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「共に喜び、共に泣き」

「共に喜び、共に泣き」
2008年2月3日
テキスト ローマの信徒への手紙 第12章13節~15節 
「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、
旅人をもてなすよう努めなさい。
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」

さて、本日も使徒パウロが描き出すキリスト者としての新しい生き方、考え方、生活の仕方の道しるべ、規範を学んでまいります。本日は、第13節からです。「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。」
私どもは先週12節までを学びました。その最後には、「たゆまず祈りなさい」とありまして、そこではキリスト者個人のあり方が示されているのだと学びました。しかしここでは、もう一度、9節から10節に示されたキリスト者の共同体を形成する倫理に戻ったようです。もう一度、隣人との関係、教会員との関係がここで示されています。

「旅人をもてなしなさい」と言われて、現代の我々が連想することはどのようなことでしょうか。皆様もご覧になったことがあるかもしれませんが、わたしは、テレビ番組で、芸能人が自ら田舎に出向いて、民家に宿泊させてくれるように交渉する番組を見たことがあります。もしも、見ず知らずの人から、いきなり「泊めていただけませんか」と、玄関に入って来られたら、誰でも、驚いて、そして断るのが普通だと思います。しかし芸能人なら有名ですから、違う反応が出ることが、予想できます。ご本人も案外、さっさと上手く泊めてもらえると考えて、玄関を開ける方もあるようです。しかし、予想に反してなかなか難しいわけです。誰でも知っているというほどの芸能人ではないわけです。そうなるとだんだん必死になってくる。そのうち、テレビを見ているわたしまで、心の中で、「早くしないと日も暮れて、大変だよ」と、応援してしまいます。泊めてくれる人が現れると、「ああ、親切な人だな」と私には関係ないのに、感謝したくなる。不思議な気持ちを起こさせるのです。

このテレビ番組は、基本的には、芸能人がすることであって、しかもテレビ番組だからできるのだと思います。事故や犯罪ならいざ知らす、わたしなどが見ず知らずの家の玄関をたたいて、今晩、一泊させてくださいなどと、決して言えません。こう考えると、反対の立場、私ども自身が、見ず知らずの人に、そのように訪ねてきたなら、どうするでしょうか。これもまた、すぐに思いますが、お断りすると思います。教会に行けば何か貰える、何か助けになるようなことをしてもらえると、半分、自分を偽って扉をたたく人は、いないわけではないのです。わたしは既に何度もそのような経験を重ねてまいりました。今では、その人の目をまっすぐ見つめて、「騙されませんよ」と言う顔つきをしてしまっています。帰られた後で、一抹の悲しみすら覚えます。

さて、それならここでの使徒パウロの勧めは、このような我々、何よりも私自身にどのような意味を持つのでしょうか。何を命じているのでしょうか。先ず何よりも確定しておきたいのは、ここでの「旅人」とは誰のことかということです。それは、観光旅行をしている人でも、仕事で旅行している人のことをさしているのでもありません。ここでの「旅人」とは、「聖なる者」のことなのです。そして「聖なる者」とは、他ならないキリスト者であり、特にここでは伝道者のことを指しています。あるいは、迫害を避けて、逃げて旅をするキリスト者のことなのです。

何よりも、使徒パウロ自身がまさにこの旅人でありました。丁度今、日曜学校では、使徒言行録でパウロの伝道旅行を学んでいます。彼は、少なくとも世界伝道旅行を2回行いました。またその他にも伝道旅行をしています。要するに彼の半生は、キリストの福音を伝えるために、一箇所に定住せず、教会を開拓してその土台が据えられたと判断できたら、躊躇せず、次の伝道地へと向かって行きました。逆から申しますと、そのような彼は、至るところで彼を支えるキリスト者からの兄弟愛を受けたのです。宿泊場所そして食事の手配など、まさに兄弟愛を実践してもらったのだと思います。つまり、彼の世界伝道旅行とは、その先々で、「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努め」たキリスト者たちのおかげでもあるのです。彼らなしには、実現できなかったはずです。ここで使徒パウロが、勧めたこの愛の教え、愛に生きなさいとの御言葉は、裏返せば、自分自身が受けた恵みを、かみ締め、感謝しながら語る以外に、決して語れない言葉であったでしょう。

