過去の投稿2005年8月19日

8月14日

★   第60回大会への教育委員会報告のなかの添付資料として下記のように記しました。皆様にも、日本キリスト改革派教会の日曜学校の再建のために祈り、共に実践して頂きたいと思い、ご紹介いたします。
「明日の教会のために、日本キリスト改革派教会の日曜学校像とその実践を問う」 
 
(1) 「中部中会教育委員会・教会学校教案誌」発行の理由 
2001年3月に、中部中会教育委員会より創刊した、季刊「日曜学校教案誌」(2004年第13号より「教会学校教案誌」に改称)は、既に、第19号まで刊行することができました。刊行の志と理由は、以下の三点にしぼることができます。

① そもそも、日曜学校教師たちの訴えに端を発します。「どうして改革派教会には、自分たちの教案誌がないのでしょうか・・・」改革派信仰にもとづく教育によって教会を形成すべきであることは、自明のことです。およそ責任ある教団(教派)形成を志すなら、教会立の神学校を整えることが不可欠であると同様、教案誌の整備もまた、それに劣らず重要ではないかという前提がありました。
これは、1956年~61年の間、大会教育委員会が、「教育観確立委員会」と称されていたこと、また、66年には、「改革派信仰に基づくカリキュラムの作成は、我が教会にとって、又、教会学校の現場にとって、重大かつ強い要望のある課題である」として、「教会学校カリキュラム作成に関する建議案」が出されていたことなどから、日本キリスト改革派教会のまさに宿願であることは明らかです。先輩達の労苦を十分に認めることができます。
しかし、事実上は、教師たちに他教派の教案を与えて、ほとんどそのままゆだねている現実も少なくありませんでした。日曜学校教師会が自覚的に、独自カリキュラムをつくることができれば理想的ですが、そのような教会は稀でありました。私どもは、これをそのまま放置すれば、深いところで、改革派のアイデンティティに齟齬が生じるのではないかと案じました。これらを踏まえて、契約の子はもとより教師自身のためにも、「自分たちの教会学校教案誌」が必要であると判断したのです。

② 既に久しく、青少年伝道においてかんばしい成果を見ることができず、とりわけ日曜学校が衰退、もしくは崩壊している現実をただ嘆くだけで、克服する方策と実践を指し示すことがない現実がありました。教案誌の発行で、日曜学校の営みをあらためて神学的に検討しなおし、活性化させ、教会を挙げて取り組むための一助となりたい、そのような神学的な伝道の運動を起こしたいとの志に基づいてのことでした。

③ 最後に、日曜学校だけではなく、全信徒の教育に資するものを、つまり教会学校の教案を提供したいという志もありました。それは、今日、成人科のテキストを掲載し、いささか、背伸びをしているかもしれませんが誌名を、「教会学校教案誌」と改称したのでした。創刊時、わずかの有志によって企てられ、多数可決で、刊行することができたのでしたが、今では、満場一致で発行が支持されるまでになり、執筆奉仕者も既に大会的な陣容となりました。
(2) 私どもの「日曜学校像」を再検討する必要性
 そもそも日曜学校運動は、18世紀イギリスの一人のキリスト者の言わば慈善運動として世界的な広がりをみせた運動です。超教派のしかも信徒運動としての色彩が極めて強いものです。率直に申して、高く評価すべき点と克服すべき点も少なくないかと思われます。
その意味で、私ども日本キリスト改革派教会にとって、あらためて「日曜学校」とは何か、そこで何を、どのようになすべきかを、きちんと検討する必要性があると思います。そうでなければ、上述のように、日本キリスト改革派教会としての教会形成の実践とその日曜学校における実践との間に、乖離現象すら生じかねません。つまり、日曜学校の営みにおいても、改革派神学に裏打ちされた教えと教え方を模索する必要が不可欠なのです。 
教案誌には、明確な編集方針(日曜学校像)があります。(第13号、第17号所収。)しかし、それは、実践のなかで補強され、修正されて来たと言うべきものです。それゆえに、固定したものではなく、開かれ、さらに良きものとして形成してゆくべきものです。それが、日本キリスト改革派教会の宿願であり、緊急課題ではないでしょうか。                        

   (3)~(5)は次回に・・・。