過去の投稿2007年1月22日

1月14日

★9日の午前2時に、養父は主の御許に召されました。木曜日に前夜式、金曜日に告別式と葬儀の為に、お祈りをささげてくださいましたこと、この場を借りて、御礼を申し上げます。前夜式の折に報告された弔電を聞きながら、名古屋岩の上教会の祈りを思い、深く慰められました。祈祷会もいつものようにしてくださったことも嬉しく思いました。

   日本同盟キリスト教団横須賀中央教会は、両親と兄家族の母教会です。先ず、母が、私どもの結婚を機に信仰へと導かれました。その後、1999年に父も洗礼を受けたのです。その後、兄そして兄嫁と導かれました。大きな教会で、前任の主任牧師は同盟教団の理事長をされておられた○○先生です。○○先生は、現在も、高齢者の牧会を担当され、また、同盟の諸教会を問安伝道をなさっておられます。先生が、よく病床を訪ねてくださり、信仰を支えてくださいました。
   横須賀中央教会の方々が大勢列席くださり、高齢者の葬儀にもかかわらず、前夜式には多くの方々が会葬してくださいました。何よりも、驚かされたのは、斎場にまで、会員の方々が10名をはるかに越える会員の兄姉が付き添ってくださり、讃美歌を歌ってくださったことでした。火葬にふすとき、もっとも厳しいときを迎えますが、讃美歌を歌ってくださいました。
   また、思いがけず、○○姉が連絡くださったようですが、○○長老ご夫妻も前夜式に列席くださったこともありがたく思いました。

   母は、77歳になります。いわば、高齢になってからの信仰の生活が始まりました。おぼつかない信仰の歩みでしたが、しかし、ちょうど、最後の日となった岡村先生の訪問の際に、母が、先生が朗読してくださった詩篇第23編を、「よかったね。緑の牧場に行けるね。永遠の命を受けて、天国に行けるからよかったね」と何度も駆り返し、父に話しかけたそうです。母の献身的な看護ぶりを見るにつけ、信仰者とされた者、救われた者の幸いを思いました。拙い文章ですが、喪主挨拶として母が語った言葉(抜粋)をご紹介します。葬儀は、未信者の方にとっては伝道と証の場になり、遺族には慰めの場となります。その意味では、父の葬儀もまた、証のときとなりえたことを感謝いたしました。・・・・しかし何よりも、葬儀こそは、最高の神礼拝のときです。「与え、取り去る」主権者なる神、同時に救いの神を賛美し、すべての栄光を父なる神に帰し、神の栄光を仰ぎ見、感謝するときです。
 
     「 今日は、お寒いところ、熊谷 実のためにお集まりいただきましてありがとうございます。
主人の八十五歳の生涯は、戦場での戦いを経て種々な体験をして来ましたが、晩年は神様に導かれ洗礼を受けて、平安のうちに過ごすことができましたことを深く感謝しております。
一年以上の闘病生活も、皆様方のお祈りとお支えとによって穏やかな療養生活ができ、永遠の命を授かった喜びを持って天国に召されました。
主治医に幾たびか最期の宣告を受けたにもかかわらずクリスマス、正月を乗り越え、一昨日、天に召されましたことは、聖書の中の伝道者の書三章十一節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」の、御言葉を改めてかみ締めることができました。
オリーブ会の方たちをはじめ、皆様方のお祈りに支えられ、私も健康が守られ、精一杯、看護できました。ほんとうにありがとうございました。
また、岡村先生には夜中の二時だというのに、病院までかけつけてくださり、全ての手配をして下さいました事、本当になんとお礼を申し上げたらよいかわかりません。ありがとうございました。
最後に、改めて心を込めて葬儀に列席し、慰めをお祈りくださいましたご列席の皆様に遺族を代表し心から御礼申し上げます。 ありがとうございました。」

☆   実際には削除した先週の説教原稿から一部抜粋。「・・・どうぞ、この一年、すべてにまさって大切なこととして、このキリスト者であれば、基本中の基本に立ち返ってまいりましょう。どれほど拙い説教者の説教であっても、自分ひとりで、聖書を読んで信仰生活をするよりは、ましです。自分以外の人が、説く、神の言葉を聴くこと、これが、神が私どもに与えてくださった恵みの手段であり、道なのです。どうぞ、そのような思いで、毎週、毎週の、一回、一回の礼拝式に全存在を傾けてあずかってまいりましょう。そのような緊迫感に満ちた礼拝式が、私どもが毎年、目標に掲げていることです。緊迫感は、言葉を変えれば緊張感です・・・」