キリストの福音は、第一世紀中に当時の世界中に伝道することができました。その背景には、まさに伝道者たちを支えるキリスト者の家、あるいは、クリスチャンホームがあったからこそ可能となったのです。
「聖なる者たち、伝道者の貧しさ」もしかすると、現代では、ぴんと来ないかもしれません。誰かのことではなく、私自身の生活を見られても、もはや「貧しい」とは見られないかと思います。しかし、伝道者として生き始め、何よりもこの教会の開拓の初期においては、この貧しさを少しは経験しえたと考えております。しかし、第一世紀の伝道者たちの貧しさには、比べられないかと思います。パウロ自身は、天幕作りをしていたわけで、例外でした。彼なら、自分の生活費だけなら十分に自分で工面できたのです。しかし、彼は、行く先々の教会で、献金を励まし、献金を強調しました。第15章で丁寧に学びますが、パウロはそこで、ローマのまだ見ぬ会員に、献金によってエルサレムの教会の貧しさ、窮乏を、異邦人教会が支援することは当然であると強く訴えています。パウロにとって、キリスト者にとって、お金だけではなく、神からの賜物はすべて、教会のものつまり神のものであったのです。私ども日本キリスト改革派教会は、伝道者たちの生活を、教会員が支えているのです。その聖書の典拠を示す御言葉の一つがこの御言葉なのです。

さて次は、第14節です。「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」使徒パウロは、ここで突然のように、迫害者について語ります。話の流れがどうしてそっちに行くのか理解に苦しむほどです。しかし、もともとの言葉であるギリシャ語で読んでみると、実は、分かるのです。それは、第13節の「旅人をもてなすよう努めなさい。」ここでの、「もてなすように努めなさい。」「もてなしなさい」という言葉は、我々には不思議に思いますが、実は、「迫害」と言う言葉と同じ言葉が用いられているのです。もともとは、「追う」という意味があるのです。追う、追いかけるのです。貧しい伝道者が来たら、追いかけていきなさい。ここでの追いかけるとは、もちろん、迫害するためではありません。その貧しさを自分のものとして助けてあげること、もてなしをすることです。最初の教会は、伝道者、旅人を泊め、助けるディアコニア(奉仕)を徹底して行っていたわけです。
さて、このように「追いかける」という言葉の直後に、パウロが「迫害する者」との関わりについて言及したことは、不思議なことではないのです。しかし何よりも、ここで私どもにとって、弁えていたいことがあります。この御言葉は、もともとは、どなたが仰ったのでしょうか。他ならない主イエス・キリストのご命令です。主イエスが、いわゆる山上の説教、マタイによる福音書第5章第44節で語られた御言葉そのものなのです。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」旧約聖書には、神の民が自分たちの敵を神の敵として、神に敵を征圧してくださるようにという祈りや、事件が数多く記されています。ところが、主イエスは今、驚くべきことを宣言し、お命じになられます。「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」使徒パウロは、皆が知っている主イエスの御言葉を、ここで書きます。ローマの信徒たちも、これが読み上げられた時、はっと気づいていると思います。「ああ、イエスさまの御言葉だ。」同時に、自分たちの身にも、そろそろ起こり始めている迫害の厳しい現実に、改めて姿勢を整えなおさせられたのではないか、そう思うのです。

