過去の投稿2007年8月31日

「日本における教会形成の急所-戦争責任の懺悔と謝罪-」  (下)

「日本における教会形成の急所-戦争責任の懺悔と謝罪-」(下)  
名古屋岩の上伝道所 相馬伸郎

中部中会の政治的発言
 中部中会は、06年度第一回臨時会において「中部中会は憲法第9条と第20条に立つ」ことを中会の立場とすることを大多数可決で決議しました。もともとこの決議は、それに先立って、「世と教会に関する委員会」から「わたしたちの教会は憲法9条と20条に立ちます」との意見を前面に記載したリーフレットの発行に端を発しています。委員会は、これを委員会レベルの発行としてではなく、中部中会のコンセンサスを得て、教会(中部中会)として発行すべきであるとの強い確信に迫られ、中会の決議を受けるべく提案しました。ただし残念ながら委員会は、9条と20条の神学的な議論を展開することによって議場を説得するまでには至りませんでした。よって、委員会は、いったん、提案を取り下げ、   臨時会に再提出したのでした。こうして議場は、聖書の信仰が憲法9条・20条の精神を支持することを大多数で決議したのでした。

しかしながら、第61回定期大会や今年の役員修養会においても、9条を日本キリスト改革派教会として支持することへの疑義が、聖書とウエストミンスター信仰告白第二十三章の理解に基づき、提出されました。また既に、04年9月1日発行の「大会時報」には、「憲法第9条は教会の声?」とする主張が掲載されました。

実は、私どもの名古屋岩の上伝道所は、中部中会世と教会に関する委員会決議や中部中会決議に先立って、伝道所委員会の決議に基づいて、憲法9条を支持することを、「伝道新聞」(25000部)を新聞折込し、地域の方々に表明しました。そうであれば、先の中部中会の決議や、私どもの伝道所の行動もまた問題となるのでしょうか。あくまでも個人もしくは有志の団体で意見表明すべきなのでしょうか。わたしどもはまた、教育基本法が改悪された事態を受けて、教会として「断食の日」を設けて、実行しました。中部中会の世と教会に関する委員会も、緊急に、07年度第一回定期会議場にて、「断食の日」を設けて実行することを呼びかけました。応答し、実行された教会・伝道所も少なくありませんでした。

蛇足ですが、「大会・宣教と社会委員会」は、教育基本法改悪への抗議声明文を各個教会、伝道所関係諸団体に送付した折、中部中会世と教会に関する委員会からの「断食アッピール」と、「改革派中部」誌に寄稿した拙稿も添付されました。-いずれも、私どもがお願いしたわけではありません-それを見た「キリスト新聞社」が、2月3・10・17日号に掲載するというおまけまでつきました。 さらに付け加えれば、委員会は、拙稿の意図に基づく文章を、「宣教」誌へ寄稿するようにと求められたわけです。その意味では、ここでは、直接ふれなかった論点や主張の要点だけを再録させていただければと思います。

① 「神学的戦いの再出発をしよう。」
日本キリスト改革派教会創立において、私どもは神学的、霊的に教会の再建を標榜し、もって新日本建設に奉仕することを謳い上げました。今日、我々の状況を信仰的・歴史神学的に認識するなら、あのときのような危機状況へと転落しつつあると思います。歴史を神学的に認識、把握する力を養うことが大切です。

② 「改革派的霊性と教会論に堅く立とう。」
大会会議などで、「キリスト者個人ではなく、なぜ教会として政治的発言をするのかが分からない」という類の発言が目立ち始めている私どもです。改革派信仰は「神の国」のひろがりを視野に入れ、人生の生のすべての場面でキリストの支配をあらわすことを求めます。当然、政治の領域にも及びます。ローマ帝国の只中での「イエスは主・主イエス」という告白がどれだけの政治性を帯びるものとなるのかは、明らか過ぎるほどです。「改革派的霊性」とは、決して心の「内面」だけにかかわるものではありません。むしろ聖書的な意味での「心」、つまり、  感情、意思、精神など人間の全存在を統御する部分において信じさせ、服させるものです。  信仰とは、キリスト者の生活の全場面で生きるべきものなのです。改革派的霊性は、言わば、「政治的な霊性」を涵養するものなのです。現在の状況において、私どもであればこそ貢献できるし、すべき力を提供できるはずです。

