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「クリスマスー神の命のプレゼント」 アンパンマン

「クリスマスー神の命のプレゼント」
2007年12月16日
テキスト ヨハネによる福音書 第6章26-35節 P175
「 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。
わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
 

 今朝は、親子合同礼拝式として神さまに礼拝を捧げています。クリスマスの喜びは、子どもにも大人にもすべての人に告げられるべき報せです。そしてその喜びの知らせを聞いて信じた人たちで作られるのが教会、キリスト教会です。ですから、岩の上教会には、小さな子どもも年を重ねた人たちも、皆が一つになって礼拝式を捧げます。そんな場所で、この世界にはほとんどありません。イエスさまが作り出してくださった場所、共同体、神さまの家族なのです。日曜学校の皆さんは、この教会の一部分です。いつもは別々に分かれて礼拝しますが、今日のこのときを心から嬉しく思います。

 今、読んだ聖書の箇所は、長い箇所です。その全部をここでお話しする時間はありません。短いイエスさまの自己紹介だけを学びます。

 でも、このお話がどのようなことの続きのお話なのかだけは、とても大切ですから、少し説明しま
す。
イエスさまは、お腹をすかせていた5000人の人たち、男の人だけで5000人ですから、少なくとも10000人あまりの人たちを、一人の少年が差し出したお弁当、お弁当の中身は、五つのパンと二匹の魚です。きっと、この男の子だけのお弁当ではなく、家族みんなのお弁当であったと思います。もしかするとお父さんとお母さんと兄弟三人なのかもしれません。5つのパンですから5人で一つづつ、二匹の魚は、お母さんが5つに取り分けてくれるのかもしれません。ところが、男の子は、自分の、正確に言うと自分の家族のお弁当を、イエスさまに差し出したのです。そのとき、イエスさまは、神さまの奇跡を起こして、このお弁当を1000倍にも1万倍にも増やしてくださったのです。

この一人の男の子は、お弁当を持っていました。周りの人たちは、お弁当のもっていないのです。皆さんなら、どうしますか。

こっそり食べる。見せびらかしながら食べる。皆に悪いので、がまんする。周りの人たちに少しだけ分けてあげる。この名前も分からない男の子がしたことは、このお弁当をイエスさまを差し出すことでした。少なくとも、イエスさまには食べていただきたいと考えたのかもしれません。

さて、皆さんはアンパンマンのことを知っていると思います。先生は、あまり見たことはないのですが、最近、とても関心を持つようになりました。それは、アンパンマンが、イエスさまととてもよく似ていることに気がついたからです。

アンパンマンは、どのようにして作られたのか知っていますか。それは、パン工場の焼きがまの中に、天から「命の星」が降ってきたことになっています。

それならイエスさまは、どのようにして僕たち私たちの住むこの世界に来られたのか知っていますか。それは、天におられる神さまが、神さまの御子が、マリアという女性のおなかに、聖霊によって宿られたことによります。そしてクリスマスの夜、赤ちゃんとしてお生まれになってくださいました。天と地の造り主なるまことの神さまが、高い高い天から、人間となるために降りてきてくださったのです。それは、僕たち私たちが決して独りぼっちで、寂しく、そして苦しみ、悩んで生きることがないようにするためです。

アンパンマンは、村に住んでいる人たち、特に、困っている人たちを助ける正義の味方です。みんなのヒーローなのです。

それならイエスさまは、どうでしょうか。イエスさまこそ、スーパーヒーローです。イエスさまは、いつも弱い人、悩んでいる人、苦しんでいる人を見つけ出してくださいます。そして、そのお友だちとなってくださいます。病気の人を癒してくださったり、そればかりか、愛する人が死んでしまって、どうすることもできずに悲しみ嘆いているところに行って、その人を生き返らせてくださいました。

実は、このアンパンマンのアニメを作ったのは、やなせ・たかしさんと言って、イエスさまを信じているキリスト者なのです。やなせ・たかしさんは聖書を読んで、イエスさまを思って、このお話を、このアンパンマンのキャラクターを考えたのだと思います。

