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「神さまのご計画によって」

「神さまのご計画によって」
2007年5月27日 聖霊降臨祭 信仰告白

 わたしは子どもの頃から、神さまが大好きでした。小さい頃から聖書からいろいろなことを学びました。ですから、何をしたら神さまが喜ばれ、悲しまれるかもしっていたつもりでした。

 しかし実際の生活の中で、神さまの悲しむような罪を犯してしまっていました。高校生になって少し経ったとき、そんな自分が本当に嫌になってしまいました。いったい、どうすればよいのか分からなくなってしまったのです。

ところがちょうどそのとき、中高生の礼拝で、イエスさまが私たちの身代わりに十字架についてくださったお話を聞きました。わたしはその受難のお話は子どもの頃から何度も何度も聞いていたし、理解していたつもりでした。でもそのとき、そのお話、イエスさまの十字架でのみ言葉が本当に心にしみました。「こんな私のためにイエスさまは十字架についてくださったんだなぁ。神さまは本当に、わたしのことを心から愛してくださったんだなぁ」と心から感謝することができました。すごく安心して、すごく嬉しくなって、何か少しでも神さまにお返しをしたいと思いました。それが、信仰告白をしようと思った一番の理由でした。

また、ちょうど中学三年生の春、第一志望であった学校に行けず、第二志望のカトリックの学校へ行くこととなりました。とてもショックでした。しかし母や祖母から「この学校に入ることになったのは、神さまが導いてくださったからなんだよ」と言われました。最初の頃は、そのことを受け入れることができませんでした。ところが、少し経ってから、その意味を実感することができたのです。また教会でも、「わたしたちの人生は、神さまが、祝福されるようにと決めていてくださっている。起こってくる出来事のすべてには意味があって、無意味なことなどなにもない」と学び、安心しました。今では、この学校に入ってから、神さまのことをこれまで以上によく知ることができるようになったと思っています。

 あるとき、友達から「なんでそんなに大変なことがあってもがんばれるの?」と聞かれたことがあります。その時、「神さまはわたしを愛してくださっているから、無意味でつらいことなんて起こらないからだよ」と言うことができました。エフェソの信徒への手紙第1章11節にこうあります。「キリストにおいて、わたしたちは御心のままにすべてのことを行われる方のご計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」わたしも今、神さまの御心とご計画によって、前もってイエスさまの救いの恵みにあずかるようにされていたのだと信じて、感謝することができました。

 信仰告白をするための学びをしたなかで、あらためて「子どもカテキズム」を学びました。人生の目的とは、神さまのことを知り、神さまの栄光をあらわし、神さまを永遠に喜ぶことだと学びました。だから、わたしは、神さまのことをもっともっと知り、なにをするにも神さまに感謝し、栄光をあらわすためにしようと思いました。そのためにも、神さまにあたえていただいた一日一日を大切にし、お祈りしながら生きてゆこうと決めました。

 最後に、これまで教会の皆様がわたしのためにお祈りしてくださったことを心から感謝します。これからは教会員の一員として、わたしも教会の皆さんのためにお祈りしてゆきたいと思います。