★ 先回の「夏期宣教講座」の続きともなりますが、いのちのことば社より「それでも主の民として」ブックレットが刊行されました。講座は毎年、このように公にされています。その中で、日本キリスト教会横浜長老教会の登家勝也牧師のものが特に心に残りました。先生が、「発見術としての悔い改め」という言葉を語られ、「その通り!」と深く頷きました。先回の読書会で読んだ拙稿の一つの主張は、このことでした。預言者の本領は、的確に事柄を言い表すことです。まさに「発見術としての悔い改め」はそのような言葉でしょう。つまり、神に悔い改めることによって「のみ」、真理を、事柄の奥底の問題を見出すことができるということです。これこそ、聖書の真理、メッセージです。「悔い改めない人」には、真理が見えない、目潰しを食らわせられるのです。見ようとしないからです。罪を認めると、自分が崩壊し、国が崩壊すると信じているからです。
☆ 先週のローマの信徒への手紙の説教でも、「わたしはここにいる。」「一日中、手を差し伸べた」とのイザヤの言葉を使徒パウロを通して聞きなおしました。わたしを通して、皆さんに聴いて頂きました。神の御前で、偶像を礼拝したイスラエルの破廉恥な罪。この罪を三代、四代まで及ぼされるのは、神の御言葉によって当然のこと。つまりこの御手は、「ぶん殴る」手であるべきです。しかし、包み込む手。そのときに、主の民に悔い改めが起こるのです。赦されることのなかで、悔い改めが与えられます。神の御顔の前(コーラム・デオ)で生きるリアリティ(現実)を、私どもは、毎週礼拝式とりわけ先週で言えば、聖餐の礼典で共同体験し続けます。この体験なしに、悔い改めは起こりません。日本の教会形成の再生、再出発があるのなら、それは、いささかくどいですが、「教会(神の民)の戦争責任」の悔い改め以外にあるはずがありません。私どもの教会は、今、いよいよこの事柄に目が開かれつつあるのです。先週記した、渡辺牧師の奨励ですが、私どもの、掘り起こし作業はまだまだ「甘い」と言わねばなりません。
★ 先週、上田教会の女性長老より、「上田教会歴史資料集(一・二)」を送って頂きました。上田教会は、あまり知られていませんが、日本で二番目に古いプロテスタント教会です。資料集の中には「お宝」がありますが、何より同封の、上田教会で語られた、登家牧師の説教に、まったく打ちのめされる思いがしました。「主の民の王は民のために苦しみ死ぬ」という題で、マタイ第27章33-36節の説き明かしです。御言葉に固着して、それ以外のものは語られない。そして、あの十字架で起こった事柄が、徹底して読み取られ、説かれます。70代の牧師であればこそ、語ることができるのか・・・。お若いときからなのか。説教については、自分なりに学び続け、広く読んでも参りましたが、「流行の説教」ではありませんが、なるほど、ここに釈義説教の精髄があるのだと思います。確かに、信仰の初歩の方には、とっつきにくさがあるでしょう。しかし、「主の民」には、必ず届くはずですし、そこに主の教会が形成されるに違いありません。皆様にもぜひ、読んでいただきたいと思います。また「憲法問題 肝心要のこと」という上田教会での講演も「お宝」です。どうぞ。
☆ 先週の伝道所委員会では、「中部中会伝道委員会の問安」について懇談のときを設けました。中部中会は、先の会議で、教会であっても、申請すれば経済的支援を受ける道を開きました。私どもは、開拓13年目を迎えています。いつ、自給教会となる、なれるのでしょうか。このことを、もっと祈りの課題として正面に据えるべきことが語られました。もう一つのこと。これは、祈祷会でも触れましたが、わたしの伝道牧会開始20周年のことです。来年は、一つの区切りです。自分なりに、これからの20年が、当然、これまでの経験と学びの総合的訓練を受けたのですから、さらに勝れる奉仕の実りを結ぶことは、召しだしてくださった主への当然の忠誠です。そのために、自分自身の祈りの課題としますが、皆様にも祈っていただけるなら幸いです。何よりも、委員方の「熱い」支持は、名古屋岩の上伝道所に仕える光栄と特権、誇りの一つです。
★ 「教会学校教案誌」第27号の「まえがき」に木下牧師が、このような言葉を記されました。「神がこのわたしの生活にどのようなことをしてくださったかということが、往々にしてわたしたちの関心になりがちなのではないでしょうか。けれども、聖書を読むと言うことはボンフェッファーが上で語るような、まさしく逆転ともいうべきことが起こるということではないかと思います。」ボンフェッファーは、キリスト者、神の民の現実は、「聖書」の中に、その「歴史(=救済史)」の中にあると言います。この歴史こそ、私どもの歴史なのです。上述の真理とまさに同じことを言い表しているわけです。
☆ 第27号所収の「いのちのぱん」は、締め切り日を間違え、ほぼ一週間、冷や汗をかいて、書いたもの。日曜学校の子達に、よく用いられますように。