★ 先週の日曜学校礼拝説教の「暗唱聖句」は、「わたしはまことのぶどうの木」でした。一昨年、教会に植えられたぶどうの木は、昨年は、葉っぱがつき、根付いたことがわかり、小さな楽しみでした。ところが、一週間あまりほっぽっていましたら者の見事に、毛虫に葉っぱを食べられ、変わり果てた姿になっていました。結局、実らずに終わりました。今年こそはと、わたしや家内が毎日のように毛虫を何匹も、割り箸でつまんでは殺しています。それでも、すでに多くが喰われています。しかし、昨年よりは、見事に成長しています。
説教でも言いましたが、ぶどうの実を、子どもたちに食べさせたいと考えています。(伝道所委員会では、余談のなかで、聖餐のぶどうジュースにすれば、そのすっぱさによって「飲み応え」があるのでは・・・などと申しました。)昨年は、ブラックベリーとレモンをほんのわずかですが、皆様にも供しました。今年は、ぼどうが小さな楽しみなればと考えます。説教のなかで、主イエスがお教えくださった父なる神の「手入れ」のありがたさとその熱心に触れました。毎日、手を入れなければ(無農薬)ぶどうは、実ることはないでしょう。わたしどもは、日ごとに「毛虫」を除去していただいているからこそ、キリスト者でい続けることができるわけです。「我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまへ」この主の祈りを毎日祈ることの大切さとありがたさをしみじみ味わいます。
☆ ○○姉から○○○教会への転出願いをいただきました。皆さんからのメッセージカードを読んで決意を固められたとのことです。「背中をドーンと押されました。○○教会の一枝となろう!と決心し・・・。岩の上教会への愛着心にこだわっていると、またダラダラと客員生活が長くなりそうなので、主のみからだの一枝となる最善の道は何かと自分に問い、○○○牧師に申し出ました。」奏楽奉仕への言及についてであったのかもしれません。いずれにせよ、私どもも寂しいこと、この上ありませんが、○○家の主にある教会生活が祝福され、○○教会の形成のために用いられることを思い、早急に手続きをと考えます。
★ 牧師の仕事は、一人ひとり違ったものとなるかと思います。しかし、わたしの場合は、時間との格闘という気がします。いつも締め切り?が襲い掛かる・・・。一つには、どれだけ時間をかけてもかけすぎることがない性質だからです。能力を超えては出来ません。自分との折り合いをつけながら、進むことでしょう。