わたしはもうすでに長くなってまいりましたが、「キリストへの時間」というラジオ放送の奉仕をさせていただいております。昨年、ある一人の牧師の説教を聴きました。それは、30年以上前に録音された牧師の説教です。今も、現役で活躍されておられる有名な牧師です。まだ青年牧師であったときのものです。その先生は、戦争が終わり、学生として生活をしながら、精神的な空しさを抱えて、さまよっていたそうです。しかしあるとき、聖書のこの言葉を読んで圧倒されたと仰いました。「敵を愛しなさい。」この青年にとっての敵は、アメリカでした。そればかりか、周りの人間たちでした。キリスト教についてもアメリカの宗教なんかと考えていたというのです。しかし、この御言葉を聞いて、「キリストという男は、こんなことを命じているのか。もしかするとここに本物があるかもしれない。」こうして求道が始まったのだそうです。わたしは、現代の青年たちにこのような、聖書との出会いの体験があるのかと思ってしまいました。実は、私自身も、聖書の御言葉との格闘の末、キリスト者になったのですが、これはもう珍しいことなのかもしれません。しかし、どのような時代であっても、あのときの心に空しさを抱えていた青年が、心底、驚き、感動した言葉、何よりも、これを語られたキリストというお方への驚きは、ますます深められてよい時代のはずです。今や、世界中が、敵を見たら報復しなければ、いへやられる前にやってしまえ、という空気が流れています。しかも、それを正当化するようなキリスト教というものが登場します。しかし、そのようなキリスト教を自称する人々がどれほど多くなっても、どれほど声高に叫んでも、一人主イエスが、聖書が、こう記している限り、間違っているものは間違っているのです。

しかし同時に、この御言葉の衝撃から、キリスト者自身が逃げ出してはならないのではないでしょうか。逆に申しますと、それほどまで、私どもの全存在、生き方を激しく揺さぶる危険極まりない言葉であることは明白だからです。正直に申しまして、私自身の苦しみや課題もまた、そこにあります。
さてそれなら、このように語った使徒パウロ自身には、どのような思いが含み込められていたのでしょうか。よく考えて見ましょう。パウロは使徒のなかで際立っています。何故でしょうか。一つには彼は、主イエスと共に行動していないからです。彼が使徒とされたのは、イエスさまが十字架につけられ、ご復活なさり、天に上げられてからのことです。しかし何よりも際立ったのは、使徒になる前に彼は何をしていたのかとうことです。実に、彼こそは、キリスト者とキリストの教会を迫害してまわったその張本人に他ならないのです。

そのような彼が、ダマスコの村に行って、キリスト者たちを逮捕しようと馬に乗って走っているところで、復活のイエスさまにお会いするのです。天からの光を浴びるのです。そのときイエスさまは、まさにこの迫害者に、追いかけて来るものに、何をなさったのでしょうか。主イエスは、呪いの言葉を投げかけられませんでした。むしろ、「棘のついた棒を蹴っているあなたの足は、どれほど痛んでいるか」と、言われたのです。まさに、敵の中の敵であるパウロを憐れみ、愛しておられるのです。それは、まさにあの十字架の上で、「父よ彼らを赦してください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです」と祈られたイエスさまそのお方の変わらざる御心なのです。
パウロは、第5章10節でこう叫びました。「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」この御言葉は、迫害者であったパウロ自身にとってどれほどリアル、現実感溢れるものであったでしょうか。本当に、イエスさまは、敵を愛されたのです。

もしかするとパウロは、ここで、かつての迫害者の立場を明白に意識して、イエスさまの御言葉を引用したのかもしれません。「あの迫害者であった私が、今日あるを得ているのであれば、それはまさにイエスさまのおかげ、イエスさまのあの御言葉のおかげ、だから、もともとわたしにはそのようなことを言える資格はないのだけれど、しかしあえて、あなた方も迫害者のために、祈ってほしい」と、自分をさらけ出して呼びかけたと、聴き取ることができると思います。

そうであれば、この御言葉はさらに新しい響き、さらにリアルな響きを立てて、私どもを圧倒します。使徒パウロは、復活のイエスさまに出会ったとき、肉眼である目が見えなくなりました。三日間暗闇の中で過ごすことになりました。しかし、彼の目からうろこのようなものが落ちて、元通り見えるようになります。それは偶然ではありません。そこにある一人の弟子がどうしても必要なのです。その人の名はアナニアです。彼は、まさにダマスコの村に住んでいるキリスト者でした。パウロがまさに逮捕して殺さなければならないと狙われるような指導的な人でした。このアナニアに、主なる神は、「パウロのところに行くように、行って、彼の頭の上に手を置いて、目が見えるようにしてあげなさい。」こう、命じられます。つまり、あなたの敵であるパウロのために祈りなさい。愛しなさい、呪うのではなく、祝福を祈りなさいということです。アナニアは、直ちに、答えます。「主よ、あの人が、他ならないあなたの聖なる者、キリスト者たちにどんな悪事を働いたか、知っています。今、この村にもやって来て私たちの仲間たちを逮捕しようとしているのです。」しかし、遂にアナニアは命じられるままに、パウロのところに出向くのです。こうして、パウロは、逮捕して殺そうとしていた男から洗礼を受けて、キリスト者になるのです。アナニアもまた、イエスさまのあの山上の説教に従ったモデルとなりました。このような使徒パウロの原体験に裏打ちされて、豊かな響きを立てています。幾重にも重なっているのです。殉教者ステファノの祈りについても触れたいのですが、時間が足りません。ステファノはまさに殺されるとき、この罪を彼らに負わせないで下さいと祈りながら殉教しました。伝道者パウロを生み出すために、決定的なのは、イエスさまの敵を愛す愛、赦す愛です。しかし、あわせて、ステファノやアナニアの愛が、それをさらに証しして補強し、彩りを豊かに添え、反響音を豊かに響かせたのです。