③ 「説教の論理で考えよう。」
  「会員のなかには、公務員や当事者となる者もいるから、教会として政治的発言をするべきではない。」このような意見もあります。しかし、教会の務めである説教においては、直接の会衆だけではなく、そこにいないすべての人に対しても聴き取られるべき神の言葉を語ることが求められています。会員の中に誰がいようがいまいが、語られるべき言葉が語られないことは、説教と教会の自殺行為です。そうであれば、教会の公的声明としての政治的発言も、もとより「会議」によることが前提ですが、神から委託された預言者的責任です。

神の民の祈りの家における公私の区別?
わたしは、かつて一人の教師が「教会では公私混同を避けなさい」と長老たちのために語られた講演を伺ったことがあります。わたしも、いわゆる「公私混同」の弊害を認めるのに、まったく異存はありません。長老主義政治において、などと大上段に構えなくとも、教会の会議や委員会において一議員、一委員として自由に意見を述べてもよいし、述べるべきです。しかし、いったん決議されたなら、それに従うことは、この世の常識でもあり、教会人の常識とするところでしょう。

しかし、この世の常識の強調のなかに、大きな危険を覚えさせられました。それは、近年の大会議場での、「政治的発言はできる限り、教会としてではなく、キリスト者個人、一市民として行うべきである」という意見と、相通じる危険性を覚えたからです。「教会における公私の区別」を「公私混同」という論理にもとづいて議論するなら、  信仰と生活とを、二元論的に分けて使いこなすようなあり方へと転落することは、極めて容易ではないでしょうか。教会の自由な議論は、一気に萎縮させられないでしょうか。とりわけ、信徒にとっては、自分の意見は「私的」ではないのかと、大変な圧力を加える結果になるでしょう。

私ども、中部中会は、上述の決議を致しました。世と教会に関する委員会は、議場を神学的議論によって説得することはできませんでした。しかし、決議を諦めたり、先延ばしすることは避けなければと考えました。教育基本法改定は、強行採決によって「あっという間」に法制化されてしまいました。さらには、国民投票法の成立へと続きました。

「あっという間」と記しましたが、事実はそうではありません。戦後一貫して、日本国憲法を押し付け憲法と考え、戦前の歴史観、国体思想を根本的に批判することをせず、むしろ明治以来の歴史を継続させようとするための自主憲法制定を党是とする自民党政権が続いたのです。

この二つの法律の制定の事態を受け、もはや多くのキリスト者が、日本においては、信仰にもとづく生き方を貫くための法的な根拠は、危機に瀕し、ついには憲法改正(自民党草案にもとづく改正であれば、それは、正しくは『改変』というべきでしょう。政治的なクーデターに匹敵する、立憲主義政治への挑戦を企てているからです。)によって、最後的な困窮状況、決定的な危機的事態に追い込まれていることを自覚し始めていると思います。

私どもは、日本国憲法、特に第九条、二十条を葬り去ろうとする恐るべき事態を目撃しながら、なおも、神の民である教会は、教会共同体として公的に語らず、あくまでも私人として、個人あるいは有志の団体を組織してでしか政治的発言をすべきではないのでしょうか。しかし、まさに今日、私どもは、神と隣人から、教会としての態度決定を明らかにすべき、ぎりぎりのところに立たせられているのではないでしょうか。

「ドイツキリスト者」たちが、ヒトラー政権を肯定し、ナチスドイツによるユダヤ人の殺害や侵略戦争を肯定したとき、ドイツ告白教会は、有名な「バルメン宣言」を出して抵抗しました。教派を超えて、この宣言によって一致団結して抵抗しました。なぜなら、彼らは、その時がまさに「信仰告白的事態」、つまり、教会としての態度を鮮明にして立ち上がり、抵抗しなければならない事態にあると理解したからです。彼らは、キリストの主権に服する教会として、何に与することができないのか、何と戦い、何を斥けなければならないのかを単純素朴に表明しました。私見によれば、そこでは、込み入った神学議論を展開してみせていません。(起草者自身は、歴史を画する大神学者であり、キリストの主権に徹底して服そうとする改革神学の根本的志向を認めることができます。)

私ども中部中会・世と教会に関する委員会は、整った神学的議論を展開する能力がないのです。しかし、今の時が、まさに「信仰告白的事態」であるとだけは認識することができ、中部中会もまたそれを共有したのです。

