過去の投稿2007年9月23日

9月23日

★  先週は、中部中会信徒研修会が、瀬戸の労働者研修センターで開催され、400名あまりの兄弟姉妹が集いました。私どもの伝道所からは、23名の出席者で、初めての参加者もおられました。他中会では、このように一同が一つ場所に集ることは、ありません。中部中会の一つの特徴であり、祝福であることは間違いないでしょう。信徒が、中部中会が一つの大きな教会(全体教会)であることを体で知るよい時です。しかし、今年が、あの場所での最後の研修会でした。来年は、宿泊や場所のことは、なお未定です。願わくは、緊張感みなぎるよい講演、礼拝となりますように。そして、来年も、信徒同士のよき交わりが交わされますように。

☆  最後の時に、大勢の子どもたちが壇上に登って、練習した賛美を歌ってくれました。とても多くの子どもたちが集りました。中部中会の「生物学的成長」は、なるほど間違いないわけです。契約の子たちの信仰と霊性はまさにその親や教会の信仰と霊性が反映されるものです。彼らを、信仰告白に導くことは当然のことですが、深く主を愛し、教会のために生きる青年、大人へと成長させることが課題です。それを考えるとき、即、親の、大人の信仰の生活、姿勢がよき模範となるようにと、いよいよ主に助け求めたいと思います。

★  講師は、仙台教会の吉田隆教師。昨年の60周年記念信徒大会の主講師の一人でした。「日本キリスト改革派教会の再生に向けて」という大きな主題が立てられて、第一講演は、「新しい教会像を求めて」。第二講演は「新しい信徒像を求めて」でした。「新しい」と言うことで、「新奇」?「新規」?な事柄が語られたのでは、まったくありません。むしろ、私どもにとってあまりに当たり前のことが、深く、丁寧に語られたのです。吉田先生は、「福音」が語られ、生きられることこそ教会の新しさであるとの主張です。まったくもって、当然の聖書のメッセージです。しかし、その聖書の真理を、はたして私どもの教会が正しく、深く掘り当て、それに生きているのかどうかが、問われるのです。

☆   福音が、福音だけが、教会を満たしているのかどうかを、教会は、常に問い続けなければなりません。そして、そのことを徹底してなそうとするところに、「神学」が必須となります。また、制度的にそれを担うのは、教師は当然ですが、何より長老です。長老こそは、「説教の結ぶ実り」を見守るのです。もしも、説教の実りがないのであれば、説教(者)に問題があるのか、あるいは会員に問題があるのか、両方にあるのかそれを識別するのです。そして、正しく、ふさわしく「牧会」の務めを担うのです。しかし決定的に重要なのは、説教者自身の信仰と献身です。自己修練です。これなしに、教会は変革の道を失うのです。先週、尊敬する先輩教師との話のなかで、「牧師こそ、「免許更新制度」が必要ではないか」と。思わず、声をあげて笑ってしまいましたが、すぐに、「本当に!」と答えました。もとより、説教者になるため、説教免許試験が神学生には課せられます。卒業後には、牧師任職のための試験が課せられます。日本キリスト改革派教会の場合、最短では、卒業後1年目で、聖礼典の執行ができます。他教派では、考えられないスピードです。試験そのものは、難しいと思います。しかし、過去問題があるわけで、試験勉強をするなら、それほど難しいものではないことも事実でしょう。(わたしのように、そもそも、この試験を受けていない者が、言及する資格はありませんが)ペーパー試験は、極めて重要です。しかし、何よりも重要なのは、人物考査でしょう。その霊性、伝道への取り組み、牧師職への召し・・・。それらを判定するのは、「中会」の権能です。牧師を生むのは、神学校。そこに入学するのは、通常は、日本キリスト改革派教会で育った信徒です。そうなれば、牧師の「質」は、教会の「質」に遡及するでしょう。大会では、神学校の改革のための教職養成特別委員会が立てられています。(大会時報195号)私も、日本キリスト改革派教会の再生の要は、神学校の課題と今も、強く思っています。しかし、それは、結局、神学生を生み出す原点の各個教会の課題になるのだ・・・との思いをいよいよ深めています。そうなれば、日本キリスト改革派教会の「再生」は、神学校の教師たちをどうするかという問題よりはるかに、巨大な課題になるわけです。
 話を戻しましょう。福音に生きる教会だけが、新しい教会像、新しい信徒像を常に起こすのです。その福音だけが、私どもの教会を支配し、生かすものとなること。開拓伝道とは、会員全員で、この意識を鮮明にもって、教会形成の戦いに進むことが必須なのです。

★   祈祷会でお伝えしたとおり、中会伝道委員会の問安は、委員会の事情で、延期となりました。先週、 今週と臨時の伝道所委員会が続きます。今、私どもの伝道所は、さまざまな面で「危機・転機」を迎えています。危機は、まさにチャンスです。しかしそれは、自動的に進むわけではありません。今こそ、「開拓の志、加入の志」に堅く生きるべきです。そして、それは、特に、祈祷会で心を合わせて祈ることが必要です。