過去の投稿2007年5月21日

「活動の疲れ、心の傷を癒され」

「活動の疲れ、心の傷を癒され」 男性(70代)

■ 私が生まれて初めて教会に行ったのは、昨年の春でした。それが名古屋  岩の上教会でした。そのきっかけとなったのは、一人のキリスト者との出会いによります。その方の庭で、草取りをしてあげていたとき、その方のお友だちが来られました。二人の楽しい会話の中にわたしも入れてもらうようになりました。話が弾む中で、お二人ともキリスト者であることが分かりました。そんな会話の中で、時折、聖書の話もありました。

■ この方々のお宅には共通して何か聖なる空気が漂っているような気がしました。そんな折、「一度教会に来てみませんか?」と誘っていただきました。それが、名古屋岩の上教会との最初の 出会いでした。誘ってくれた方々に伴われるようにして、来たのです。ちょうど、復活祭の特別の集会の日であったかと思います。

■ その後、日曜日のたびに、都合がつけば伺うようになりました。そんなとき、その方のお宅で、名古屋岩の上教会が発行した「日本キリスト改革派教会は憲法9条・20条に立ちます」というリーフレットを目にしました。とてもびっくりしました。我々の政府を見ている目と教会の政府に対する評価は同じではないかと思えたのです。乾いた喉に一杯の水が入ったような気がして、よみがえったような気持ちでした。

■ しかし、このことで、洗礼を受ける気持ちが決まったわけではありません。その後、 日曜日の牧師の説教で、このようなことがわたしの心に、喜びとして胸を打ったのです。
「神であられるイエス・キリストは、十字架にかかり、苦しみを受け、罪人である私どもの身代わりになって命を落とされた。」「十字架で死なれたイエスさまは、三日目に永遠の命にお甦りになられました。」「私たちは、罪を赦され、神と共に永遠に生きる祝福を与えられた・・・」

■ わたしは、神のものすごい御愛のあったことに気がついたのです。これまでの神さまを信じない罪、神さまに背いていた自分中心の罪を悔い改めることが出来たのです。そして、 イエス・キリストを主と信じることができ、洗礼を受けて教会員になりたいと思ったのです。

■ やがて、牧師に聖書の信仰を教えられ、昨年の降誕祭(クリスマス)に洗礼を受けて、会員に加えていただきました。
今は、これまでの活動の疲れや、神を知らない生き方のなかで受けた心の傷も癒されて、 喜んで信仰の道を歩み始めています。