過去の投稿2007年7月2日

7月1日

★  先週の読書会は、ディアコニア委員会をかねて行いました。18名の出席は、過去最高ではないかと思います。読書会では、「ディアコニアその思想と実践」の三回目、第二章に入りました。第二章の前半は、初代教会の実践からディアコニアを学びました。まさに、原点を押さえたわけです。教会員の相互扶助からディアコニアが始められました。その根底に、エルサレム教会が自分の持ち物を自発的に持ち寄ってキリストを信じる故に困窮にある教会共同体を支えるというまったく新しい共同体の誕生を見ました。人間の罪、欲望によって自分のものを分かち合うことができない人間の現実の只中に、突如、この共同体が出現するのは、そこに聖霊が注がれたからです。「そこ」とは、キリストの福音(とりわけ山上の説教によって教えられた)によって生み出された使徒たちの共同体です。主イエスが語られ、自ら生きられた神の国の新しい生き方は、教会において実り、出発したのです。そこには、女性すら教会の職務に召され、立てられるというこれも男性中心、男性至上主義の当時の常識の世界に革命的な、180度の変革が起こったわけです。この過激さ、この異質さ、それが、教会のディアコニアの原点です。

☆  ひとり一人の意見に耳を傾けながら、名古屋岩の上伝道所に生きることが許されている幸いをつくづく思わざるを得ませんでした。昨年から、「ディアコニアに生きる教会」元年として学びを始めました。当初は、何をするのか、すべきか・・・と、わたしを含め皆様の中に戸惑いがありました。しかし今回の学び会のなかでいよいよ明らかになってきたのは、私どもの教会がこれまで一生懸命「こだわって」来た、福音の真理(説教)を正しく聴き、応答するところに「おのずから」存在そのものがディアコニアであり、キリスト者と教会の当然の姿であるということです。ディアコニアの実践を急ぎ、右往左往する必要はないわけです。教会の中から、始まるものです。自分が神の国の前進、教会形成のために「用いられる」、そのことを素直に喜ぶこと。同時に、「自分の名が高められる」ことにこだわる誘惑と戦うことです。

★   キリスト者の歩み、それは、共同体の歩みのなかで、信仰の差があります。それぞれの局面で与えられている自分の課題を、自分自身があのような共同の学び会で示される・・・、そこに私ども福音主義教会の醍醐味があると思います。その意味で、何と幸いな集会を私どもは築き上げてきたかと思います。読書会。これからも共に学びあう、互いから学びあう、それもまさに相互扶助のディアコニアの読書会になる・・・。つまり、教会のありとあらゆる営みがそのような「分かち合い」になることを、いよいよ気づき、それだけに自覚的に進めることが「ディアコニアに生きる教会」の実りだと思います。最後に、短くディアコニア委員会として、半年の教会のディアコニアの側面からの評価と感謝がなされました。

☆   先週の説教は、土曜日の午前中までは、破砕手術の疲れ面からも、かつて行った説教をすることに決めていました。しかし、準備を始めてすぐに、今の教会に語るためには、やはり抜本的に手を加えなければならないと考えました。そして、そうであれば、講解説教に戻るべきと直ちに思い返しつつ、準備を始めました。本当に、時間との格闘になります・・・。しかし不思議ですが、いつものように深夜になりましたが、原稿に整えることができました。ただ、寝ぼけていたのか、印刷したのは、前回の説教原稿で・・・。あらためて、お配りします。やはりこれまで以上に、原稿と語った説教とは離れた部分もありました。しかし、説教者は、常に聖霊なる神の導きと守りとを、恐ろしいまでに感じる恵みのなかに生かされています。説教は、わたしの「仕事」ですが、わたしのためではなく、ご自身の御名の故に、与えられるのです。

★  その先週の説教冒頭より、「先週は、中部中会の講壇交換でした。それは、中部中会が一つの教会であることを具体的に表すすばらしい営みです。全中会の牧師がその担任教会を離れて説教しました。しかし会員は、その日、それぞれ思い思いの教会の礼拝に集った人は一人もおりませんし、許されません。どうしてでしょうか。それは、中部中会は一つの大きな教会ですが、それを構成する一つ一つの教会を守り、その教会形成の主体となるのは、現住陪餐会員一人ひとりだからです。その意味で、会員は、自分の仕える教会にどれだけの責任を与えられているかと思います。まさに、名古屋岩の上伝道所を形成する主体は、皆さん一人ひとりにこそあることが講壇交換によって、明らかにされる事実の大きな一つなのです。」読書会・ディアコニア委員会はまさに、その現実を立証するよき集いであったのでした。

☆    教授から、「バーゼル」という著書(新教出版社)を頂きました。興奮して読み終えました。興奮の一つは、「バーゼル宣教会」の存在。そのディアコニアの実践について、読書会で学べればと思います