過去の投稿2008年1月15日

1月13日

☆  先週の伝道所委員会では、新年度の計画について議論しました。一つは、昨年の9月に開催した教会全体研修会の内容についてでした。結論は、外部からの講師はお招きせず、わたしが担うこととなりました。それなら、主題は何でしょうか。それは、ずばり、「名古屋岩の上伝道所の教会形成」についてです。今こそ、名古屋岩の上教会の原点を再確認し、その歴史(伝統)をさらに深め、揺ぎ無きものとする、これが、主題です。そうなれば、今年の年間目標、主題もまた、同じこととなります。これは、わたしの提案ではありませんでした。その意味では、思いもよらないことでした。

★  2008年4月は、伝道者、牧師として教会に仕えて20周年のときを迎えます。牧師としての20年。これは、単に牧師個人の「こと」でしょうか。そうではありません。牧師とは、この名古屋岩の上伝道所の牧師であるわたしのことです。名古屋岩の上教会は、開拓伝道開始第14周年を迎えます。言うまでもなくその歴史は、わたしの14年の伝道の歩みそのものです。牧師とは、徹底してその教会に仕えることをもって、主なる神にお仕えします。それだけに、誰が牧師なのか、その牧師はどのような固有の存在なのか、つまり何歳なのか、牧会何年目なのか、どのような賜物と使命を与えられているのか、結婚しているのか、子女はいるのか、健康状態・・・等など、それらすべてがその教会にとって固有の意味を持ちます。そのことの意味を、委員(会)に問いました。もとより、小会ではありませんから、いささか荷が重いとの思いはあります。しかし現実には、委員会がそれらのことごとを、受け止め、熟考し、対処することが求められるはずです。そのようにして、明日の私どもの教会形成の責任主体となることを目指すべきでしょう。

☆  そのような議論のなかから、上述の主題の全体研修会開催に至ったのです。わたしの中には、戸惑いがありました。「今更、岩の上の原点なのか・・・。もう十分それは、なされて来たのではないか。」しかし、同時に、加入以降、すでに9年のとき日が経ちます。独立、自給開拓の5年間。「真の教会とは何か。キリスト教とは何か。教会形成とは何か。」を問い続け、学び続けました。そして、その帰結として日本キリスト改革派教会加入を目指し、創立宣言において描き出された教会形成の筋道を学びました。しかし、加入後は、制度的には日本キリスト改革派教会の一枝の教会となったわけですから、「予告」どおり、口角泡を飛ばすようには、語らなかったかもしれません。しかし、今日、この新会堂献堂後に、洗礼をお受けになった方も少なくありません。また委員方の転出となります。この時期、心新たに、開拓伝道の原点を尋ね、その後の歩みが正しく継承、展開されているのかを検証し、何よりも、この道をさらに志を燃やして、進み行く年としたい、これが伝道所委員会の思いであります。

★  先週の朝の祈祷会の折、 ○○姉から伝道所委員への志を伺いました。大きな喜びです。早速、臨時伝道所委員会への出席を求めました。この春に転居が定まっている委員と結婚によって転出される委員のお二人とも、日本キリスト改革派教会で洗礼、信仰告白をなさった兄弟姉妹です。この二人を失うことは、大きな危機であることは、言うまでもありません。昨年の転勤転出者は、子どもたちを含めれば9名です。しばしば「出る人がいれば、入る人も・・・」と言われましたが、簡単ではありません。「出る人がいれば、さらに出る人がでる・・・」これが現実です。しかし、新しい委員候補者たちは、言わば、その最初からの会員です。そこに神からの厳かな御心を示される思いです。いよいよ、岩の上教会の教会形成の真価が問われ、発揮されるようにとのことです。

☆  ある兄弟がメールで、「今年の岩の上の中心になっていくつもりです。」と書いてくれました。実に嬉しく頼もしい言葉です。思えば、開拓時、20代の青年たちが、伝道協議会の中心メンバーだったのです。彼らが奮起してくださることも、当然?かもしれません。やがて近いうちに、若い男性たちが委員、執事となる・・・、心から待ち望みます。先週の説教でもありましたが、与えられた恵みとその賜物は、研鑽する責任が各々にあります。また教会は、研鑽、訓練を与える場ともならねばなりません。

★  また、ある姉妹がメールで、「岩の上の看板を掲げて=岩の上魂の炎=を絶やさないように精一杯頑張りたいです。」老婆心ながら、転出先で「岩の上」の名を掲げない方が・・・と返信しました。しかし、誰が名付けたのか「岩の上魂?」。それは、20周年や創立宣言に生きようとする教会魂のことなのでしょう。しかし、彼女のこの言葉にも、深く慰められました。