担い、継承する『器』の事であります。これを『伝統・制度』と呼べると思います。即ち『正典・信条・職務制度』であります。これが教会の成立に不可欠の三本柱なのであります。これが、現在の私共の言わば『エルサレム』なのであります。権威の座なのであります。(正典と信条や職務制度が同列に権威になるわけでは勿論ありません!聖書は、神のことばであり権威の源泉ですから、「制度」の範疇の中で語ることは基本的には致しません。しかし、今回はあくまで歴史的に見てのことであります。)この意味でも、エルサレムなきキリスト教は「空虚」なのであります。『エルサレム(=信仰の規準、権威の規範)』が無いところで行う、信仰的な拳闘は「場外乱闘」になります。それどころか、万一、偽りの福音宣教へと脱線してしまえば、「神に呪われる」(ガラテアの信徒への手紙1:7 ~8)事態を引き起こすのであります。伝道の継続的な情熱を支え、それに仕える者を絶えず背後から支えるのは、『エルサレム』なのです。『エルサレム』から切断された奉仕は、キリスト教的な奉仕になりえません。
 歴史的キリスト教のあり方は、「最初に伝道ありき」ではなかったのであります。聖霊の降臨によって、キリストの教会は地上にその姿を現しました。しかし、その前に、使徒たちは、福音の何たるかを主イエスに教えられ、主の訓練を受けていたのであります。教会の諸制度(『正典・信条・職務制度』)は、福音(イエス・キリスト)によって生み出されたものであります。ですから、本質的に申しますとイエス・キリストの優位性は明らかであります。しかし、歴史的、地上的には、イエス・キリストは諸制度(『正典・信条・職務制度』)によってのみ、担われ、受け継がれたのであります。この『制度』がないところでは、イエス・キリストの教えも救いもあり得ないのであります。言い換えれば、『エルサレム』から切断されたところで営まれるキリスト教的な営みは、キリスト教的、聖書的とは言いがたいのであります。それは歴史の「徒花」で終わります。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一第15章58節で、「主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」と言いました。私のお話の文脈から申しますと、「主に結ばれている」ということの客観的な証拠、その確かさを支えるのは、『エルサレム』であります。垂直の角度から申しますと、「主に結ばれている」とは、十字架に付けられて復活なさって今天にざいておられる主イエス・キリストとの結合であります。しかし、水平の角度から申しますと『エルサレム』に結ばれているということであります。『エルサレム』から切断されて営まれる営みはまさに「空を打つ拳闘」です。競技にならないのであります。場外乱闘で終わってしまうのであります。ですから、この日本で伝道することは、『エルサレム』の確立、制度的な教会の形成が不可欠となるのであります。
 創立者の一人、岡田稔先生は、「我々は、伝道するために日本キリスト改革派教会を創立したのではない。教会を形成するためです。」と仰ったそうです。(また聞きです・・。これは、実に、意味の深い発言です。岡田先生こそは日本キリスト改革派教会の初期の伝道の為にそれこそ東奔西走なさった伝道者でありました。しかし、岡田先生の目に、日本のキリスト教会の課題は、所謂「伝道」の成果が上がるかどうかなどではなく、本当の教会が立つことができるのか否かという視点に立って見ておられたのです。教会のないところで、真の伝道はないからであります。教会から離れた、有志の働きと言うものは、基本的に聖書のあり方ではないのは明らか過ぎるほどであります。伝道を主観的な熱心で担うことは、長い目で見るときに、かえって、混乱を引き起こすことが多いのであります。ただし、「有志」が、やむにやまれぬ思いで、教会の枠を越え出て、伝道の働きを担うことを生ける神が憐れみをもって導き、実らせることはあり得ると思います。)
 日本キリスト改革派教会の課題は、教会形成です。勿論それは、伝道によって担われます。伝道と教会形成とは一つのことなのであります。しかも、教会という制度の確立を怠ったところで、「伝道こそ最大の課題、緊急の課題!」と言う掛け声に基づいて実践するなら、自己満足で終わる危険性が極めて高いのであります。教会論の整備を怠ったままで、伝道、宣教、そして教会が一人歩きしてしまうのが、日本の教会の決定的な課題なのであります。私共日本キリスト改革派教会の日本の教会と教会史における使命は、『教会形成』であります。そして、その最善のあり方が改革長老教会のあり方であると目に見せる事に他なりません。

長老教会の課題、現代のエルサレム=「職務制度」の不断の確立を目指して
最後に、今まで、現代の『エルサレム』とは、『正典・信条・職務制度』と学びました。正典も信条も既に、歴史において確定されたものです。しかし、不断に新しく整える必要があるものは、『職務制度』であります。その中に、教会政治があります。
