過去の投稿2007年10月21日

10月21日

★   先週の小塩海平長老のディアコニアの講演は、圧巻でした。延べ、2時間。豊かで中身の濃いものでした。私自身、感銘深く聞き入りました。何よりも、まことに僭越ながら、レジュメの1で取り上げられた「東京告白教会伝道所」(というこだわりの名称!)の開拓の志-御言葉に従う教会、他教会に仕える教会、少数者の教会、戦う教会-は、私どもの開拓伝道の志とも重なるものなのです。私どもは、渡辺牧師の足元にも及びませんが、「この日本に神の教会を」という言わばキャッチフレーズのなかに、現状の教会が、まことの「神の教会」として形成されているのか否かという厳しい問題意識と批判の意識がありました。又、「この日本」とは、神の教会としてのキリスト教会を徹底して排除する荒地を意識しています。

☆  私どもの教会で語ることが、「語りやすい、言葉が通じる」との感覚をもたれたと何度か仰いました。これも光栄であり、幸いなことです。日本キリスト教会も、信仰告白の一致に基づく改革教会の伝統を継承することを志しています。そして長老主義政治によって教会の聖さと一致を保持する制度を持っています。しかしながら、同じ、日本キリスト教会や東京中会で語るよりも、語りやすいのであれば、それは、まさに私どもの教会の「志」と一致しているからではないかと思います。

★  私どもの教会の創立宣言は、毎週告白している「使徒よりの唯一の聖なる公同教会」の地上における具現化のために、「一つ信仰告白」「一つ教会政治」「一つ善き生活」の三つを具備すべきことを確信するとうたいました。改革・長老教会とは、信仰告白と長老主義政治においての一致、その絆を重んじます。その点、「善き生活」の一致をうたったことは、明らかに私どもの「特徴」と言えるでしょう。「教会のディアコニア」は、「善き生活」の中で考えることもできるでしょう。東京告白教会の志と私どもの志とは、深く共鳴するのです。信仰も制度(政治)も、善き生活の実りを結ばしめるものです。

☆  講演の基礎となる聖書のテキストの引用は、マタイによる福音書第7章13節~25節でした。「狭い門から入りなさい!」つまり「少数者の教会」というのは、教会が、自分の好みや流儀で、かってに「わたしたちは、少数精鋭でやるのだ」などということでは全くありません。主イエスの御言葉の真理によって、予告された道なのです。(この狭い門と狭い道を発見できるのは、人間の力ではありません。ただ、神の選びです。そこに私どもの幸いと謙遜があります。わたしという(太い)人間がこの狭い門を通過させていただく奇跡は、主イエス・キリストの贖いの御業ゆえです。)

★  「偽預言者を警戒しなさい!」との主イエスさまの御言葉もまた、私どもの心に重く投げかけられます。偽預言者たちは、その「実」によって、自ずと分かる、見分けられるとのことです。偽預言者とは、偽の説教者のことです。その実で、分かると仰せになられる主イエスさまの御言葉に震える思いです。実とは、まさに善き生活のことでしょう。神を愛し、隣人を愛する掟に生きる生活です。それが、ディアコニアの心です。教会の一致の基礎、絆を、「善き生活」におく私どもにとっても、この「よい実を結ぶ」キリスト者のあり方は、重大な意味を持ちます。

☆  小塩長老は、私どもの教会名の由来を、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」と考えられたと仰いました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」との主イエスの宣言に基づきますが、もとより、この御言葉も私どもの忘れられない御言葉です。

★   小塩長老は、ご多用の中、徹夜で、原稿の準備をしてくださいました。後日、皆様にお配りし、できれば、来週の読書会で、おさらいを丁寧にしたいと思います。そして、この実りを、中部中会の諸教会にもお配りするつもりです。東京告白教会が講演会をする一つの狙いは、地域の人々に、キリスト者の優れた専門家を紹介することと仰いました。私どもの今回の講演会は、そのような責任もあると思います。専門の学問もまた、地球環境にも関わることでありましょうし、東南アジア、インドネシアでの働きもあり、まさに国際的ディアコニアに関わるのではないかと思います。訳書の「ディアコニア」(クリンケン著)は、改革教会の方々にも重要な教科書となっています。なんとか、執事活動委員会などでも、小塩長老が講師として立てられ、広く恵みを分かち合うことができればと祈る者です。何よりも、東京告白教会と小さな開拓伝道の名古屋の私どもが、教派を超えて、主にある深い絆で結ばれる端緒となりましたことを心から感謝しています。