それゆえに、私どももまた、この愛の戦いから戦線離脱しないで、主の赦しのなかで、御言葉に生きたい、生きようと思います。どうしてそうできるのでしょうか。理由は明白です。私どもは、この壮絶とも言える愛の戦いにおいて一回、破れてしまえば、負けてしまえば、失敗してしまえばもはやそれっきり、イエスさまに見捨てられ、神に裁かれるだけだ、などと決して考えないからです。そのようなことがあるはずかないと確信しているからです。

私どもは、これまでこのかつての迫害者であったパウロ先生から、徹底して一つのことを教えられてまいりました。神は、この使徒を通して、私どもに何度も何度も繰り返して教え、宣言してくださったのです。
「あなたがたが救われるのは、ただ信仰によってなのだ」「わたしの御子イエス・キリストによってのみ、あなたがたのすべての罪は赦される」「ただわたしの恵みによってのみ、救われるのだ」
パウロは、この敵をも愛する神の愛、それを実際に自分に現してみせてくれたキリスト者たちによって、ただ信じるだけで救われ、赦される神の愛を確信しています。そこに堅く立つからこそ、あのイエスさまの御言葉に生きなければならない、生きて行きたい、そう願うのは、至極当然のことなのです。私どももまた同じです。第8章で語られた福音の真理と、今ここで語られる倫理命令とは、別のものではありません。一つの真理の裏表、同じ神の真理なのです。

次に進みましょう。第15節。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」有名な御言葉です。わたしは、この御言葉を、皆様が深く黙想したなら、必ず、一人の決定的な人間を鮮やかに思い起こさせると思います。たった一人の決定的な人間。他ならない主イエスさまです。もとより、多くのキリスト者の先輩たちのことも思い起こすこともできるでしょう。しかし、誰もがその原点として思い描くのは、やはりイエスさまではないでしょうか。パウロは、ここで、イエスさまのように、生きて行こうと呼びかけていると理解しても間違いではないはずです。
ある人は、ここでの喜びと悲しみは、キリスト者どうしの共通の喜びであり悲しみだと仰います。それは、よく分かります。喜びと悲しみそれ自体の中に罪があることを、私どもは同じパウロによって教えてもらっています。コリントの信徒への手紙Ⅱ第7章にこうあります。「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」世の悲しみは死をもたらすのですから、反対に言えば、世に結びつく喜びもまた、空虚であり、死、滅びをもたらすことになるでしょう。

しかし、ここで、迫害する者のために祈りなさいと命じた直後のこの言葉を、もっと広く受け止めてしかるべきだと思います。わたしは、そこでも、キリスト者となって長く生きている者だからこそ、陥りやすい罠があるのではないかと思います。これも自分自身のことです。主イエスを知らない人たちと、心を通い合わせることが難しいということです。わたしは、イエスさまを知らない人たちの喜びと悲しみは、なんと空しいかと思います。それだけに、その喜び、悲しみに共感することが難しくなるのです。

先週の日曜日の夜に、頼まれておりましたキャンプの講師を、ついに引き受けました。遂にとは、しばし躊躇したからです。講師の選定の規準、講師に求めることという条件を教えてもらいました。当然のことですが、中高生の気持ち、心を理解できる先生というものです。しかしそうなると、私の年齢では、とても厳しいと、考えたのです。心が通い合うためには、彼らの喜びと悲しみに共感できなければならないのではないでしょうか。

