過去の投稿2007年2月25日

2月25日

★   先週は、中部中会教師一泊研修会が開催されました。韓国、高神神学大学院教授(歴史神学)のイサンギュ先生が、三回の講義をしてくださいました。教会の歴史をざっとおさらいしてくださり、改革派教会、韓国教会の歴史を「ぐっと」つかんで、私どもに提示してくださいました。

☆   「改革派中部」にも記しましたが、歴史認識の重要性をつくづく思います。何より、聖書じしんが「神の(そして同時にその民の)救いの歴史」という構造で記されています。ですから、とりわけ旧約聖書を読むときには、時代背景が大切になります。そしてその啓示の歴史の頂点として、主イエス・キリスト御自身が来てくださいました。しかも、なお、そこで歴史は完成されず、新しい神の民の物語も、歴史のなかでなされてまいります。使徒言行録は、まさにその教会の歴史的な展開をもとに、神の御業と御心とを示しています。聖書の最後に収められた、ヨハネ黙示録は、この歴史の頂点、ゴールを記しています。

★   地上の教会の課題は、「今ここで」、何をなすべきかを判断し、行動することです。それは、「歴史を把握する力」にかかっているでしょう。それは、「今・現代」をどう見るのか、認識するのか、洞察するのか、その力のことです。いうまでもなく、それは、聖書の視点、つまり、神の視点、終末(再臨・世の終わり)の視点、天上からの視点で見ることです。その眼力を研ぎ澄ますためには、聖書と説教に集中すること。そして、日本の教会の歴史を学ぶことです。歴史を学ぶことは、なにも、何冊もの分厚い歴史書を読まなくてもかまいません。(無論、読むに越したことはありませんが!)歴史の急所をつかむことです。

☆   世界のキリスト教会の歴史のなかで、教会そのものの大転換となったのは、何でしょうか。それは、ローマ帝国がキリスト教を公認宗教とし、ついには「国教」としたことです。これによって、教会は、政治的な権力をも手中にする可能性が起こりました。同時に、政治的な権力が、教会に直接介入する危険性が生じることともなりました。そして両方とも現実となったのです。これが、長くヨーロッパ(西欧、東欧)のキリスト教となりました。それを、「コルプス・クリスティアヌム」(キリスト教世界)と言います。この「コルプス・クリスティアヌム」におけるキリスト教会の姿と、聖書が提示した教会の姿との相違こそが、教会の課題となるのです。

★   韓国は、「コルプス・クリスティアヌム」の体制ではない、東アジアの伝道地です。ところが、歴史の「めぐり合わせ」のなかで、大日本帝国の支配からの国の独立と自治を守ろうとする「ナショナリズム」と「キリスト教」とが、結びついたのでした。キリスト者になること、教会が成長することが、朝鮮(韓国)そのものを解放し、成長させる方向性と一つになったのです。今日、韓国教会は世界中に宣教師を送り、すばらしい働きを国内外でなされています。そのことを、心から感謝する者です。しかし同時に、韓国キリスト教会の課題は、欧米の教会の課題と「同じもの」を担っているわけです。

☆   翻って、私ども日本の教会は、いかがでしょうか。私どもは言うまでもなく、圧倒的少数者です。さらに、キリスト者であることは、その最初の歴史におけるキリシタン迫害にさかのぼって、国家権力者からは、危険視され、憎悪されたのです。キリシタン宣教の勢いは、韓国キリスト教会の戦後の歴史に匹敵するような大きなものであったのではないかと思われます。日本人が、キリスト教を受容することが難しいということは、キリシタン伝道の実例を考えれば、当たらないのではないかと思います。しかし、秀吉や家康にとっては、恐るべき勢力と映ったわけです・・・。(歴史に もしも、はありませんが、もしも、秀吉や家康が、キリスト教と「手を結」んでいれば、日本は有数のカトリックの国になったのかもしれません・・・。そうすれば、少なくとも「天皇制」なるものは、決定的に断絶させられていたのではないかと思います・・・。)

★    明治のプロテスタント伝道は、いわば、伝道前史を受け、日本人に根強かった、キリシタン邪教感をぬぐおうと、必死になったのです。何よりも、国家に対して、受け入れられようという方向を持ったのです。それが、国家とのおぞましい妥協と協力の姿になり、先の侵略戦争への協力へとつながって行ったのです。

☆    戦後の日本のキリスト教会の課題、それは、この日本というユニークな、状況のなかで、まさに「コルプス・クリスティアヌム」(キリスト教世界)を克服する教会形成の課題が与えられ、それがしやすい状況にあるということです。わたしは、日本キリスト改革派教会の創立の使命と意義とは、まさに、そこにあると確信しています。焦らずに、こつこつと正しく伝道し(分かりやすい福音はありません!)、正しいキリスト教会の形成のために、なお励み続けてまいりましょう。 しかし、伝道は急務、畑は色づいていますから、急いで、伝道してまいりましょう!