 「改革された教会は絶えず御言葉によって改革される」言わずと知れた改革教会のモットーです。  私どもの教会形成の根本的姿勢です。地上にある教会は、「常に」教会になろうとする「動き」のなかで成立します。ですから改革教会とは、「告白教会」つまり、御言葉によって繰り返し信仰を告白し、  御言葉に応答する教会に他なりません。置かれた時代のなかで絶えず告白するとき、つまり教会が教会になり続けるとき、そのあり方そのものこそが同時に最大の政治的行為ともなるのです。キリストの主権に徹底して服する教会こそ、その時代、国家権力者、国家的権威が悪魔的性格に陥っているか否かを見抜き、これに抵抗し対抗することができるのです。

そこで生命的に重要なのは、語られ、従われるべき御言葉(説教)の問題です。どのような説教がなされているのかが問われます。「福音」を語る説教が、時代の只中で生きる教会の使命をも鮮やかに示す説教とならなければ、時代を見抜き、時代に抗して戦う教会を形成することは、望むべくもないでしょう。説教者の、教会の説教の責任の重大さを、記しておきたいと思います。

日本キリスト改革派教会のあるべき姿とは
 「私が今、考えていること」それはいつでも、一つのことです。教会形成です。当然それは、日本キリスト改革派教会の一枝としての名古屋岩の上伝道所の形成です。それゆえにまた当然、中会形成とも密接につながり、大会の行方とも関わるものとなります。

名古屋岩の上伝道所は、1994年復活祭、牧師夫妻を中心とした自給開拓伝道によって始まりました。その5年後に中部中会に加入させていただきました。加入前は、「創立宣言」を学び、この国に真の教会を建てるための最善の筋道、それは、日本キリスト改革派教会の形成に参与することであると、会員を導きました。加入後は、創立の志をさらに深めつつ、「20周年宣言」の実践に励んでまいりました。今年度の教会標語も、なお「創立20周年宣言を生きる教会-聖霊の力あふれる教会の形成-」と謳い、励んでいます。

加入前の志は、日本キリスト改革派教会の教会形成の筋道こそ、キリストの主権に服する正しい伝道を正しく実らせる道であることを、実際に自らの開拓伝道で証言したいというものでした。 手前味噌ですが、会員に恵まれて、遅々たる歩みかもしれませんが、確実に、前進、形成されています。

開拓伝道開始当初から、私が訴えたことの一つは、「正しい伝道」でした。数少ない会員に対して、「正しい伝道をしなければ、しない方がましです。」と、何度も語り、記してまいりました。おそらく、一般的には、開拓伝道開始のときには、とにかく、広く伝道することに全力を注ぐことが優先されるかと思います。しかし、わたし自身は、岩の上教会の開拓伝道の前に、すでに、ある教派の開拓伝道に従事しました。スパーマーケットの集会室を日曜日午前中だけ、間借りする開拓伝道です。6年間の奉仕のなかで、「いわゆる」教勢は進展しました。土地を購入し、教会堂も献堂しました。しかし、そこで、深く問わざるを得なくなりました。「真の伝道」とは何かです。その問題意識、こだわりがなければ、何も新しく開拓伝道に従事することもなかったのです。伝道と教会形成とを一つにするのでなければ、聖書に即した教会の形成にならない、それが、聖書の御言葉と教会の改革者たちから教えられていたことでした。 ですから、どんなに、困難であっても、単に人を集めて、多くの人に洗礼を施せばよいという道を打ち捨てたのです。(かつて、していないつもりであったのですが、実際には、それをしていたわけです。)キリストの主権に服する教会の開拓、キリストの支配をあらわす教会の形成でなければ、歴史の評価にたえることも、何よりも終わりの日の神の審判にたえることもできないからです。

加入の決断は、「創立宣言」でした。これを読む前は、日本キリスト改革派教会に加入するなど夢にも思いませんでした。そもそも改革派教会の中には、誰一人として友人、知人がいなかったのです。しかし、この地上に真の教会、神の教会をたてあげるために、改革・長老主義の教会形成以外にその最善の道はないと確信していたそのとき、創立宣言と出会いました。これこそ、自分が求めていた道、まさに自分が志している道との思いに、小躍りしたのです。

「開拓」としての「創立」
「創立宣言」の「創立」という言葉に、いささかこだわらなければならないのではないかと、 思います。それは、うっかりすると「創立」と宣言したことによって、すでにある一定の完成形態として存在した、しているという錯覚を抱く危険性があるからです。