教会政治とは、キリストの権威、支配、臨在を目に見える形で明らかにするためのシステムであります。そうであれば、実に教会政治の崩壊は、キリストの支配の崩壊に直結するのであります。教会政治の未成立の教会は、存続の危機を抱えている、あるいは、厳しく申しますと、教会以前のあり方なのであります。
改革・長老教会にとっての「エルサレム(=キリストの権威の担い手=罪の赦しの確かさ、まことの礼拝式、キリスト臨在の礼拝式・・)」は一人の「監督」、でも、「司教団」によってでも担わせられるものではありません。改革・長老教会における教会の「使徒性」は、使徒職が確保した教会の「唯一性、聖性、公同性」を「基本信条」を継承し、それを正しく継承、展開した改革派諸信仰告白によって、受け渡してまいりました。しかも、このような信仰告白が教会を拘束することにこそ、その焦点をあわせて、信仰を告白したのです。しかもそこで、私どもは、信仰告白に信仰と生活の拘束性を認めます。口で信仰を言い表すなら、その行いにおいて、実践において告白に則ってしなければなりません。実に、そこでこそ、教会政治が求められるのであります。厳密に申しますと、長老主義政治がないところで、真実にウエストミンスター信仰基準を教会形成の筋道として立てることはできないのです。ウエストミンスター信仰基準を採用する教会はバプテスト教会でもあります。しかし、おそらくそれは不徹底とならざるを得ないと思います。ウエストミンスター信仰基準を解釈するのは結局、各個教会であり、実際は牧師が適応するに過ぎなくなるのではないかと思います。
私どもは、長老主義政治を、聖書的であり、最善のキリストの支配、罪の赦し、使徒性を明らかにする制度と信じております。ただ、私個人は、「神定」とまで言わなくても良い、むしろ言わないほうが良いと思います。
キリストの臨在を立証するための霊的な制度こそ、教会の職務制度であり、教会政治であることはどれほど強調しても、し過ぎることはありません。
私どもの使徒性は、使徒たちの教えの正しい継承であり、そのためにこそプレズビテリー(長老会=中会)が整えられる必要があるのであります。
因みに、本日は「連合長老会」の総会でありますが、わたしは、連合長老会という名称には、実は抵抗感があります。本来、長老会というのは、「プレズビテリー」の訳でありましょう。韓国では、「老会」と言います。中会とは、長老会のことなのです。しかしもちろん、「連合長老会」とは、連合青年会、連合執事会、連合婦人会という中会の各会の名称なのです。
さて、いずれにしろ、プレズビテリーを整頓し、私どものエルサレムとして機能させるために、教師たちと長老たちは不断の努力を求められております。 
プレズビテリーが顕在化するのは会議においてであります。しかしこの教会会議は単なる会議ではありません。交わりであります。イエス・キリストに結ばれた、長老たちの交わりの形であります。そこは霊的な権威の座なのであります。そして、この交わりはまた長老たちだけの交わりの座ではなく、その中会に連なるすべての教会の霊的な交わりの形を現しているのであります。
 私共はイエス・キリストに結ばれて一つの体を構成しています。しかし、その体は具体的には各個教会において体現されます。しかし、その各個教会がキリストの体の完結した姿ではありません。むしろ、中会という有機的な交わりこそがキリストの体のその地方における臨在の形なのです。その霊的な臨在の形を担っているのが「中会」(=ここにいる私共全員の「教会」)なのであります。この霊的な現実、祝福を、「画に書いた餅」にしてはならないのであります。実際に生かすことができるはずですし、しなければならないのであります。
 それは、正しい礼拝式を捧げることであり、伝道において豊かに結実することであり、キリストの教会を堅固に、健やかに形成することに他なりません。中部中会の形成と各個教会の形成とは別の次元ではありません。一つの事です。各個教会が健全に立つためには、中部中会が健全に立つ事が、どうしても必要なのです。そのためにお一人ひとりの長老方が全員、中会の会議の議員になる必要も、委員会に参加する必要もありません。ただ、中会が自分の教会の母胎となっているのだ、中会なくして自分が洗礼を施され、長老として務めを担っている教会の営みは、使徒性を保障できず、救いの確かさを立証する事が困難であるのだとわきまえていただくこと、それが大切であります。「長老に望む事」これが与えられた主題でした。望む事は幾つも在りましょうが、その基本は中会なくして教会なしを確信した上で、長老の務めを担っていただくことであります。志を高くして、中会形成のために皆様と、それぞれの置かれた場、遣わされた奉仕の場で、力を注いで参りたいと願います。皆様の教会の戦いの上に聖霊の豊かな導きがございますように。         
 Soli Deo Gloria!