★ 三浦綾子さんの作品を、高校生のとき、また、求道中にも読みました。これほどまでに、「証」を前面にだした文学は、稀有ではないかと思います。実に多くの方が、信仰に導かれました。三浦さんが、経験した神の愛、徹底した恵みの経験。罪の赦しと神の愛。この愛が、教会を通し、私どもの全存在を通して、証しできますようにと祈ります。ついに本日、大田先生の、講演ご奉仕を頂けます。私どもは実に、恵まれています。
☆ 25,000枚の伝道新聞で、新来者はおられませんでした。この現実は、今に始まったことではありません。そのようなことで、へこたれていてはこれまでの開拓伝道が聞いてあきれるでしょう。こつこつと、粘り強く、教会の使命、福音宣教に励みましょう。小林姉のお父様が、出席されています。特別の感謝です。
★ 先週の月曜日は、名古屋教会で、松谷好明先生(聖学院大学教授)の、私どもの教会憲法の骨格である、ウエストミンスター信仰基準についての講演会に出席しました。午後、夜、いずれも50~60名の出席者でした。他教会の牧師たちも出席しておられました。ウエストミンスター信仰基準は、17世紀英国の議会によって召集された神学者、牧師によって整えられたものです。今日に至るまで、これを越える整った信仰規準はないと思います。成り立ちからそうでありましたが、今日まで、様々な教派、世界の改革教会に影響を与えてまいりました。しかし、ウエストミンスター信仰基準は「狭い・教派的信仰告白」という「誤解」を受けてきたように思います。私ども日本キリスト改革派教会がこのウエストミンスター信仰基準を教会憲法として採用し、これを用いる態度は、その他の諸信仰告白には目もくれず、これだけを学べばよいという態度であってはなりません。もともと、改革派教会が「ひとつの信仰告白」を採用するという基本理解は、それが、諸信仰告白の伝統の継承と発展の上に成り立つものであると判定した上でのことなのです。ただし、私どもの時間と能力には限りもあります。先ずは、ウエストミンスター信仰基準に親しむことです。かつて、加入前には、信仰告白と大教理問答を祈祷会で学びました。最近は、その意味では、さびしい思いもしています。「子どもカテキズム」はぼろぼろになって来た方もおられるでしょう。しかし、新書版「ウエストミンスター信仰基準」は・・・?
☆ 講演でも触れらましたが、ピューリタン牧師としてもっとも有名なリチャード・バクスター先生は、週日の活動として、私どものような祈祷会ではなく、家庭訪問に全力を注がれたそうです。そこで、ウエストミンスター小教理問答を教えたのだそうです。今年度、心に覚えた一つの目標は、家庭訪問でした。洗礼入会志願者、転入会志願者とは、何十時間も向かいあって、教理を教えました。しかし、問題は、その後・・・です。
バクスター牧師たちは、主の日を徹底的に重んじた信仰態度は、ピューリタンの「華」です。しかし、 彼らは、同時に、家庭礼拝を徹底したことをも思います。この半年余りの祈祷会での学びで、家庭での祈祷生活がひとり一人確実に充実し始めていることは、大変大きな喜びです。○○姉は、お父様と共に聖書を 朗読し、祈りを始めておられる由!!声に出して祈ることを心がけるようにしているとは、○○姉。○○姉は、○○くんとの祈りの生活・・・。聖書を開いて祈る・・・。あげていけば、全員がここに登場なさるでしょう。
★ 先週は、初めて、姉妹会がなされました。家庭生活、夫婦生活の実際的学びがなされました。実践的な、宿題も出されたのです!牧師としての歩みの中で、日本人キリスト者が信仰を生活するためには、手取り足取りの指導をしなければならないかを思わされています。しかし、「要」は、皆さまの意欲です。牧会を受ける意欲、指導を受ける意欲です。それは、何とかして成長したい、何とかして主のお役に立つ生活、生涯を、神に用いられる人間になりたいという憧れをみなぎらせることなしには、空転します。年齢も、キリスト者としての年輪も、ここでは、横において、お互いの霊性の向上のために、励ましあう交わりが求められるのです。姉妹会がそのような学びと交わりになり、奉仕へと結実することを心から期待致しております。
☆ 信仰告白式の後、○○とすぐにカリク宣教師宅に伺い、高校生のための伝道集会の打ち合わせを行いました。そして、とんとん拍子で、第一回の集い。何とか伝道したいとの思いが、道は開かれます。ただし、彼女は、6名のお友達に声をかけ、誘ったそうですが、今回は、一人も来られませんでした。出席者は、多治見教会の契約の子とそのお友達、そして、宣教師のお譲さんたち(同い年)とカリク宣教師のお子さんたち。伝道することの困難さを、身をもって知ったことでしょう。しかし、始まったばかりです・・・。