過去の投稿2008年8月29日

8月17日

★  加藤常昭先生が主宰する「説教塾」の新しい説教集が教文館から刊行されました。説教集の題名は、「立ち上がり、歩きなさい」と名付けられています。寄稿した説教は、ちょうど、一年前の8月の名古屋岩の上教会での礼拝説教、「迫害される福音に生きる」です。昨年の8月、安倍前首相を中心に政府は、「戦後レジュームからの脱却」なる恐ろしい主張を喧しく、宣伝されていました。参院選の敗北を受け、政権を放り出した前首相は、自民党国会議員としてとどまっています。この思想に賛同、共鳴する議員もなお少なくありません。その意味で、私どもの教会の信仰の戦いは、いささかも力を抜くことはできません。私どもは、どのようなときであっても、継続し、深まり行く右傾化の大きな流れの只中で、神の御前で、自らの戦争協力の罪を深く掘り下げ、自覚し、そこからの悔い改めの結実としての平和つくりへの戦いをなして行くべきです。夜の祈祷会では、ローマの信徒への手紙における平和を学び、来週の読書会でも、わたしのローマの信徒への手紙分解の表から学びたいと願います。

☆  先週、月曜日から木曜日までの三泊四日、雀のお宿で「サマーデイズ」(全国高校生キャンプ)が開催されました。60名余りの出席者でした。最終日の「証しのとき」だけ参加させていただきました。予想通り、良い集会となったことが分かりました。出席前は、「三泊四日は、長すぎる・・・、友達ができるかどうか不安・・・」、さまざまな心配を胸に秘めていました。ところが、「もう帰りたくない・・・」と言う子もいたほど、よい経験をそれぞれが持ったようです。わたしが神学生のとき、その教団では、夏のキャンプは、中高生の救いの場、信仰の成長の場として、盛んになされていました。青少年、中高生への伝道の場として「キャンプ」がどれほど重要なとき、場所であったか、それは、教団も教派の違いもありません。また、同じ年代、世代の子どもたちが集うとき、普段の礼拝生活では味わえない(そもそもある教会では、自分と同世代のキリスト者がいない教会もあるわけです)経験が与えられます。

★  もう一つ、大切なのは、音楽です。ギター、ベース、ドラムなどの楽器を用いて、自分たちの世代の言葉で、賛美を歌うこと。これも、教団、教派にかかわらず、重要な要素です。わたしが卒業した神学校では、ギターを弾けない神学生は、片身が狭かった!のです。弾けないことは、中高生を指導できないことを意味するほど、暗黙のうちに、重要視されていたと思います。卒業前までには、なんとか形だけはつくれるように必死に練習しました。これからの世代、青少年たちの集会指導を、霊的に、信仰的に導くことのできる音楽性を持った人も現れるでしょう。最後の賛美のときには、高校生たちが、自然とみんなで肩を組んで、賛美を歌っていました。そのように仕向けられたわけではありません。素直な、純粋な高校生の姿です。とても感動的です。このために、準備され、奉仕してくださった信徒の奉仕者、教師方に心から感謝いたします。また、大会としては、このような企てを全面的に支援する体制が整えられるようにと祈ります。
☆  名古屋岩の上伝道所からは、一人の参加者も送り出せませんでした。高校生は、何人もいるのです。わたしの責任も思います。生きにくい、時代のなかで、中高生を主イエスへと捕らえ、神にお捧げする使命を私どもの教会は深く認識しているはずです。中高生には、自分たちの教会だけの友達だけではなく、全国の仲間との出会いも大切です。雀のお宿の食堂、宿泊能力は限られていますから、おそらく来年は、先着順の参加許可となるのではないかと思います。私どもの教会からも、何人も、送り出したいと心から願います。

★   猛暑が続く名古屋の夏。殺人的というと大げさにすぎるかもしれませんが、午後のとき、クーラーなしで二階にいれば、息苦しいほどです。今夏、「いのぱん」を書いています。かつて「子どもカテキズム」を一年でよむための連載をしましたが、一冊にまとめようと思います。手をつけると、すべて書き直す必要があると思い、苦しみながら、書いています。毎日、子どもたちが祈ること。しかもカテキズムを読み、御言葉を読みながら、一年間祈れば、契約の子たちの信仰の骨格は、夏休みを元気に乗り越えた子どもたちのたくましい姿以上に、たくましい子になるのではないかと信じています。毎日、時間を惜しんで、自分に鞭を打つように、机に向かいます。

☆  ぶどう・・・。秋には、皆様と楽しもうと思った春の夢。今、無残な姿・・・。主イエスがお教えくださったとおり、ぶどうは、本当に手入れをしなければ、収獲できないことを知りました。今の生活では、来年も・・・。皆様のなかで、ぶどう奉仕者が起こされれば・・・と考えますが・・・。