先生が、アンパンマンのことを知ってとても驚いたことがあります。これまでのヒーローとは、ぜんぜん違うところがあるのです。それは、お腹をすかせている人に、「あんぱん」を与え、食べさせてあげるのです。そのあんぱんは、コンビニやパン屋さんで買ってきたものなのではありません。そのあんぱんは、自分自身の顔なのです。自分の顔を食べさせてしまうのです。そうすると、アンパンマン自身は、力がなくなってしまうのです。自分を犠牲にして、しかもそれで自分が弱くなってしますヒーローなんて聞いたことがありません。

やなせさんが通っておられる教会は、毎週の礼拝式で、必ず、聖餐式をお祝いします。岩の上教会では、来週、洗礼入会式の後に、聖餐式を行います。それは、パンとぶどうジュースを、洗礼を受けたキリスト者にふるまう、言わば、とても小さな食事会です。そこで、先生は、必ず聖書のこのイエスさまの御言葉を読みます。パンを手に高く持ってこう言います。「これは、あなたがたのために裂かれたわたしの体である。わたしを覚えてこのように行いなさい。」

イエスさまは、先ほど読んだ聖書の御言葉のなかでこう仰いました。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」イエスさまは、ご自分をパンにたとえられました。アンパンでもカレーパンでも、食パンでもありません。普通のパンではありません。命のパンです。普通のパンなら、今朝食べても、また明日も食べなければお腹がすいてしまいます。けれども、イエスさまのパン、命のパンを食べる人は、決して飢えることがない。イエスさまを信じる人は、そのような命のパンが与えられるというのです。それは、イエスさまご自身のことだからです。そんなパンは、コンビニでもパン屋さんでも、どこにも売っていません。

「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」世とは、この世界のことです。この世界に住んでいるすべての人間のことです。今日も、皆さんは、朝ごはんを食べられたと思います。人間が生きるということは、食べ物を食べ、飲み物を飲むということです。これなしには、生きていられません。けれども、死ぬまでに何万回も朝ごはん、昼ごはん、夜ごはんを食べても、ただそれだけなら、人間は、いつか必ず死んでしまいます。人間は体のご飯だけではなく、心のご飯が必要なのです。心のご飯は、優しさや思いやり、愛です。イエスさまは、命のパンです。このパンを食べるということは、イエスさまを信じるということです。イエスさまを信じると、イエスさまのあふれるようなやさしさと愛を注がれます。どれくらい優しいのか、それは、あの自分のお弁当を差し出した男の子の優しさに近いです。あるいは、アンパンマンのように自分の顔、自分のアンパンをあげてしまう優しさに近いです。イエスさまは、僕たち私たちを愛して、ご自分の命まで犠牲にして、与えてくださいました。それが十字架の上で死なれたという意味です。ご自分を投げ出して、僕たち私たちを生かしてくださるのです。

反対から言えば、このパンを食べないと、死んでしまうということです。いへ、イエスさまの命、真の命、神さまの命、命の中の命、永遠の命を受けていないので、神さまの前で死んでしまっているのです。それを霊的な死と言います。人間の魂の部分で死んでしまっていると、どうなるかと言うと、そのまま行くと、取り返しがつかなくなります。そのまま死んでしまうと、永遠にイエスさまとの交わり、神さまの命を失ったままになるのです。けれどもイエスさまは、まことの命、永遠の命をわたしたちに、まったくただで、欲しいと受け取る人、ありがとうございますと感謝してもらう人には、誰でも、受けることができるのです。

すべての人間にどうしても必要なのは、このパンなのです。このパンを食べなければ、人間は神さまの前に、神さまとともにいつまでも生きることは決してできないのです。ですから、イエスさまは、ご自分の命そのものに他ならない命のパン、世にいのちを与える食べ物を、僕たち私たちに与えてくださったのです。

残念ですが、アンパンマンはアニメのなかだけのヒーローです。本当にはいません。ところがイエスさまは、違います。あの昔のように今も生きておられるのです。今は、天の上から世界中を見守っておられます。何よりも、神さまから離れて、神さまの命、永遠の命を失って倒れてしまっている人間の友だちとなってくださいました。そして、アンパンマンが自分の一部、顔をもぎ取って与えるのではなく、イエスさまは、永遠の命のパンを、自分の一部ではなく、その命まで私どもに与えつくしてくださいました。

それが、イエス・キリストの十字架の出来事の意味なのです。十字架において、主イエスは、「【命のパン】を食べて生きなさい!わたしを信じて、永遠の命を受けて、健やかに生きなさい!」と僕たち私たちをお招きになっておられます。

