★ 先週は、浜松伝道所の応援伝道のため、土曜日の夜、主日礼拝式に参りました。お祈りを感謝致します。今回は、近くの聖隷クリストファー大学(恩師が教授をしておられるので、そのつてを頼りました)にも ポスターを掲示させていただき、学生への伝道を願いました。そちらからの出席はかないませんでしたが、 夜の集会には7名の新来者が来てくださいました。内、金城の学生とお父さまも来られました。また、主日にも2名の新来者が与えられました。現在、求道中の方も与えられ、浜松の伝道は、着実に前進しています。まさに、手ごたえが与えられています。わたしの説教は、希望の説教。名古屋岩の上伝道所でなしたものを骨子としたものです。当然、原稿には手を入れました。そして、改めて、説教にかける時間が長ければ長いほど、やはり、より神の御言葉を鮮明に説くことができることを、反省と共に思わされました。しかし、主日の礼拝式の説教は、ホテルにおいても赤をいれて備えたのですが、説教卓では、実に、その半分ほど、原稿から離れて、自由に語っていました。これも聖霊のお働きです。午後の集会では、一人の会員の救いの証しがありました。会員全員が、自己紹介しながら、自分の信仰(恵み、救いの証)や聴いた説教について恵みを分かち合いました。このような集会や夜の集会は、行ったことがありません。夜であればこそ、出席できる方も少なくないことを思わされました。(10月25日の土曜日、夕刻には、岩渕さんのゴスペルコンサートを開催いたします。これは、まさに、広く宣伝して、会堂が満堂になるようにと願います。日本を代表する、有名なゴスペルシンガーです。)私どもも、試みても良いのではないかと思いました。
☆ 先日の伝道所委員会では、緑区のこの地における伝道について、委員たちと懇談しました。その「厳しさ」が話題になりました。かつて浜松の伝道も、どれほど、伝道地の困難さ、厳しさが指摘されたかと思います。確かにそれぞれの地には、固有の厳しさがあります。しかしやはり、コツコツと、そして大胆に福音を証し、出会って人を教会に、集会にお誘いすることがどれほど大切であるかを思います。私どもも、浜松の群れに励まされます。金先生ご夫妻から学ぶことは、実に多いのです。
★ 来週は、金起泰先生と奥さま(ヘグン姉)が共に、説教と午後の学びの御奉仕をしてくださいます。豊かな霊的なときが与えられることを確信しております。どうぞ、ご期待ください。
☆ 牧師のこのような応援伝道が可能になるのは、奨励奉仕者がおられるからです。委員には、準備のための奉仕が大変であったことかと思います。しかし、一年に一度のように、これを重ねることは、委員ご自身にとっても、豊かな祝福にあずかることができる奉仕となると信じています。浜松にも、そのような委員が起こされることを祈ります。そして、そのような日も間近であると思います。
★ 今年の教会のぶどうは、昨年より更に収獲が見込まれます。これほど、枝が伸びてゆくとは、予想外でした。しかし同時に、毛虫の方も、うじゃうじゃと湧き出て、葉っぱを食い荒らし始めています。一匹一匹を手作業で駆除します。先週は、毛虫にさわってしまったのか、腕がかぶれてしまいました。長袖と手袋をするべきと、思いましたが、時間をかけて丁寧にするのではなく、気分転換にしているので、こうなってしまいます。本格的にするのであれば、ぶどうの実や枝を剪定すること、手入れをすることが必要なのだと思います。ぶどうも、ただ実の量を追及するのではなく、おそらく不要な?実を見分けて、小さなうちにカットすべきなのかもしれません・・・。「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」ヨハネによる福音書第15章の「教会論」を、深く黙想させられます。教会の小さな庭に、聖書に登場するぶどうやオリーブを見ながら、黙想へと導かれることは、なんと幸いなことでしょうか。
☆ 委員の奉仕で、教会の電柱看板の設置へと動き始めています。一本につき、年間、18,000円。今回は、2本の設置となります。これまで、経済の問題から、二の足を踏んで来ました。しかし、一人の長老のご指摘を受け、初めて教会を探す人のためには必要不可欠のものであると思いました。何よりも、一般の方々にとって、教会は、誰でもきてよいところであるという理解を持っていただく必要があります。看板によって、地域の方々に神の呼びかけ、招きが届けられる道具となると思います。もっともっと設置できるようにと祈ります。
★ 先週、秋葉原での事件のことを、朝夕の祈祷会で触れました。大学生たちにも、講義の最初に取り上げて、考えてもらいました。加害者と私と、違う世界に生きていたとはまったく思いません。さまざまなことを、記したいのですが結語だけ、記します。私どもの福音こそが、この時代を救う唯一の言葉です。伝道!!