過去の投稿2006年5月28日

5月28日

★  本日の礼拝式の奏楽奉仕者は、横手多佳子先生にお願いいたしました。午後のコンサートだけでも、 大きな喜びですから、私どもの教会にとっては、たいへん大きな神からのプレゼントです。来月は、講壇交換として、金起泰先生が司式、説教の奉仕をしてくださいます。これまで、すでに20名余りの説教者が私どもの礼拝式でご奉仕くださいました。礼拝式の体験は、牧師であるわたしは、すでに神学生時代を含めれば、おそらく40以上の教会で説教奉仕の経験を与えられたかと思います。しかし、信徒の方々は、多くの場合、この教会の礼拝経験がほとんどですし、当然のことであります。それだけに、本日のプロのオルガニストによる奏楽による礼拝体験は、私どもの教会にとりまして、大きなものである、なる・・・と想像しています。 

私どもの教会には、プロのオルガニストはおられませんが、三人の信仰的、献身的な奏楽者に恵まれています。彼女たちが、日ごろの研鑽を重ね、前週には、集中的に練習して、当日には、心臓をドキドキ(?)させながら、鍵盤に触れておられると思います。そのために、私どもは、毎週の祈祷会で、そして特に土曜日の備え日には祈りを集めます。礼拝式が、天国の前味となるために、説教者(司式者)の存在は、決定的に重要であることは、いまさら申すまでもありませんが、オルガニストのご奉仕も、どれだけ、重要でしょうか。そのために、私どもにあたえられている奉仕者の方々の成長、研修のために、なお祈りを集めなければなりません。その意味でも、横手先生が、私どもの「甘え」を受け入れてくださったことに心から感謝しています。さらにまた、奏楽者の研修のために、なおご奉仕をと、甘えに甘えを重ねさせていただきたいと・・・、考えています。

そして、これもいまさら・・・ですが、礼拝式は、神の民全員で「つくる」もの、「ささげる」ものです。神の民ひとり一人の信仰そのものが、もっとも大切なのです。とても具体的なことですが、そのためには、特に、 備え日の過ごし方も問われます。牧師は、この日、このときのために、生きています。人間の全存在をかけて惜しくないもの。惜しいどころか、それが、主日礼拝式ですね。この命の祭り。天国の祝宴の喜びに、あずかる仲間が、今朝、一人、二人増し加えられますように!!