☆ 本日は、開拓伝道開始いらい、第572回目の礼拝式を捧げます。単立(独立)時代から5年目、1999年が改革派加入でしたから、その意味で、既に、日本キリスト改革派教会としての歩みの方が長くなったわけです。しかも、開拓第2年目から、はっきりと改革長老教会の教会形成の方向性で進んだわけですから、 既に改革長老教会の伝統の継承を目指し10年の歩みを刻んだと言っても、過言ではないと考えます。
昨年、牧田校長をお迎えして、第10周年記念として「改革派的霊性を生きる」という題で講演会を行いました。20周年宣言を生きる教会とは、「神学と伝道を祈祷の生活において統一し、聖霊の力あふれる教会」となることです。昨年来、いよいよ、祈祷会出席に励み、その成果は今や、明らか過ぎるほど、と信じます。
昨年4月11日のこの欄に記したものを、再述致します。変えてはならないことを鮮明にする為です。
「私どもの歩みは、すばらしい転入会者に恵まれた歩み。そう言って過言ではありません。そしてその方々も「変えられた」のだと信じています。「すんなり」と「岩の上」になじむということはありえなかったと考えます。 なぜなら、私どもは、キリストの主権を明確にすることに「こだわった」からです。人間的な「わがまま」との戦いを続けました。それなしに、「慰めの共同体」を形成することは不可能であると、痛みの体験と共に、神学的な確信を与えられたからです。ソシテ、私どもは、これからもこの『キリストの主権の確立』を目指して進みます。そのためにこそ、日本キリスト改革派教会に加入したのです!!そのためには、牧師と信徒が真実の意味でよい 関係にあることが必須です。良い関係とは、「説教を神の言葉として聴く」関係です。これを巡って、福音主義(プロテスタント)教会は、〔終始する〕といっても過言ではありません。もとより、毎週の説教において皆様に忍耐を強いる者であることを誰よりも弁えております。どうぞ引き続き、忍耐を尽くして下さい!
名古屋岩の上伝道所の歩み。それは、神の言葉の力の歩みであると、わたしは確信致しております。もとより、説教者たる私が特別に良い説教をしているというわけでは決してありません。ただしかし、「説教によって教会は立ちもし倒れもする」と言う、宗教改革者の自覚を鮮明に持っているつもりです。そして、そのような説教者を生み、支えて下さるのは、他ならない皆さまなのです!!つまり、名古屋岩の上伝道所の歩みとは、説教を真摯に、聴かれた(聴き従われた!!)皆さま(他教会に行かれた方々も含め)の歴史なのです。心からの感謝を捧げます。