過去の投稿2005年6月20日

6月19日

★  本日は、多治見教会の小野静雄先生をお迎えすることができ、大変幸いです。ご奉仕は、本当に久しぶりです。  私どもが日本キリスト改革派教会に加入する経緯を語るとき、必ず先生の名前が登場いたします。先生との出会いなしには、名古屋岩の上伝道所の今日の姿は、おそらくなかったのではないかと思います。先生は、前大会議長で、現在 わたしも加わっている大会教育委員会の委員長を担っておられます。中部中会随一の説教者です。

☆  先週の伝道所委員会は、上半期を振り返り、各委員が教会の課題についての認識、一委員としての奉仕の課題について懇談するときを持ちました。全委員が、礼拝式の充実のために、なお、全力を注いで取り組まなければならないと 仰いました。大変、印象的でした。あまりにも一致していましたので、わたしは、「伝道の課題」についての議論を提示しました。しかし、内心、私どもは、一貫して「神の民の祈りの家を築こう=主日礼拝式の充実」を合言葉にして、教会形成に励んできたわけですから、その実りであるとも思い、心から感謝致しました。伝道月間が終わり、本日から通常の礼拝式となりました。しかし、この礼拝式こそ教会の生命そのものです。キリストの臨在の根源、キリストとの交わりにあずかる拠点です。ですから、この課題には、上半期も下半期もありません。教会が地上にある限り、課題とすべき事柄です。
7月より、献金当番の方も、礼拝式まえの祈祷の輪に加わって頂くこととなりました。わたしは、常に、また礼拝式前の祈祷でもしばしば、「毎週の礼拝式がこれまでのキリスト者の人生のなかで最善の礼拝式となりますように」と祈っています。それだけに、説教後「なんとも言えない気持ち」を抱かざるを得ないのです。説教の貧しさ、拙さへの嘆きです。   なお、全力を注いで、毎主日に備えましょう。これは、地上にある限り、私どもの最高の喜び、特権であり、課題です。

★  この週報は、浜松で書いています。今日は、憲法第三分科会の枠のなかで、ジュネーブ詩篇歌の歌い方の講習!!をしました。これは、役員研修会における事件です。神港教会の緋田姉が歌唱指導。東京恩寵教会の鈴木優人兄が  オルガン演奏をしてくださいました。今回も、ジュネーブ詩篇歌のすばらしさに本当に心熱くなりました。このメロディーがまさに詩篇の心を表現し、神賛美へと引き上げるものであることを実感しました。皆様にも、この音楽体験をしていただきたいと思います。既に注文している「ジュネーブ詩篇歌」に、多くの誤記があり、改訂するためになお時間がかかると委員会から報告がありました。大変、残念ですが、楽しみに待ちたいと思います。
緋田姉、あるいは鈴木兄に一度、来て頂いて、賛美練習をしていただくことができたら、とも考えさせられました。   私どもの教会には、幸いなことに3名ものすばらしい奏楽者が与えられています。いずれの方々も信仰者としても、  奏楽者としても優れた方々です。説教の課題は、説教者個人の責任だけを問うことは正しくないこと、教会全体の課題であることは繰り返し学んでまいりました。ただし、説教者自身の自己研鑽なしに、すべては空回りとなることも明らかです。 そして、奏楽者もまた同じです。・・・このようなことを記すと、ただでさへ、相当のプレッシャーの中で奏楽奉仕を 担っていてくださるのですから、さらに苦しめてしまうことになるのを恐れます。教会を挙げて祈って支えたいのです。 現在の私どもの状況から申しますと、経済的な支援が挙げられます。奏楽者の研修を支えることです。(近い)将来、この小さな礼拝堂に、ジュネーブ詩篇歌がいきいきと、高らかに歌われ、心が高く引き上げられ、肉体までも癒され、強められるような賛美の調べ、歌声が満ちる礼拝の幻を皆様と見たいと思います。天上のあの礼拝式の幻と共に。

☆  役員修養会では、大会の教勢報告統計のプリントが配布されます。わたしは、教会が「数中心」になる弊害を直に  体験しました。しかし、日本キリスト改革派教会は、いささか度が過ぎるほど、「教勢」について取り上げません。現住陪餐会員は5182名、昨年比12名減。礼拝出席者は、4835名で、13名減です。横ばい状態が既に20年近くに及ぶのではないでしょうか。これは、単に人数の課題ではないと思います。端的に申し上げて、教勢の課題は、日本キリスト改革派教会の「創立のスピリットと教会(形成)論」の「衰退と変容」と無縁のこととは思えません。また、決定的には、教会役員、特に伝道者たる牧師自身が伝道の実際的訓練を受けずに、神学校を卒業し、任職されることにも根本的な課題があることを思います。祈りを集めましょう。私ども名古屋岩の上伝道所の使命は、この町に神の教会を、「聖霊の力あふれる」 日本キリスト改革派教会を立てあげることにあります! わたしは、「やってみせる」 そこにかけています。

★  臨時大会の最大の議案の「終末の希望についての信仰の宣言」の骨格を採択する提案が可決されました。来年には、すばらしい宣言が確定されるはずです。このために、いったいどれだけの時間が重ねられたことでしょうか。日本の教会のなかで、これほどまで熱心に自分たちの「教会の信仰」について議論する教会はありません。謙虚に申しても、 この「神学的熱心」への誇りを持つことはなお許されることでしょう。このすばらしい伝統は、今後もまた継承されなければなりません。同時に、「伝道の熱心とを 乖離させてはならない!」と自戒をも呼びかけたい思いを持ちます。