しかしそれは、わたしだけの課題ではなく、まさに伝道する責任を与えられた私どもにとっての急所ではないでしょうか。一体何故、イエスさまの周りには、徴税人が近づけたのでしょうか。いったいなぜ、イエスさまの周りには、罪人が近づけたのでしょうか。イエスさまが近づいて行かれたからです。そのとき、彼らはイエスさまを拒みませんでした。そこには、確かに自分たちと全く考え方、生き方の異なる人を目撃したはずです。しかし、同時に、その自分たちを見下さずに、心を開いてくださったイエスさまを見たからではないでしょうか。

この「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」特に、厳しいことは、泣く人のところに出向くことです。たとえば、喜びに溢れた場所に出向いて、一緒に喜んであげることは、比較的簡単だと思います。確かに、妬む思いが生じることもありますから、この困難さをきちんと考えておいてよいでしょう。比較的簡単と申しましたが、それは、泣く人と共に泣くことと比較するときです。たとえば、映画を観て、かわいそうにと涙を流すことと、実際に泣いている人の傍らに留まることとは全く違います。わたしは、昨年、仏教の僧侶は、偉大だと思ったときがあります。それは、おそらく一年に何度も葬儀を執り行われるからです。自分が葬儀を執り行ってみて、これは、なんと大変な業なのかと思いました。泣く人と共に泣くことは、これは、大変なことです。しかし、つい最近、僧侶の方は、葬儀で涙を流す事はないのだということを耳にしました。そう言われれば、なるほど見たことがないと思いました。僧侶の方々は、多くの場合、故人とのかかわりがないからではないでしょうか。その意味で、そこで起こっている現実の、本物の死別の悲しみを知らないままに、葬儀を行うし、行えるのではないかと思いました。もとより牧師も涙を流していては、説教も司式もできませんから、感情にまかせられません。

実は、日本にキリスト教が伝道された当初、仏教はまだ今のような葬儀を中心にしたものではありませんでした。むしろ、庶民の葬儀を執り行うことはなかったのです。ところが、宣教師たちは、農民、庶民の葬儀を執り行いました。そのとき、日本人は、一人の名もなき人間をこれほど大切に葬る教えはすばらしいのではないかと考えたのです。そこにもキリシタン伝道の大成功の要因が挙げられています。批判者は、彼らは、布教のためにしたのだと言うかもしれません。しかし、確かに、「泣く人と共に泣」いたキリシタン、宣教師がおられたのではないでしょうか。それが、日本人の心を確実に打ったのではないでしょうか。

ここまで学んで来た御言葉は、すべて愛の命令、愛にかかわる言葉でした。この神からの愛を受けて、隣人を自分のように愛すること、その行い、実践を、奉仕と呼びます。まさにディアコニアのことです。ここでは、ディアコニア実践の具体例が示されているのです。今、聖餐を祝います。聖餐こそ、主イエスの命のおもてなしを受けるときです。主イエスの御奉仕にあずかるのです。主イエスは、わたしという小さな取るに足りない人間の悲しみをも軽んじられません。だから、主イエスはその御心を、私どもに寄せてくださり、悲しみのときにこそ、共にいてくださるのです。今、この主のもてなしをしっか利と受け入れ、私どももまた、イエスさまに倣いたいのです。主イエス・キリストに赦された者として、大胆に、この命令に答えてまいりましょう。

祈祷
主イエス・キリストの父なる御神、いくつもの具体的な御言葉を通して、「愛に生きなさい」「教会に生きなさい」「神を愛し、隣人を愛しなさい」主イエス・キリストを信じて、大胆に従いなさいと、繰り返し招いてくださいます。どうぞ、私どもに愛を注いでください。そして溢れさせてください。神からの愛をもって、愛の戦いにおいて倦み、疲れることなく、信仰による希望を抱いて喜んで生きる者としてください。そのような教会が、この地上に存在することによって、心が硬直してしまって、人間同士にも、ましてや神さまに心を閉ざしている多くの人々の救いのとりでとならせてください。アーメン。