過去の投稿2005年9月11日

9月11日

☆  本日は、衆議院選挙・投票日です。既に投票を済ませた方もおられるかもしれません。投票によって、我々は、国政に参加します。選挙結果は、国民自身にふりかかります。しかし、日本のふるまいは、今や、世界に影響を与えます。先日の新聞で、東京都の教育委員会によって、日の丸、君が代に対して、職務命令を守らなかった教師たちを処罰された教師たちの上告が、門前払いとなったとききました。キリスト者として、公教育の現場で教師として生きることは、すでに信仰の迫害を受けること、その覚悟なしには、特に  東京都では成り立たないところまで来ています。これは、一人キリスト者の教師だけの問題ではもちろんありません。どのように、教会共同体が仲間を支援しうるのか。緊急の課題でしょう。私どもの教会に、もしも、このような闘いを強いられる仲間がいるなら、そのときこそ、「教会の交わり」が問われるはずです。戦前の恐るべき時代へと逆戻りする空気、状況のただなかで、預言者として立つ教会の使命を思わずにおれません。そのためにも、憲法を擁護する勢力の退潮を食い止めたいと祈り願わずにはおれません。

★  午後には、「信州夏期宣教講座」の報告会、学び会を持ちます。毎月、第4主日に行う読書会は、今月は、中部中会信徒研修会がありますので、本日となります。○○姉は学会出席で、スゥエーデンに滞在中ですから、○○委員が報告してくださいます。私どもの課題は、「教会形成」です。この日本における教会の形成です。使徒たちから学び、宗教改革者たちから学び続けることを止めません。そして、あわせてはっきりと主張しなければなりません。この日本でキリストの主権に服する教会、真理の柱、世の光であるとは、あの戦争責任を誠実に担う以外に生きる道がないことを、です。これを座視したままで、何の教会でしょう。戦後50年のとき、多くの教会、教団が、戦争責任を明確にする告白、宣言を公にしました。私どもの教会は、しませんでした。それは既に、創立宣言において、一つの新しい教会を創立したことで明らかであるという理解があるからでしょう。日本における唯一の正式な連絡関係にある日本キリスト教会は、戦後の「靖国闘争」によって、神学的に国家と対峙する教会、告白教会として自らを形成させられたと伺いました。それに比べ、私どもは、今日、どこに立っているのでしょうか。創立者たちが、指し示した道を進むことができたのでしょうか。日本キリスト改革派教会は、何処へ行くのか・・・。危機を叫ぶ声は、挙がっているのか・・・。  
 
☆  委員会で、午後の集会への参加者が固定していることをどのように打開するのか、話し合われました。読書会は、私どもの教会の歩みにとってどれほど重要であったことでしょう。これからも同じです。午後の集会に残ること、さまざまな事情・状況があります。しかし、お互いの真剣な課題としてまいりましょう。

★  信徒研修会で、「教会学校教案誌」の在庫、新刊販売の奉仕を杉山姉が担ってくださることになりました。日曜学校教師たちは不可能ですから、出席者の方で、お手すきの方は、ご協力ください。また、在庫の保管のために本棚を新設します。今回、子どもカテキズムが、既に2000冊近くが販売されていることも知りました。先週も、東部中会の方から問い合わせがあり、これをCSの保護者会の学びのテキストにされるとのことで購入されました。このような形での購入もあるのでしょう。「大会時報」で教案誌を紹介したことが、やはり、他中会の信徒に知られることになりました。熱心な信徒の方々がおられるわけです!また、余談ですが、カテキズムの購入希望者に、メールで、私どもの  ホームページを紹介しましたら、「こちらをダウンロードして使いますので、不要となりました・・・」!とのご連絡。現代では、このような用い方もあるわけです。もとより、営利目的で、刊行したわけではありませんから、どんどん、用いてくださればよいわけです。

☆  先週の朝の祈祷会は、台風の影響で学校が休校となり、多くの方が出席できませんでした。ひと月のブランクがあいた朝の祈祷会の出鼻をくじかれました。「教会の土台」の章を学びました。御言葉(説教)の重要性、説教に応答して生きるキリスト者の生活の重要性が語られました。私どもはニカヤ信条を毎週告白しています。そこで、「聖霊は預言者を通して語りたまえり」とあります。聖霊なる神が、他ならない今、皆様の目の前にいる説教者を通して神の言葉を語られる!それを告白しているのです。ニカヤ信条の重みを全教派・教会が再認識すれば、説教の重み=教会の土台と、礼拝式の緊張感・緊迫感が再生されるのではと思います。いずれにしろ、祈祷会の学びを大切に! 今週こそ、多くの姉妹方と!  

★  「報告」に記しましたが、伝道所閉鎖に関する「愛餐会案内」・・・。悲しみと憤りが交錯します・・・。先週の、「60周年記念大会ニュース」における「愛餐感謝会のお知らせ」・・・。私どもの教会は、神の裁きを受けているのでは・・?