日本における多くの開拓伝道の状況は、「のるかそるか」というまさに「背水の陣」を覚悟して担われるものかと思います。その点、日本キリスト改革派教会の場合は、中会や大会、あるいは親教会の周到な準備や支援があることが常識とされています。他教派に比べれば、経済的には圧倒的に整っていると思います。これは、極めて大切なことです。しかし、それでもなお、開拓伝道には、挫折する危険性が少なくありません。開拓伝道は、常に、緊張状況におかれるものなのです。開拓伝道者には、「自分の命さえ」要求するような厳しい現実が立ちはだかっているのです。(テサロニケⅠ第2章8節)

日本キリスト改革派教会は創立宣言によって日本の教会史に画期的な歴史を切り開いて出発いたしました。しかし、そこでの創立とは、あくまでも「開拓」なのです。なお「途上」にあることをよくわきまえることが極めて大切と思います。そのように考えるとき、実は、地上の教会の形成とは、歴史を重ね、大きく安定した教会であってもなお「開拓伝道」に他ならないことが見えてくるように思います。地上における教会の形成とは、すべて「開拓」なのです。それでしかないのです。そうなれば、前述のような献身、緊張感、集中力を失えば、崩れてゆくのです。 

二度の開拓伝道の経験から身にしみて覚えさせられることがあります。開拓を軌道に乗せるために最も大切なこと、基本線は、まさに基本を繰り返し身につけるための努力を怠らないということです。例えば、欧米の改革派教会は、ハイデルベルク信仰問答全体を、毎年、繰り返して学び続けます。この愚直なまでのあり方は、一方で伝統的なあり方ではありますが、しかし、実は、極めて開拓的なあり方でもあるのだと思います。

つまり、私どものモットーである、「絶えず改革される教会」としての自己理解を常に鮮明に持ち、それに生きる限りにおいて、日本キリスト改革派教会をはじめ、すべての教会は、真のそして生き生きとした教会として立つことができるのです。それが「開拓的である」という意味なのです。  改革教会は「安住」しない教会なのです。言い換えれば、終末論的な生き方、天へと頭をあげさせるあり方へと駆り立てられ続ける教会なのです。

    
「創立宣言」第一点と第二点の相互関係
私どもの教会は「創立宣言」を公にして、出発いたしました。宣言の骨子は、二つの主張にあらわされました。宣言の第一点の主張は、有神論的人生観世界観であり、第二点の主張は「信仰告白・長老主義政治・善き生活」による聖書的教会の形成です。前者は、「新日本建設」の唯一の確かなる基礎となるものとうたいました。後者は、一つの見える教会の形成のため、「救いの確かさ」を立証するために不可欠のものとうたいました。

さて、この二つの要点の相互関係を、私どもはどのように捉えてきたのでしょうか。実は、日本キリスト改革派教会のごく基本となるこの点を、今日改めて検証することは、極めて重要であるとわたしは確信しています。なぜならもしも、これらを二元論的に、分離して捉えてしまうなら真実のキリストの教会の形成に致命的な障害となるからです。(実は既に、加入の際に提出した小論で、触れた課題でした。)しかし私見ですが、創立宣言自体のなかに、この相互関係は明瞭になっているとは言えません。それによって、その後の歩みに混乱を生じさせ、それが現在の教会と国家との関係についての混乱、平和についてのコンセンサスの共有が得られない問題の淵源となっていると考えています。

私は、主張の第一点と第二点との関係を、一つの円の外周(外円)と内周(内円)の関係にたとえることができるのではないかと思います。そもそも、地上の目に見える教会のつとめとは、徹底して「神の国の現れ」である「教会の形成」にこそあります。つまり、中心点、焦点は一つなのです。両者の関係をたとえれば、「異なる」二つの中心点を持つ楕円ではなく、円ということになると思います。円における内周と外周との関係です。両者を二元的に捉えるべきか、一元的に捉えるべきかは、単に哲学的な関心ではありません。もしも、二元論的に捉えられてしまうなら、教会と国家、信仰と生活、公と私のように、両者の分離が強調され、二元論的な信仰生活へと転落する危険性が内包されることになるからです。

「公私混同」議論の過ちについては前述しましたが、「政教分離」議論における過ちも、私どもの内部からさへ提出されます。いわく、「教会(宗教)と政治とは別々の領域にあるもので、相互に干渉すべきではない。教会は、政治に口出しすべきではない。」政教分離原則の「基本」とは、政治権力、国家的権威が教会の自律性、信仰の自由を侵害しないように「縛る」ための原理、原則です。教会が、主なる神から委託された神の言葉を預言する務めは、教会の内側だけではなく、為政者や権力者に対しても課せられていることは、旧約の預言者に、そして新約の預言者たちにも共通しています。彼らに時に悔い改めを迫り、時に是正を求めることは、政教分離原則にもとる行為なのではまったくありません。

