過去の投稿2007年12月8日

12月2日

★  先週は、板宿教会への伝道奉仕のため出張いたしました。思えば今年は、3月に、西部中会主催の講演会で園田教会に参り、大会でも大阪に参りましたので、近畿圏に親近感を抱くようになりました。板宿教会では、○○姉たちとの久しぶりの再会。印象的なのは、○○君が初めて出席した教会で、最初は、受付のところでとても緊張していた様子でしたが、礼拝式後には、子どもたちとまったく打ち解けて遊んでいたことです。わずか数時間でのことです。成長を思います。また、○○ちゃんも大きくなり、久しぶりに抱っこしました。また、○○姉もとてもお元気で奉仕に励んでおられる様子。日曜学校の教師の奉仕も担われているとのことで、とても嬉しくなりました。○○ちゃんも○○ちゃんもそれぞれ、かわいく成長していました。ご主人も、仕事の関係でなかなか出席がかなわなかったそうですが、丁度、日程が合い、家族で礼拝出席。そして、主にある再会を果たせました。岩の上の小さな同窓会のようでした。板宿教会は、大震災でもびくともしなかった礼拝堂。以前、神港教会で奉仕させていただいたとき、日本キリスト改革派教会ではもっとも大きな礼拝堂と思いましたが、新築される前であれば、板宿教会が一番大きな礼拝堂であったかもしれません。朝日が豊かに注がれる礼拝堂です。帰路、新幹線は、秋の行楽客で、すし詰めで、デッキで立ちっぱなしでした。

☆  土曜日から泊まる手配をしていただいたのですが、わたしの準備や忙しさのため、主日の朝に到着させていただきました。駅から徒歩2分という好立地です。伝道礼拝ということであったのでしょうか、当日歌う賛美の練習をしていました。これは、関教会でも同じでした。山中牧師が、司会をしておられました。このような主旨のことを仰っていたのが、とても印象的でした。「礼拝賛美は、一つには、自分自身の神への感謝、賛美のささげものです。しかしまた同時に、共に礼拝する仲間への呼びかけでもあります。共に神を賛美しようとの招きにもなります。詩篇にあるように、私と共に主を賛美せよとの思いで歌い、捧げましょう・・・。」伝道礼拝式ですから、会員の歌声そのものがキリストを証しすることになります。しかし、特別の礼拝式でなくとも、まったく同じことが言えるはずです。幸い、私どもの会衆賛美は、そのような自覚をもった方が多いせいか、元気です。学生たちの礼拝感想で、しばしば言われることは、オルガンと讃美歌のことです。説教については、レポートしなければなりませんから当然触れます。しかし、讃美歌を歌う局面が、どれほど新しい方にとって大切な働きであるかがよく分かります。本日の月一度の礼拝式後の賛美練習が、豊かに用いられますように。

☆   先週もまた、瞬く間に一週間が過ぎてゆきました。土曜日になって、板宿教会への礼状を送ってないことにあらためて気づき、不明を恥っています。伝道新聞の校正、印刷をしたことも一因かもしれません。輪転機を両面で、55000回転させました。しかし、今回のレイアウトは○○兄、また印刷も○○委員が御奉仕くださいました。いよいよ、伝道の働き(伝道新聞)も牧師の主導ではなくなって来ている事を喜びます。このために、ざっと12万円余り、支出しました。しかしそれでもなお、緑区の全域に届けるにははるかに及びません。私どもの来年度の経済体制は、いよいよ厳しくなりますが、伝道活動の停滞は、避けたいのです。

★  これに関連しますが、伝道所委員会は、9月11日から、毎週のように臨時の委員会や夜の祈祷会の折に、打ち合わせをしながら、中部中会伝道委員会との折衝について検討してまいりました。明日の定期会後になれば、皆様にも全体像を報告できるかもしれません。いずれにしろ、この面での私どもの熱心が、外側からも問われているのです。

☆   横手先生から右記のメール(抜粋)を拝受しました。「聖霊の働きを感じる教会で礼拝奉仕を許され感謝しています。礼拝後の交わりも心温まるものでした。」その後、一人の委員からも右記のメール(抜粋)を受けました。 「会の終わりには、横手先生が教会から相馬先生を金城学院に送って下さっていることに対して私ども教会員に感謝の言葉を述べられ、今真に金城学院に必要なのは、教会の持つ空気、ここは世の中の基準や、価値とは違うものを大切にしているところ、そういうものを感じさせるところでなくてはならない。というようなことをおっしゃられ、それは今金城が失いかけている、神様を信じて生きていくその姿勢をはっきり示すこと、そのために相馬先生の講義はかけがえのないものなのであり、そのためにはまた喜んで岩の上のご奉仕に夫婦で伺います!ともおっしゃって下さいました。そのお言葉に○○委員が、来年度も牧師を送り出しますのでよろしくお願い致しますと述べられました。」 感謝のみです。