過去の投稿2008年2月13日

2月10日

★  「世と教会に関する委員会」主催の「信教の自由を守る集会」では、毎年、政府への抗議声明を採択してまいりましたが、今回は、私が中心となって下記のような「出席者の決意(案)」の採択を考えています。

      「主御自身が建ててくださるのでなければ~。」 (詩篇第127編1節)
・ 私ども中部中会は、「世と教会に関する委員会」の主催によって、毎年、2月11日に「信教の自由を守る集会」を開催してまいりました。戦前の大日本帝国時代には、この日は「紀元節」として祝われていました。これは、明治新政府が、天皇中心の絶対主義国家体制を構築するために、1873年、神武天皇の即位と言う神話をもって日本の起源とし、暦の紀元と定めたからです。天皇こそ、歴史(時間)と国家(空間)の中心とする考えを国民に植え付けるためでした。このような暦は、日本国憲法の精神によって退けられ、廃止されました。ところが1967年、政府は、多くの国民の反対の声を無視し、この日を「建国記念の日」と言い換えて祝日とし、実質上の復活がはかられました。彼らの最終目標は、日本国憲法の改悪です。その熱心で地道な運動は、世代を超えて受け継がれ、遂に2006年、自分の政府によって必ず憲法改正を成し遂げると豪語した安倍前首相は、憲法の理念を実現するための教育のあり方を定めた世界に誇る「教育基本法」の改悪を、まさに民主主義の手続きを無視して、強行採決という形で、改悪新法を可決、施行しました。さらに、憲法改正の手続法である「国民投票法」も同様のやり方で成立させました。

・ 安倍前首相の無責任な政権放棄によって成立した福田政権においては、一見、憲法改正を主張する 声は沈静化しているかに見えます。しかし、新政権は、参議院において否決された自衛隊のイラク戦争給油活動再開のための「特別措置法」を、衆議院で再可決してみせ、憲法、とりわけ9条の精神を空洞化する暴挙を行いました。今この国が、戦争をする旧日本へとからめとられる危険な状況に向かって進んでいることは明らかです。

・ そのような折、私どもの教会の引退教師であられる石丸 新先生の「賛美歌にあった『君が代』」(新教出版社:2007年07月)が刊行されました。信仰の良心に溢れる誠実な研究成果と、本日の講演を通し、私どもは改めて日本の教会が犯した罪の現実の深刻さ、重大性を思わされました。

・ 私どもは、神がご自身の教会に与えられた務めである預言者、王、祭司として、このような政府への批判と警告そして執り成しの祈りを怠ることはできません。しかし、むしろ自らの戦争責任と戦後責任を、神と日本の市民、アジアの諸国民の前に真実に悔い改め、その実りとしてきちんと謝罪することもなく、なお自らの体制擁護に関心を狭めている現状に、危機感を募らさざるを得ません。 

・ 私ども日本の教会は、天皇の支配が永遠に続くように歌う「君が代」を、それとまったく相容れるはずのない信仰の歌集である賛美歌に挿入していました。大日本帝国憲法の公布以来、実に60年の長きに渡り、公・私を問わず編まれた賛美歌集に、「君が代」や「愛国の歌」が収められて行きました。私どもは、明治新政府が、天皇を神と崇める方向で日本の建設を目指したとき、その反キリスト性を見抜き、戦うべきでした。しかし実際は妥協を重ね、遂には、先の戦争で、その支配に屈し、自ら悪魔化してキリストの教会であることを失ってしまいました。戦後、「君が代」を削除したのは、悔い改めによるものではなく、社会体制の変化によるものでした。それ故、私どもは現行「讃美歌」になお温存されている天皇崇拝の神道的、愛国的表現を見過ごし放置しました。そこで問われるのは、私どもの音楽の知識の欠如や感性の貧困ではなく、教理のあいまいさと霊性の貧困に他なりません。それゆえ私どもは今、過去の過ちを蒸し返すことをタブーとする内外の有形無形の圧迫に対し、心を一つにして、講師のこの言葉をもって応えてまいりたいと思います。「戦時下の教会が礼拝式の中で『君が代』を歌った事実を忘れてはならないし、あいまいにしてもならない。新しい服従は、常に悔い改めからなされるからである。」(前述P46)

・ 私どもは今改めて、私どもが犯した偶像礼拝と戦争加担の罪を、神に悔い改め隣人に謝罪します。二度と過ちを犯さぬように、とりわけ主日礼拝式において示される私どもの福音理解とその実践を絶えず御言葉によって検証し、この国に唯一の救い主であられるキリストのすばらしい福音を大胆に宣教し、キリストの主権に服す教会の形成と神の国の拡大に力を合わせて奉仕する決意を新たに致します。主御自身がこの願いと志とを実らせてくださいますように。アーメン。    

                  
★  土曜日、外は大雪です。しかし、春の兆しをはっきりと見ています。明日、皆様の足元が守られることを心から祈りつつ。