「神の国」という大きな一つの円がどのように地上に結実するのか、その描かれるべき方策が、第一点、第二点という主張になっているのです。外周が第一点、内周が第二点と考えればよいと思います。さらに、第一点は「遠心力」のように、神の国の外へと広がる力にたとえられましょう。第二点は、「引力・求心力」のように、地上における神の国、教会固有の必須事項へとその関心を集中する力にたとえられましょう。そこには、一種の緊張関係も生じます。しかし相互に向う力があってこそ、その円は、その輪郭を明確にしながら、拡大することができるのです。しかもそれは、  相互に矛盾、対立するようなものではありません。この二つの点があるからこそ、神の国の領域は正しく拡大しうるし、すべきなのです。

「新日本建設の唯一の確かなる基礎」は、「教会の形成」にこそあります。単なる「世界観」にあるわけではありません。新日本の建設のために、真の教会が力強く形成されること、そしてそのためには、教会が置かれている世界、「日本」を課題とすべきであることを告白したことは、実にすばらしいことです。

創立宣言の「新日本建設」と30周年宣言の「罪責告白」、そして我々の課題
 わたしの率直な思いを申しますと、創立60周年を祝った日本キリスト改革派教会は、今こそ創立の目標と志そのものが問われる事態を迎えていると思います。

創立宣言には、「敗戦祖国の再建」、「より良き日本の建設の為」、「新日本建設の唯一の確かなる基礎」という言葉が踊っております。これら文言は、創立者独自の言葉ではありません。むしろ、当時、多くの人々が、さまざまな「祖国の再建」、「新日本建設」の方策を主張し始めていたのです。しかし、先輩たちは、実に少数派でしたが、それは、この日本に「神の教会」を建てること以外に実現不能であると声を出したのです。しかも、この地上にもっとも純粋にして堅固な神の教会を建てるためには、改革派の神学と長老主義政治によって立ち、善き生活に励む神の民を呼び集める以外にないと確信して、日本キリスト改革派教会の創立を成し遂げたのです。創立者たちに、何よりもこの志と決断とを実現させてくださった神に、どれほど感謝してもしきれません。

しかしもしも私どもが、今日、その認識と志とを継承しようとする教会であれば、今更、このような議論を記す必要はなかったのではないでしょうか。私どもは他のどの教会、教団にも劣らず、この日本における宣教と教会形成の課題をその真ん中で担うべき覚悟を持ち、それを実践することが当然の事とされるでありましょう。

確かに、「30周年宣言」には、「創立宣言の主張に立って、教会と国家の関係を明確にし信教の自由と教会の自律性を確立することに努めてきました。」と告白されています。これもまた、すばらしいことです。「30周年宣言」の序文には、すでに、戦争責任を認める言葉が記されています。「私たちは、宗教団体法下の教会合同に連なったものとして、当時の教会が犯した罪とあやまちについて共同の責任を負うものであることをも告白いたします。戦時下に私たち日本の教会は、天皇を現人神とする国家神道儀礼を拒絶しきれなかった偶像崇拝、国家権力の干渉のもとに行われた教会合同、聖戦の名のもとに遂行された戦争の不当性とりわけ隣人諸国とその兄弟教会への不当な侵害に警告する見張りの務めを果たし得ず、かえって戦争に協力する罪を犯しました。」「この時にあたり、私たちは、かつてあの暗い日々に私たちが陥った罪と誤りを主のみ前に深く恥じ、再び繰り返すことのないように主の恵みを求めるとともに、広く日本の諸教会にも、同じ罪に陥ることのないように呼びかけるものであります。 日本基督改革派教会は、聖書にもとづいて、ここに『教会と国家にかんする宣言』を言い表わし、私たちが主キリストの教会として固く立つ原理を確認し、これに従って新しく戦うことを決意いたします。」

もとより、今日の視点からすれば、十分な罪責告白となりえているかどうかは、厳しく問われるでしょう。通常、真実の懺悔には、謝罪が伴うべきでありましょう。ただし、戦争責任の認識とは、時代を経れば経るほど、深くなり大きくなるべきものです。なぜなら、歴史的事実の全貌を把握しやすくなるからです。また、当事者たちに遠慮、配慮する必要も少なくなるからです。それゆえ、軽々に「30周年宣言」の重さと価値を貶めることはゆるされないと思います。

