過去の投稿2005年3月25日

「安心しなさい、私だ。恐れることはない。」

「安心しなさい、私だ。恐れることはない。」

                マタイによる福音書14章22節-33節
                
                       主の2003年12月28日

 今日は、2003年最後の放送となります。今年もここまで神に守られ、生かされてまいりました。御一緒に、深く感謝したいと思います。

 さて今、湖の上で行き悩んでいる弟子たちを助けるために、主イエス・キリストが湖の上を歩いて助けに来て下さったという大変愉快な物語を聴きました。この物語の愉快さは、ただ主イエス・キリストだけが湖の上を歩かれたのではなく、弟子のペトロもまた湖の上を歩いたというところにもあると思います。

 彼らは、近づいてくださった主イエスを見て、「幽霊だ」と叫び声を上げました。まことに弟子としては情けない、恥ずかしい姿であります。主イエスは仰せになられました。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」この宣言には、大変に深く豊かな恵みの事実が込められています。今朝、その中から、一つだけ申しますと、「わたしは全能の神である、わたしはあなたと共にいる神だ、だから安心しなさい。」と言うことです。主イエスは、常に弟子たちと共にいるのであります。また、弟子たちのために絶えず祈っておられるのであります。主イエスは、私どものことを忘れてしまうこと、一瞬たりともないのであります。主イエス・キリストは、私どもの方にいつも、笑顔を向けていてくださるのです。今年、あなたにも様々なこと、嬉しい事、悲しい事が起こったことと存じます。しかし、神は常にあなたと共にいてくださったのであります。
 
 さて、主イエスの御言葉に喜び踊ったペトロはお願いしました。「私に命じて水の上を歩いてそちらに行かせて下さい」すると、主イエスは喜んで命じられました。「来なさい。」ペトロは大胆にも、舟から降りて主イエスの方に進んで行きます。ところがすぐに、強い風に気づいて恐くなって沈みかけます。今まで、まっすぐに主イエスを見ていたのに、視線をそらしたのです。私共で言えば、この世を見たのです。誘惑に陥ったのです。あるいは自分自身を見たのです。海の上を歩く能力のない自分自身の姿を見たのです。それゆえに、彼は直ちに沈みます。

 今年、あなたも何度か沈みかけたかもしれません。主イエスから視線をそらしてしまったからではないですか。
 しかし、彼は叫びました。「助けて下さい。」すばらしい祈りの言葉です。どうぞ、あなたもこのように祈って下さい。その時には必ず、このペトロにされたように主イエスは手を差し伸べてあなたを捕まえて、引き上げて下さいます。あなたは今朝、この放送に耳を傾けていて下さいます。これは、主イエス・キリストの強い御手がラジオから伸びてあなたを捕まえていてくださるという、一つのしるしであります。
 
 キリストを信じるとは、まさに海の上を歩くようなことです。神は、この世が保障してみせる将来の確かさなどは、人生の真の保障や確かさではないと教えて下さいました。私どもは、神の真実を保障にし、頼りにして生きて行くことができるのです。確かに、神の真実は眼に見えませんから、海の上を歩くような頼りなさはあります。しかし、大丈夫です。神は主イエス・キリストによって上から、天からあなたをしっかりと捕まえていて下さるのであります。
来年も、この力強い全能の神があなたと共にいて下さり、あなたを捕まえて、あなたの真の行く先へと連れて行って下さるのです。