過去の投稿2006年7月30日

7月30日

★  先週の主日午後、名古屋教会、八事伝道所、豊明教会そしてわたしどもの教会、名古屋地区4教会の教師と代表長老、委員が集まりました。名古屋教会と八事伝道所のそもそもの呼びかけによって、先回から豊明と私どもが加わり、そして今回は第4回目の会合となりました。先回の会合は、出張のため出席できませんでしたから、今回が初出席となりました。
思い起こせば、すでに6年前になってしまいますが、私どもの呼びかけで、名古屋教会を会場にして主日の午後に、上記4教会が集まって、研修会(修養会)を持ちました。本当は、この会は、毎年継続することを期待していましたが、残念ながら、状況がゆるさず、たち切れになっておりました。しかし、一昨年には、豊明教会と主日の午後の合同研修会を開催したことは記憶に新しいと思います。改革・長老教会のすばらしさは、中会を「教会」として考える点です。中部中会は25教会、伝道所によって構成されています。地域的には広い範囲にあります。たとえば、カルバンのジュネーブ教会は、それこそ名古屋圏よりもっと小さな地域であったのではないかと思います。そのジュネーブの町に散在する諸教会の交わり、相互訓練がどれほど有益であったかを思います。そうであれば、中部中会の地域単位の教会的交流は、長老主義教会の形成を考えれば、大きな力になるはずです。ちなみに、東部中会はこの7月に東関東中会に分かれましたが、その何年も前から、千葉地区の諸教会の相互の訓練と交わり、伝道協力がなされてきたわけです。
   今回の会合では、名称や組織については、あらためて考えることとし、しかし、来年のよい時期に、4教会合同の修養会を開催する方向で、それぞれの小会、伝道所委員会に持ち帰ることを確認しました。私どもは、積極的に、この研鑽に参加してまいりたいと願います。

☆   本日は、豊明教会の定住伝道者就任式が挙行されます。1年間の無牧の時代を、長老、執事たち、 会員たちがよく乗り越えられたと思います。そこに豊明教会の成長と力が現れています。もとより、中部中会からの代理牧師の小野牧師や説教、奨励奉仕者の奉仕がありました。そしていよいよ、本日、梶浦先生が定住伝道者として就任し、教師試験合格の暁には、牧師就職に至ることでしょう。近隣の教会として、心から喜びます。本日、わたしの特命委員としての奉仕は、梶浦先生への勧告です。わたしが牧師になったのは、28歳。会堂もなければ、教会組織もない開拓伝道の群れでした・・・。牧師として招聘されたのですが、そもそも「牧師」理解が異なっていたのでした・・・。それに比べれば、夢のような明るい出発でしょう。しかし、牧師として真実に生きることは、苦難の道であることは確実です。それを、理解して出発するのか、途中で気づくのか、はたまた気づかないまま、避けて行くのか・・・。結局、「献身」が問われるのです。

★   先週の読書会は、大会執事活動委員会が発行した「執事職について」のパンフレットを読みました。 今後なお、2回はこれを読みます。私どもの今年度の目標は、「教会のディアコニア」でした。上半期が終わって初めて、学びを始まることとなります。ところが出席者(12名)たちの意識はすでに高く、心から感謝しました。「全教会員が執事的奉仕者であるべき」この呼びかけが、すでに全員に浸透しているわけです。しかし、それだけに同時に、こう申しました。「万一、自分はほかの会員と比べて奉仕ができていない・・・」と気後れするような方が一人でも起きないように配慮しましょう。」ディアコニアに生きる教会といえど、全員が奉仕する側にまわることは現実的に不可能のはずです。奉仕を「受ける」会員がいるのが、当然の教会の姿です。何よりも、この奉仕が、教会形成の本質であり、主イエス・キリストの姿から、聖霊に励まされ当然の倫理的結果であることを踏まえつつ、しかし、奉仕によってキリスト者の真価が問われるというような間違った福音理解の誘惑に陥らないようにとの配慮をすることも、しすぎることはないと思わされました。それほど・・・、全会員の執事的奉仕という意識が読書会出席者の共通理解になっていたわけです。

☆  先週、浜松伝道所で代理宣教教師の引継ぎのときを持ちました。浜松伝道所の重要書類一式をすべていただきました。西堀牧師があらためて整えてくださったものが多いように思います。省みて、私どもの伝道所の記録保管のあり方、書記の重要性などなど、反省とともに思わされました。

★  先週の平和集会は、美濃ミッションの石黒イサク牧師をお招きしました。改革派に慣れているわたしには、久しぶりの「福音派」の空気。出席者60名中、13名の牧師。牧師たちの意識の高さは中部中会の頼もしさであると思います。石黒先生とは、8月の「信州夏期宣教講座」の行き帰りに、交わりと議論を深めることを約束しお別れしました。先生のキリストにある大胆、率直な主張に、出席者は励まされたと信じます。