しかし、問題は、敗戦後60年の節目を越えた今、私どもは、「広く日本の諸教会にも」呼びかけるような戦いを継続していると、言いうるかどうかであります。他の教団、教会の取り組みに比べ、むしろ後手に回っているのではないでしょうか。

この宣言に先立つ9年ほど前に、日本基督教団は、戦争責任についての告白を公に致しました。そこでは、戦中に教団統理の名において発表された「大東亜共栄圏にある基督教徒に贈る書簡」(アジアのキリスト者に天皇の神社への参拝を強要する書簡)を取り消すために、「世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。」と記しました。これは、当然のことではありますが、極めて重要なことでした。真実に謝罪し、赦しを請い、神に悔い改めるところからしか教会形成の歩みを真実に再出発させることはできないからです。ただし、教団の罪責告白は、「加害者」として自己を断じる点が極めて乏しいのです。しかしそれは決して他人事ではなく、私どもの文章にもまた、「加害者」意識が希薄なのではないでしょうか。

何度でも、繰り返して申します。私どもは、  あの戦争時代に偶像礼拝を犯して異端化しました。さらにはアジアのキリスト者に対しても偶像礼拝を強要しました。天皇のための戦争を支持し、  加担し、他国民と自国民の生命と財産を奪いました。私ども日本キリスト改革派教会の形成はもとより、この日本におけるキリストの教会の形成の「急所」は、「イエス・キリストは主である」という信仰告白を裏切り、否定した罪、キリストの主権に最後まで忠実に服することを放棄した罪、 その結果として甚大な戦争犯罪に加担した罪の認識にもとづく悔い改めを徹底させることにあります。その深まりによって、私どもの真実の再生、再出発が可能となるのです。そもそも、これなしに、「因りよき日本」や「新日本の建設」を目指すことはもとより、この日本で福音を宣教し、教会を形成する働きに仕えることは、神の御前で不真実であり、隣人の前では偽善でしかありません。

あのような罪を犯した私どもが、なお、この国で福音を証し、この国におけるキリストの教会の形成に奉仕することが赦され、その特権が与えられていることに、おののきを禁じえません。それゆえ、同じ過ちを二度と犯したくありません。  しかし現実は、どうでしょうか。かつてのようにすでに、声を挙げることを控えつつあるのではないでしょうか。そうであれば、既に同じ罪を犯しつつあるのではないでしょうか。

提言
最後に一つの提言をさせていただきます。今、大会として、焦眉の急の一つは、戦争と平和について、憲法9条についての公的な見解、たとえば「平和の宣言」を公にすることではないでしょうか。大会の宣教と社会に関する委員会によって、提案が出され、草案が整えられたらと願うものです。もし、その手に余るのであれば、あるいは憲法第一分科会と共に、草案を出すということはできないでしょうか。もしも、大会で決議、告白出来ないのであれば、いずれかの中会において、「平和の宣言」を公にすることはできないでしょうか。ことは急を要します。その意味で、ここでの「宣言」は、従来のような重厚なもの、審議手続きも慎重なものでなくともよいのです。日本キリスト改革派教会の「声明」として公にするのです。聖書の信仰とウエストミンスター信仰告白(特に第23章の歴史的解釈)にもとづいて、平和・9条について今こそ、教会の立場を鮮明にすることは、教会の社会的責任のはずです。なおしかし、蛇足ですが、どのような宣言を出しても、それを主体的に受け止め、実らせてゆく努力を怠れば、惨めな行為に転落します。

「主御自身が建ててくださるのでなければ  家を建てる人の労苦はむなしい。」(詩篇第127編1節)この御言葉は創立宣言の劈頭に、刻まれたものです。あの時代、この御言葉はまさにリアルに響いたことでしょう。しかし今も、御言葉の確かさは変わりません。神に建てられた教会も国家も、歴史に学ばず、神の御前に平和や人権をないがしろにすれば、立ち行くことは決してありません。神に建てられたことを知る教会は、国家もまた神に建てられたことを知らせる務めを与えられています。また、教会は、必要に応じて、国家的権威、権力者を正しく批判し、悔い改めを預言しなければなりません。その尊い務めを担うべき教会は、先ず、自ら、徹底的に神へと悔い改めることが必要です。その実りを結ぶ努力に徹することが必要です。

もはや二度と、神と隣人にあのような罪を犯すことがないように、神よ、憐れんでください。聖霊によって、私どもに冷静に神学する知性と立ち上がる勇気を与え、死に至るまで忠実であらしめて下さい。 アーメン。
Soli Deo Gloria!