過去の投稿2005年5月22日

5月22日

★  先週は、聖霊降臨祭を、○○○○ちゃんの幼児洗礼入会式、そして○○○姉の信仰告白式を挙行し、 祝うことができましたことを心から感謝いたしております。悠香ちゃんを、「バックネット裏」(愛餐会での表現より)でご覧になっていた方は、そのかわいらしさに癒されたようです。すっかり寝ている彼女には、申し訳なかったのですが、しっかりとお水を手の平にいっぱいに掬い、洗礼を施しました。起きるかな、びっくりして泣かせてしまうかな、と案じましたが、目覚めず、寝ている間に洗礼が施されました。説教でも申しましたとおり、赤ちゃんの洗礼と成人洗礼と、その礼典としての恵みの効力には、何の違いもありません。幼時洗礼を受けることができない子らとご家庭のために、なお祈らねばと思わされるひとときでもありました。

☆  ○○の信仰告白を聞きながら、あらためて、説教の重みを思わざるをえませんでした。朝の祈り会でも学びましたが、祈りは、神の御前で、御言葉(御声)を聴き取るために、心を静かにし、集中する作業(沈黙)を含みます。いつも申しておりますが、「説教の聴聞は、祈りそのもの」なのです。○○もまた、説教を、まさに自分に語りかけられた神の言葉として聴き取ることによって、救いの真の確信、正しい確信に導かれました。その意味では、説教聴聞なしに、深い祈りの世界が開かれることは困難です。彼女は、礼拝の前、ぎりぎりまで(遅刻しましたが!)証を推敲していたそうです・・・。印刷、配布いたしました。洗礼入会者、信仰告白者の証はホームページにも掲載しています。

★  先週は、福音主義神学会の理事会で、隔年開催の全国会議(今年は、名古屋で開催)の最終的な準備をしました。今年度の主題は、「霊性」です。午後開催された公開講演会の主題も「霊性」でした。私ども宗教改革によって生まれた福音主義教会の霊性の要は、「神の御言葉」「聖書」に固着する霊性ですし、そうであらねばなりません。御言葉から離れた霊的な経験、祈りへの道もまたありえないのです。その意味では、毎日の家庭での「聖書生活」が問われます。そして、その大前提としての「主の日の礼拝生活」、その中核としての説教聴聞経験の深化が問われます。
 
☆  ○○兄が岐阜の地域FM局(FMわっち)で金曜日の朝8時~9時、DJをされていることは皆様、ご存知でしょう。しかし、聴取された方はおそらく一人もいないと思います。先週、かねてお願いしてあった、録音を聴かせて頂きました。正直、心配する気持ち・・・、もないわけではなかったのですが、とても良い雰囲気でした。中部中会は、岐阜に多くの教会があります。「改革派中部」で宣伝できないかなぁと考えております。

★  伝道月間が始まりました。先週、滝の水を家内と半日、手配りしました。「バロー」で喉を潤そうと・・・。 なんと○○さんとお会いしました!導きです。来週、午後の集会に来れるようです。どうぞ、伝道しましょう!