過去の投稿2005年8月1日

7月31日

★  先週の契約の子祈祷会は、多くの方が旅行などに行かれ、幼児たちだけが集いました。契約の子と申しましても、幼児から中学生までいるので、そろってするのは、なかなか難しい面もありますので、小さな交わりでしたが、外のテーブルと棚田を利用して、お好み焼きを頂きました。「よしず」の下で、台風一過の青空をめでつつ、気温は高かったのですが、風もあったので、なかなか快適でした。

☆   本日は、カテキッズです。「子どもカテキズム」を学び、牧師がひとりひとりと共に祈ることを目指して開始した集いです。日曜学校は、地域の子たちのためにも行っております。その意味で、契約の子だけの信仰告白への準備教育をすることは、この集いの目的です。今年、私どもの教会に初の信仰告白者が与えられました。次に続く子どもたちが続々と起こされることを祈り求めます。

★   「改革派中部」誌の新シリーズに、「週報と教会生活」があります。今号に、当伝道所の週報、中学科及び日曜学校の週報も掲載されています。そこにも、書きましたが、中会形成の基本は、各個教会間の風通しをよくすることです。情報公開することです。教会(牧師そして会員も)が、「お山の大将」になる危険性は、単立的教会の致命傷です。しかし、長老主義教会と言えど、うっかりすると、各個教会の痛みについて、手の打ちようもないほどになってしまった暁に、配慮の手が差し出されるということが少なくないのです。牧師も教会も、謙虚に、批判の声に耳を傾けることはとても重要です。その意味で、週報、月報などをお互いに見せ合うことが、ごく素朴、基本的に大切なのです。その意味でも、あまりにも中会に連なる教会の数が多くなれば、困難ですから、相応の規模になれば、東部中会が東関東中会に分かれるように成長することは大切です。「通信」は、個人名は○○にようにして、ホームページにも公開し始めています。

☆   「特派員便り」には、○○兄の「FMわっち」のDJのことも、伝えました。岐阜エリアしか受信できませんが、岐阜には、多くの会員がおられるので、改革派の会員からのリクエストとかコメントが寄せられたら、すばらしいなぁと夢想しています。

★   昨晩の「平和集会」は、66名の出席者でした。渡辺信夫先生から、今回もまた、大変、重みのあるご 講演を頂きました。先生の講演は、後で、記録誌に載せる予定ですから、詳しくはそれを読んでいただきたいと思います。日本の危機状況は、憲法改正(9条改悪)によって総仕上げのように堕ちるところまで落ちて行く危険性が濃厚です。それに対して、日本のキリストの教会の危機状況について、教会がどれだけ認識しているのか・・・。集った者たちは少なくとも、日本の教会の危機的状況について、程度の差はあれ、認識しておられるかと思います。

     「考えないキリスト者をつくった教会の責任」と言われました。本当に、その通りであると思います。  しかし、少なくとも私どもの実践は、考えるキリスト者の訓練にあったはずです。それは、何よりも「説教」において目指されています。その他には、やはり「読書会」が決定的に重要でした。しかし、読書会に会員全員が出席できている状況ではありません。そこに、これまでの私どもの課題、ジレンマがありました。 しかし、今、祈祷会で、かつての「読書会」の再現があります。この祈祷会で、テキストを学ぶこと、自ら 考えること、それが訓練されていると思います。8月の夜の祈祷会は、読書会のテキスト「抵抗権とキリスト教」の残りを学んでまいります。考えないキリスト者=無責任なキリスト者ではないでしょうか。この責任は第一に、神の御前での責任です。決定的な責任です。第二に、この世に対する責任です。この世の人から、責任を問われてもいるのではないでしょうか。(「自分たちがこんなに悲惨な罪の下にあるのは、あなたがたが正しい道を伝えてくれなかったから・・・」という声にならない批判の声)  「正しい伝道」を!

    今日のキリスト教界の霊的な無気力状態は、「ただしい神学の欠如」にあるとも主張されました。そこで「どうしてもカルバンを学ばなければならないでしょう」と仰いました。何故、カルバンなのか、それは、  この教会改革者、神学者が徹底して、「神中心」だからです。神中心の聖書の読み方、世界の見方をすることが神学することです。かつて、社会問題、平和問題に発言していた指導者たちが、最近は口をつむっているのは、神学のただしい研鑽がなかったからであると指摘されました。私どもは、「教会の役に立つ」!!まことの神学の研鑽を教会生活のなかで、体得する努力を継続しなければ、この時代のなかで、キリストの教会として生きることはできないのです。日本キリスト改革派教会の責任を思います。