過去の投稿2006年10月29日

10月29日

★  06年度の教会全体研修会が恵みの内に終わりました。大人26名、子ども12名の出席でした。多くの会員が出席できたこと、何よりも感謝なことでした。しかも、「教会のディアコニア」について、集中的に学び、しかも8名の方々の発題のひとつ一つに心打たれました。「ディアコニア元年」は、確実に大きな一歩を踏みしめることができました。今なお、興奮はおさまりません。お配りした「途上」の原稿は、32ページになりましたが、なお整えて行く責任があると思っております。来年もまた、同じ主題で全体研修会を行うべきではないかと考え始めています。その為にも、さらに、読書会、祈祷会を用いて学びを継続したいと考えております。

☆  発題してくださったお一人一人に感謝申し上げます。きちんと原稿を書いておられた方も何人もおられました。また、レジュメを配ってくださった方もおられました。せっかくの貴重な文書です。どうぞ、記録に残しましょう。朝の祈り会で、「皆さん、隠し事はありませんか?」と問いました。○○姉のことです。あのような実践を大学時代に経験されていたこと、初めて伺いました。なんと、おしとやかなのでしょう!もっと早く教えてくれたら、良かったのに・・・。今回、発題なさらなかった方々も、おそらく秘密のディアコニアがあるのではないでしょうか。来年まで待たずとも、今回発題なさらなかった方々の証などを伺いたいと願います。

★  先週の祈祷会で、あらためて学び、確認しました。「ディアコニア」は奉仕の「業」ですから、いきおい自ら率先して「何かしなければ、何かをしなければ」との焦りの思いが強くなることも当然、予想されます。しかし、原稿に記したとおり、何か「しなければ」、神さまに申し訳が立たない、教会の仲間たちに恥ずかしい、申し訳ない、自分だけ「さぼっている・・」(!?)などという「(律法主義的)誘惑」に打ち勝つことが大切です。

☆   わたしは、自分の全存在が主イエス・キリストに贖われた、つまり主のものであること。唯一最高の「ディアコノス・仕え人」主イエス・キリストの御業を受けてキリスト者とされたこと。これを心から喜びとし、最高の誇りとしています。全存在を神のために用いていただきたい、それは、具体的には隣人のために用いていただきたいと願います。わたしのディアコニアは特別の、第一の務め、御言葉の務めです。この務めが、いよいよ実を結ぶようにと願います。全教会員は、おのおのディアコニアへと救われ、召され、解き放たれた者たちです。ディアコニアのために、学び、技術を磨き、情報を集め、祈り、捧げて行く教会へといよいよ御言葉どうりに進み行きましょう。

★  先週の土曜日、東京告白教会の○○長老と夕食をいただきながら、幸いな交わりのときを与えられました。後日、同長老から、ご自分のなさったディアコニア関連の講演、翻訳などの貴重な文書をいただきました。その中で、キリスト者のご両親に育てられ、高校生のとき、講師として招かれた渡辺信夫牧師から、インドネシアのスライドを見せられながら、教会の責任について語られたそうです。それが、ひとつの契機となり、生涯をディアコニアへと献身する決意に導かれた旨のことを知りました。今、大学の助教授をなさりながら、何よりも東京告白教会の長老として全生活をディアコニアへと向かわせつつ歩んでおられます。世の中には、賢い人々が多いです。博士号を持ち、大学教授、教員の方は、数え切れないほどいます。頭の「良い」人「など」、たくさんいます。しかし、わたしはこのディアコニアの学びをしながら、あらためて、学ぶことと生きることとの統合なしに、人間の「賢さ」への傾倒は、いよいよ「罪」のにおいを世界に撒き散らし、汚染させることを思わせられています。神の栄光を求めて、信仰の「論理」で、賜物にしたがって進み行きましょう。

☆   ディアコニアの研修会に出席した契約の子は、高校1年生一人だけでした。-幼児、小学生たちは、貸切の体育館で楽しく、元気に遊びました。研修会を教会の外で行ったことで一番良かったのは、彼らではなかったかと思います!-彼らが、やがて中学、高校生になり、このディアコニアの学びが教会でいよいよ深められて行くなら、彼らの生涯もまた、大きく開かれてゆくことを確信致します。わたしも、大会教会委員会の末席を汚し、教会学校教案誌の編集長も創刊以来担っておりますが、教会の「教育力」とは何かを考え続けています。それは、子どもたちが、徹底的に主イエス・キリストのものとされた喜びと自由に立ち、徹底的に神の栄光(Soli Deo Gloria!)と人々の隣人となることへと生きること、そこにおいて計られると考えております。一人の執事、長老が育てられるということは、どれほどの修練、訓練、信仰の学びが必要かと思う者ですが、彼らが、執事、長老、そして牧師になるように、心から祈ります。彼らには、恵みが豊かに注がれています。私どものディアコニアの「実質」、日曜学校における「実践」の結実は、自分の生涯をどれだけディアコニアへと解き放てる人間へと成長させることができたのかで認めることができると思います。大人から・・・!