主イエス・キリストにおいて示された神の愛は、喜びや優しさを育みます。命がけで大切にされ、愛された自分を発見した人は、その重さ、その価値、その尊厳に気づかされて行きます。そればかりか、友達のなかにも、同じものを見出させずにはおれなくなります。「神を愛し、隣人を愛しなさい」と言う、神の愛の要求が、ぬくもり、やさしさ、いたわりの輪を広げて行くのです。

今朝のお話は、一人の男の子がお弁当をイエスさまに差し出したことから始まっています。イエスさまは、どれほどこの男の子のしたことをお喜びになられたことか、感動なさったのだと思います。きっと、あの男の子は、イエスさまのお話を良く聞いていて、それを実行したのだと思います。
いったい、これまでどれほど大勢の人々が、イエスさまの説教を聴いて、この「命のパン」を食べて元気になったことでしょうか。つまり、キリスト者になったのです。「アンパンマン」の作者、やなせ・たかしさんもまたその一人なのです。そうであれば、アンパンマンの本当の生みの親は、イエスさまと言えるかもしれません。

この「不思議な命のパン」を食べさせていただいた人は、あのお弁当を差し出した男の子のように、いへ、それ以上のすごいことができるようになります。自分に与えられた命のパン、イエスさまのいのちのプレゼントを友達にも分けてあげられるからです。クリスマスは、このイエスさまから頂いた命のパンを、大勢の人々と分かち合って食べる日です。そのために、僕たち私たちも、働きたいと思います。

最後に、先生は、アンパンマンのアニメの歌の歌詞を聞いて、とても驚かされました。「♪そうだ、うれしいんだ、生きる喜び。たとえ胸のキズが痛んでも。なんのために生まれて、なにをして生きるのか? 答えられないなんて、そんなのはイヤだ~♪」イエスさまは仰いました。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」

「何のために生まれて、何をして生きるのか。」と自分で自分に質問しています。先週、後藤公子先生というインドネシアで長く宣教師として働かれた先生のお話を伺いました。電気も水道もないところで、子どもたちのために働かれたり、牧師になる人の学校で聖書を教えたりなさいました。後藤先生は、小学生のときに、自分は何のために生まれてきたのだろうと悩まれたのだそうです。答えられなかったのです。誰も、なっとくが行くようなことを教えてくれなかったのです。そんな先生が、高校生になって、ついに教会に行きました。聖書の中に答えがあるかもしれないと思ったからだそうです。そして、イエスさまに出会います。そして、イエスさまを自分の救い主として信じられたのです。そこに、決定的な答えがありました。「永遠の命にいたる食べ物のために働きなさい。」永遠の命のパンを与えてくださったイエスさまのために、自分もあの少年のように命のパンを、自分の分を犠牲にしてでも分けてあげたいと願われたのです。

皆さんは、これからどんな大人になるのでしょうか。どのように生きて行くのでしょうか。その答えは、イエスさまにあります。何よりも大切なことは、イエスさまを救い主と信じることです。そして、そのイエスさまのために生きることです。その人には、イエスさまが、命のパンを与えてくださり、一人ひとりを、豊かにしてくださいます。

命のパンの反対は、何でしょうか。「朽ちるパン」です。食べたらなくなるし、いつまでもとっておくことができないのです。自分ひとりでは食べきれないほどのパンを、持っていても、なお、おなかがすいて仕方がないと苦しんでいる人たちも大勢います。また、朽ちるパンをたくさん食べるために苦しんでいる大勢の人もいます。

イエスさまは、命のパンを、クリスマスだけではなく、毎日、僕たち私たちに与えてくださいます。日曜学校で「いのちのぱん」を毎週配っています。どうぞ、毎日、聖書を読んでお祈りしてください。それが、命のパンを豊かに受けることです。

祈り
主イエス・キリストの父なる御神、僕たち私たちの天のお父さま、今、聖書のお話を聞きました。イエスさまを信じて聞きました。僕たち私たちは、今、命のパンを食べているのです。心から感謝いたします。どうぞ、イエスさまの命によって救われて、いつまでも飢えることのないように命を与え続けて下さい。この命のパンを、僕たち私たちもまた、分け与えることができますように。