過去の投稿2006年1月22日

1月22日

★  いよいよ、次主日は、会員総会です。伝道所委員会は、12月より、準備を始めて、次主日を迎えます。 1月の祈祷会では、集中的に、このために祈りました。そして、皆様に繰り返してお願いしたことは、元旦に配布した、「牧師の所感」と昨年度の年報を読んでいただくことでした。そして遂に年報が完成しました。今回は、印刷、製本は、完全に、委員と会員有志で担われました。昨年、私どもは、会員総会にて、「教会設立を目指して歩む元年」として、自ら神に誓って出発いたしました。その一つの現われとも言えると思います。

☆  先週の委員会で、○○の委員辞任を慎重に、きわめて慎重に議論し、全員一致で、了承いたしました。これも、言うまでもなく、教会設立を目指して歩む教会としての一つの、しかしとても大きな「しるし」となります。これは、わたしの発意で、○○も基本的に了解したことでした。開拓期の日本の教会は、牧師夫妻の献身に掛かっていること、これは、教派を越えた事実です。しかし、私どもは、「最後は、牧師夫妻にしてもらえる」というような甘えを、公式に克服することを昨年、自らに課しました。もとより、家内の献身が緩む(?)ことはないと信じています。しかしいよいよ、伝道所委員の責任が重くなることは避けられないでしょう。同時に、姉妹会の責任も明瞭にされ、これまで以上に、教会内の奉仕への自覚的参与が求められるでしょう。

★  先週は、韓国のキリスト教長老会高神派の大学生が中心に組織しているSCF(Student for Christ)のメンバー24名が、当伝道所を訪ねて下さり、主にある交わりのひと時を与えられました。皆、自費で日本伝道のために、来たのです。もとより、日本の円の強さを考えれば、訪日の費用は、我々の何倍かの負担率になるはずです。足らないところは、教会の支援を受けているのです。金起泰先生から、教えられましたが、ここにも韓国教会の力の秘訣があるわけです。教会が、宣教や研修のために、青少年に経済的な支援を惜しまないのです。そして、やがて、彼らが就職すれば、後輩たちへの支援を惜しまずするはずです。

☆  最初に短い礼拝を捧げました。最初の賛美歌を歌い始めて、彼らの歌声の力強いこと!主日の礼拝式の出席者とほぼ同じ人数ですが、会堂に響き渡りました。「飼い主我が主よ」を日本語と韓国語で歌いました。韓国の賛美歌は、日本の賛美歌集と多くが重なります。出所が同じなわけです。説教は、テモテの手紙Ⅱの年間主題聖句を学びました。久しぶりに通訳で、お話すると、原稿を用意しておりませんでしたから、途切れ途切れに語ることになり、ずいぶん困難さを覚えさせられました。

★  彼らの証を聞き、当伝道所からも突然の指名でしたが、○○委員、○○委員、○○姉、○○委員が応答されました。・・・わたしにとっては、実は、こちらのほうが、感銘深く聞きました。私どもの教会も、いよいよ成長したのだと思わされたからです。委員会報告にありますが、わたしは、釜山日本人教会へ、日本事務所から、数日間、伝道のために派遣したいとご指名を受けました。委員会は可決しました。のみならず、委員一人を、名古屋岩の上伝道所から派遣する(渡航費などの支援)ことも決議しました。予想もしていなかった、決議に驚かされました。すでに「教会のディアコニア」は動き始めているわけです!

☆  韓国(これも日本と同じことですが、韓国教会のすべてが健全というわけではありません。ご利益宗教のようなキリスト教のことも、しばしば耳にします・・・。)との交流が、どれほど、私どもの教会の歴史観を見直させ、日本キリスト改革派教会創立の意義と使命を際立たせることに通じると確信いたしております。

★  姉妹方の驚くべき昼食、愛餐会のご準備に心から感謝申し上げます。質・量ともに圧巻でした。彼らは、カレーライスづけになっているとのことを伺いましたから、少なくとも、私どものところでは、日本の食事、もてなしの心をと考えました。しかし、姉妹方は、霊的には豊かに力づけられたことと思いますが、準備、片付けではぐったりなさったのではと思います。金起泰先生は、このような奉仕も、恵みです。訓練です」と、さすが、韓国の先生!です。3時間半という短いときでしたが、彼らの主にある宣教の思いを、肌で感じました。日本語に翻訳された証の文章は、出席がかなわなかった方にも是非、読んでいただきたいと思います。

★  韓国の大学生たちを見て、すばらしいと思わさせられた一つは、「素直さ」です。これも金先生が仰いましたが、彼らは、信仰の指導者、牧師のいうことをよく聞くそうです。初対面の牧師であっても、すぐにそのようなコミュニケートができる。だから、韓国の牧師は、「やりやすい」その通りと思います。神の御前に素直な人、従順な人は、必ず成長します。韓国のキリスト者、教会は、この「素直さ」が祝福を受けている鍵なのだと思います。お別れの際、「忘れ物」をしたことなのでしょう、地下鉄に乗る前に、先生方に、叱られていました。金先生と彼らとの交わりは数日なのに・・・。