過去の投稿2005年7月3日

7月3日

★  7月に入り、やっと梅雨の雰囲気がしてきました。渇水で困っている、地域が多いことが案じられます。 2005年度も下半期。時の経つのは、なんと早いのでしょうか。下記に、今年度の「年報」の表紙に記しました今年の目標を記します。

「ここに神の教会を、ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させて下さい。
(開拓以来の変わらざる祈りと志である、「キリストの主権(支配)の確立」を目指して歩み続ける。)
教会年間目標 「20周年宣言を生きる教会」-創立宣言から20周年宣言へ-
開拓伝道11年目、20周年宣言を生きる2年目にふさわしい成長を目指して
 
「祈りのしおり」に記載したのは⇒「20周年宣言」実現のための「4本柱」達成のため
Ⅰ 「神の民の祈りの家を築こう」   Ⅱ 「伝道所委員会の充実」
Ⅲ 「日曜学校を軸とした伝道の充実」 Ⅳ 「緑区民の全てに名古屋岩の上伝道所の存在を知らせる」
  下半期も皆様の心と体と魂とが健やかな歩みでありますように。「教会の祈り」を集めて祈りましょう。

☆  先週は、名古屋説教セミナーに月曜日から木曜日まで出席しました。22名の参加者のなかで、通いは、わたしの他にはお一人でした。かんづめになって、与えられた説教テキストに徹底して取り組みます。
  いつものように、「第一の黙想」。私共の用いる聖書を何度も読んで、そこから立ち上がる神の恵み、皆様の顔を思いつつ、それを文章に記します。それを、出席者で分かち合います。その後、加藤先生がいつものように翻訳されたドイツ語の当該テキストの注解書、そのテキストを黙想した神学者たちの黙想の言葉、その大量の文献を丹念に読み解いて行きます。そして、ギリシア語の言葉や、他の翻訳聖書や、これまでの様々な角度から検討した文書を深く考えながら、神を仰ぎ、皆さんを思いつつ(黙想と呼びます、神学することです)、「第二の黙想」を書きます。さらに、参加者の第二の黙想も提出しあい、分析し、最後は、説教の原稿を作成します。大変、正直に申しまして、牧師の通常の生活のなかで、このときほど、テキストに集中する時間をつくれることはありません。しかし、あらためて思うのです。それでも、なお、時間が足らない・・・。 帰宅して、一日かかって本日の説教原稿が整えられました。そうであれば、毎週の説教準備は・・・。 そして同時に思います。単に、時間のせいにはできないのです。私自身の根本的な課題も見えてきます。 しかし、何度も申しますが、私共、福音主義教会にとって、その生命線は、御言葉の説教にあります。そのために、牧師(説教者)が神に、教会に立てられています。この召命、この教会の主からの最大の委託をおろそかにするなら、まさに職務怠慢であり、主に対する背信行為となります。どうぞ、牧師の研鑽、修練のために、お祈りください。年間目標にしたその「とき」を持つ計画は実現できておりません。

★  加藤常昭先生は、初日、少しお疲れ気味のようで、少々案じましたが、二日目からはいつもの調子で、実に鋭く、厳しく文献を読み解き、かつ、出席者の文章を読み解き、批判してくださいました。最終日には、 4~5名の小さなグループで、全員が、説教し、相互批評を試みます。これは、説教者にとって実に厳しい 批判にさらされる場合があり、一つの試練とさへなります。しかし、それ以上に、二人の牧師がくじ引きで 当たり、全員の前で、加藤先生の前で、説教します。わたしは、一度もこのくじにあたったことがありません。ここでの加藤先生の聴き取る力は、まさに言葉がないほど、深く、的確で、説教者以上に、説教を聴きとって、それを批判してくださるのです。この説教塾運動は、超教派です。私自身は、積極的にコミットしているのではありませんが、日本の説教の質の向上のために、すばらしい運動であることは間違いありません。

☆  説教塾の帰路は、説教の批判を受けて、心に重荷を担っている場合があるのですが、今回は、違う点で、重荷を担って帰路に着きました。加藤先生を克服する課題・・・。それが、心に重くのしかかるのです。 それは、日本キリスト改革派教会の真実な形成、名古屋岩の上伝道所の教会形成でこたえる以外にありません。また、この説教塾運動に負けないほどの、新たな運動が必要となるのかもしれません。

★  余談ですが、金曜日の深夜2時、ついに完全原稿を書き終わったと思ってパソコンを終了させようとして、パソコン画面に立ち上げていたいくつもの文書を、消している途中、なんと、一週間の結晶の、説教完全原稿を消してしまいました!今日土曜日、この「試練」?にめげず、もう一度、完全原稿を復元しました。  その意味で、本日の説教は忘れがたい説教となりました・・・。