★ 今週は、大会役員修養会がいつものように浜松のカリアックにて開催されます。いよいよ、60周年以降の日本キリスト改革派教会の歩みが始まります。昨年の大会では、機構改革委員会から、60周年以降の教会形成の「目玉」として、大会教育機関紙の発行のビジョンが掲げられ、大会は、この課題を教育委員会に検討せしめることを決議しました。私も加わっております、教育委員会は、発行のために具体的な答申を次期大会に報告しなければなりません。今回の修養会では、そのために委員長が発題されます。
☆ 私どもは、すべての他中会の定期刊行誌を回覧し、大会的情報を得るように努めています。本日、配布した大会時報は、現住陪餐会員には、無料で(皆様の献金は、一律、大会運営のために捧げられているからです)配布しています。大会時報は、忘れた頃にやってきます。日本キリスト改革派教会は、もとより「中会主義」に立ちますが、大会の規模は小さなものです。まだまだ、全体の交わり(賜物)を結集して行かなければ、日本キリスト改革派教会の堅実な形成は進まないと思います。「時報」が、月報になり、大会全体の情報交換、教育のために変身を遂げるべきことは、重要であると思います。ちなみに、私どもの「教会学校教案誌」は、まさに、教会の全体教育の為の機関誌として用いられる事をはるかに目指して創刊したのです。
★ 先日の連合婦人会の祈祷会の出席者の一人が、「活気」の点で、自分たちとの「差」がある・・・とのことを仰いました。わたしも、婦人会に新しい参加者、洗礼入会者が加わっておられないような印象を持ちました。伝道の課題がここでも、明らかにされています。今、日本は、教育基本法改正、そして憲法改正の流れを一気に決着をつけようという流れにあります。これは、日本の教会にとって、とてつもなく大きな挑戦をたたきつけられていることを意味します。これまでも私どもは、「世俗化」の誘惑の中で、実に、厳しい伝道の状況にあります。しかしもし、憲法改正が成し遂げられるなら、これからは、教会はその存在と活動において、 憲法という最高法規の「後ろ盾」を著しく失うことを意味します。正しくキリストの主権に服する教会であれば、極めて深刻な状況に立ち至る可能性があります。今こそ、「伝道」とは何か、岩の上の開拓伝道のそもそもの出発点-「正しい伝道をしないなら、伝道しないほうがよい。」「わたしたちは、正しい伝道を、旺盛にするために、開拓伝道する」-このことをいよいよ鮮明にしてまいりたいと思います。その一つの試みが、「わたしたちの教会は、憲法を守ります」という告白を伝道新聞25000部に記し、数回、地域に配布したことです。ホームページにも載せています。 大会教育機関誌は、この伝道する教会像の再構築に至らなければ、それをはっきり目指さなければ、何もならないと思います。
☆ 金城学院の学生たち、9名が伝道月間に来られました。講義の一環でしたが、先週、レポートを読みました。最後の部分で、教会と礼拝式への感想が記されています。学生たちの了解が得られれば、匿名で、 ホームページにも紹介したいとの思いを強く持ちました。これは、「本音」の言葉であると信じます。
中学生のときから聖書、キリスト教の授業を受けている多くの学生は、キリスト教に対して好印象を持っていないと、うすうす認識していました。しかしながら、今回、「本物のキリスト教」つまり、「教会」の「礼拝式」、「交わり」を体験して、キリスト教への印象が覆されたのです。生まれて初めて教会に出席した方々も、異口同音に肯定的な印象を持たれました。青年時代に、この経験を与えられた彼女たちは、どれほど祝福されているかを思わざるを得ません。「時間があれば、もういちど教会に行ってみたい・・・」
正直、この奉仕は、「たいへん」です。けれども、一人でもこのような方がおられれば、やはり、がんばらなければなりません。私自身も、励まされたのです。
そして、改めて、皆さんに感謝したいと思います。また、改めて志を一つにしてキリストの臨在が明らかにされる教会と礼拝式にするために、それぞれ全力を注いでまいりたいと願わされます。
「私たちは神から愛の手紙」もう一度この説教を思い起こしてください。牧師は、愛の手紙として説教する。それは、教会(員)を、この世への神からの愛の手紙とするため。牧師は、紙に言葉を刻むのではなく、皆様に言葉を刻む。皆様が、わたしの愛の手紙・・・。そして、神の選びの民は、必ず、皆様を「読む」(理解する)ことができるのです。「ここに、神がおられる。わたしはどうすればよいのか・・・」こうして、求道が始まり、信仰へと至り、遂に、教会員へと導かれる。これこそ、伝道の道なのです。「キリスト教」は、その言葉が出来事となることによって、その真理性を実証します。キリスト者の存在。教会の存在なくして、福音の説得力は上がりません。そこに私どもの使命があります。この教会の存在なしに、私の奉仕は結実しません。