過去の投稿2008年8月11日

8月10日

★  先週は、お休みを頂き、主日礼拝式を桑名伝道所で捧げました。なぜ、桑名であるのか。一つには、そちら方面への二泊の旅をするためでした。もう一つは、ある「達成」のためです。これまで、中部中会における教会・伝道所の中で、桑名伝道所の主日礼拝式だけはこれまで経験がありませんでした。今回で、ついに、中部中会内の主日礼拝式を経験しました。しかも今回は、一人の礼拝出席者としてです。

☆  桑名伝道所は、今年、中部中会定期会にて、正式に伝道所としての歩みを始めました。四日市教会の集会所としての位置づけで、伝道が開始され、現在は、中古物件の教会堂(他教団が民家を改造して伝道していたものです)を取得して、着実に教勢を伸ばしています。大きな団地の一角にあり、人口増も見込まれ、なお豊かな成長が期待されます。他教会からの転入会者も多いように思いました。それだけに、今こそ、基礎構築がもっとも重要であるかと思います。そのためには、定住伝道者が一日も早く求められます。今夏の説教卓は、神学生が担われます。わたしよりも年齢は上の田中神学生です。

★  説教者であるからなのでしょう、主日に説教しないでいることは、何か主に申し訳ない気持ちが募ります。そして、説教への意欲を改めて覚えさせられます。しかし、土曜日の晩のあのリラックスした時間は、いったいなんでしょう。土曜日も夜まで仕事をしていたのですが、それは、説教準備ではないのです。これが、わたしの休暇の核なのです。

☆   休暇中、自分の課題の仕事をしました。今年こそ、ゆっくりと、と考えましたが、昨年より、ハードでした。しかし、今年も留守の守りを信頼でき、おゆだねすることができました。

★   本日は、 委員が学会発表のためオーストラリアへと出張中。主は、おひとり一人を、一歩一歩導いておられます。かつて読んだ後藤先生の証しのなかに、主は先生を「一歩一歩」導かれたと伺いました。人生の選択の岐路の中で、遠い将来を見ることができずとも、必ず、目の前の一歩をどこに歩み出すべきか導かれたと仰います。これは、キリスト者の幸いな経験の一つです。「後藤公子先生からはよい奨励をいただきました。主の言葉に聴き入り主の葬りの準備のためナルドの香油を注いだマリアの姿と、どんなときにも主の御言葉の黙想を第一として、主に仕えられている後藤先生の姿が重なり、御言葉によって私達は本当に鍛錬を受け、知性を与えられ、主の栄光を輝かすことができるのだなあと実感しました。」委員の言葉ですが、まさにあのマリアもまた、主の言葉に自分を委ねていたのです。私どもの人生も、この主なる神が共にいてくださいます。山あり谷あり。まさに、それが私どもの実人生ではないでしょうか。順境のときは、むしろ少なく、一難去ってまた一難、これが私どもの実人生ではないでしょうか。少なくとも、わたしの人生、生活は、そうでありました。牧師ですから、当然なのでしょうが、しかし、基本的には、キリスト者の人生とはそのような「冒険」の旅路でしょう。しかし、その旅は、その度ごとに、支配者にして全能の主イエス・キリストと父なる神、そして聖霊なる神の守りと助けがあります。主は、私どもの出ること、入ることとを守られます。まどろむことなく!(詩編121編 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。)姉の一歩は、ジェット機を利用する一歩となりました。

☆  本日の聖餐の配餐奉仕は、 委員に代わり、 委員となりました。初めての御奉仕です。緊張で、何日もゆっくり睡眠が取れなかった由・・・。主の食卓に仕える奉仕の重さを思えば、むべなるかなですが・・・

★  63回目の敗戦記念日を迎えます。この日こそ、日本国の原点とすべき日と思います。何よりも、日本にある教会の再出発の原点です。悔い改めを深める日です。そして神の赦しと憐れみを請い求め、聖霊を求めたいと思います。二度と、主の前に、そして隣人に、隣国に同じ罪を犯さないようにと祈りを深めたいと思います。

 ☆  「教会学校教案誌」では、毎年この日を、平和を覚える主日として説教します。平和つくりは、先ず教師からはじめるべきでしょう。日本中の教会で子どもたちに平和の福音が深く説かれますように!