過去の投稿2005年5月15日

5月15日

牧会通信

★  本日は、聖霊降臨祭の礼拝式を捧げました。聖霊降臨祭とは、ギリシヤ語では、ペンテーコストス(50番めの)を語源として、ペンテコステ(「五旬祭」)とも呼ばれます。もともと旧約聖書における祭りです。「七週の祭り)(出エジプト34:22,申命16:10)、又は「刈り入れの祭り」(出エジプト23:16)と呼ばれて、「過越の祭」に続く、種を入れないパンの祭で 大麦の初穂をささげてから七週間後,50日目の祭です。捕囚の後,この祭は,中近東の広範囲に離散したユダヤ人がエルサレムに巡礼のために集まって来る機会ともなっていました。使徒言行録によれば、その祭りを祝うために帰ってきたユダヤ人たちが、この日、聖霊を受け、「イエスは主である」と信仰を告白する「新しい神の民」が誕生したのです。いわば、教会の誕生日なのです。  
聖霊が注がれたとき、神の民が刈り入れられました。聖霊降臨祭を祝うこの5月を伝道月間としました。 「イエスは主である」と共に告白する喜びにあずかっていただく人を刈り入れる祭りにしたいと思います。そのために、選びの民と出会えるように祈りましょう。誰がその人であるのか、神のみがご存知です。私どもはすべての人に宣べ伝えるのです。一人で出席することがないように・・・。

★  本日、遂に、○の信仰告白式を挙行することができました。高校2年生ですから、決して早いとは言えません。(ただし、信仰告白は、一定の年齢になれば、自動的にできるもの、させるべきものでもありません。)
また本日、○○姉が○○ちゃんの幼児洗礼のための誓約を行いました。これは、○○ちゃんの責任ではなく、親の責任なのです。親が、信仰の継承、恵みの継承を最優先にして、子育てをすることを誓ったのです。 この誓いが真実のものとなるようにと、私どもは心から祈ります。教会を挙げて支援しなければなりませんし、したいと思います。その主要な業は、日曜学校とカテキッズ(今月は、伝道月間で残念ながら行えません・・・。)です。
契約の子を信仰に導くこと、これこそ、キリスト者の親に与えられた責任中の責任です。その意味では、私どもも、親として、少々、安心することができました。しかし、信仰の成長にとって、今日からが大切、本番であると思います。わたしは、これまで以上に、(・・・私自身、○との学びの間、本当に、悪い親であったことを痛感しました。つまり、わが子への信仰教育は二の次のようにして、時間の空いたときにのみ、顧みると言う、優先順位であったのです。これまでの開拓伝道の戦い、前任の教会時代の状況の故です。それを子どもに理解してもらえたら・・・と思います。)信仰の教育に努めたいと思います。わたしも誓約したのです!

今日から、一人の自立した信仰者として歩みだすのです。その意味では、「同労者」といっても良いのではないでしょうか。共に、主と教会のために、励みたいのです。彼女は、彼女なりに、信仰の成長のために、学び、祈り、伝道すること、それが、求められているのです。

わが娘たちが、○○兄姉のひかりちゃんと共に、初の小児洗礼受洗者となり、今回も、初の信仰告白者となりました。今後、続々と彼女に続く契約の子たちの信仰告白式が挙行できますように。一人も漏れなく、実現できますようにと。

☆  先週、礼拝堂の床に数十の小さな穴が!シロアリかと、緊張しました。しかし、自然木のなかに住み着いていた虫(シロタキクイムシ)が羽化したようです。殺虫剤を買い求め処理し、穴は補修しました。・・・教会堂の管理、メンテナンスのための奉仕者が欲しいところです。

☆  先週は、伝道新聞の印刷を、午前祈祷会の後、していただきました。1時間あまりお手伝いしていただくだけでも、ずいぶん楽になりました。10人の力、時間を集めれば、わたしの半日分の時間は確実に、助かります。これからも、少しずつ、わたしの奉仕を委譲しつつ、教会の奉仕の力を合わせて、伝道しましょう。先回の伝道月間の実りは、○○氏でした。今年の伝道月間、どうぞ、家族、友人、知人を誘いましょう。

★  祈祷会での「祈りへの道」もいよいよ残すところ、三回となりました。先週は、「声に出す祈り」ということを学びました。むしろ最初の方で学ぶべき、ごく基本的なことでした。しかし、予想通り(?)一人でキリスト者として家庭で生きている仲間も、予想外で、そうでない方も、声を出して祈ることが少ない現実を知りました。
「学ぶことは変ること」です。この学びを経て、祈りの生活に変化がなければ、何にもなりません。ただし、祈祷会には、ほとんどの会員が出席されています。教会としての変化は、確かと言えるでしょう。朝の祈祷会で申しましたが、「声に出す」事、それは、信仰を「心の宗教・個人的信仰」にしない道でもあるのです