★ 今年、牧師となって20周年を迎えるということで、年初に、伝道所委員会でも議案にしました。早くも8月も終わろうとし、秋以降の伝道の戦いの備えを始めています。もとより、ゆっくり落ち着いて考えることは大切ですが、それが適わなければ、日々、祈りを深め、考えを重ねつつ過ごし、目の前のことに流されないようにしたいものです。
☆ 教会としては、開拓第14周年です。来年は、15周年で、ちょうど、中部中会加入10周年となり、中部中会創立50周年記念とも重なります。「50周年記念信徒大会」が開催されます。そこで、50周年記念誌が余ることになっています。A4サイズの2ページ分に、各教会紹介の部分があります。そこに、教会の沿革、写真、教勢、そして「教会のビジョンを語る言葉」も掲載されます。40周年のとき、「宣言」が採択されました。今回も、委員会を中心に「宣言」作成がなされます。しかし、今回の、目玉は、何よりも各個教会、伝道所が自分たちの言葉で、自分たちの「宣言」を書くことにあります。
★ 先週、関係委員会より、12月中旬までに、宣言以外の原稿を提出するようにとの連絡がありました。私どもは、9月28日に教会全体研修会を、昨年同様、教会で開催します。主題は、「岩の上開拓の原点を確認する」です。すでに、祈祷会で、私どもの教会形成を導く祈り「ここに神の教会を、ここに聖餐を囲み、キリストだけを主と告白する、慰めの共同体を形成させてください。」を骨格にした講演記録を読みました。全体研修会では、わたしの講演を中心にせず、わたしも一つの発題を担いますが、委員を中心に、「開拓の原点」についての、発題が中心になります。その発題は、そのまま、15周年記念誌の原稿になるようなものとなるでしょう。私の発題は、教会が記念誌を編むことの意義を語ることを中心に、志を新たにして、開拓の原点を掘り下げ、ぶれることなく、初心を深める歩みをと考えます。
☆ 実は、わたしは、大きなお祝いの式典を計画実行することには、後ろ向きなのですが、 「教会の言葉・ビジョン」を皆さんとつくることは、有意義と考えています。全教会、伝道所がもうひとたび、自分たちの教会形成を振り返り、きちんと目標を明確にし、言葉にすることが、日本キリスト改革派教会としての実質を獲得する上で不可欠と思います。「日本キリスト改革派教会の実質を獲得する」この言葉も、加入以来何度も記してまいりました。これは、私どものような開拓伝道、加入した教会であれば、まさに大前提となることです。しかし、これは、私どもだけではありません。およそ、日本キリスト改革派教会に属する群れは、すべて、そこに向かって途上の歩みを歩んでいます。そして、それを鮮明にする努力が求まられています。私どもは、これまで、自分たちが何ものであるのか、どこに向かって歩むのかを、牧師だけではなく、皆さんとともに明確にして歩んで来たと自負しています。しかし、今年は、改めてその原点を確認するのです。
★ 来週から、朝の祈祷会が再開されます。私どもは、ずっと、8月を休会としてまいりました。来週の祈祷会もなお、暑いことでしょうが、祈り求めるべき課題は山積しています。祈祷会は、個人の霊的交わりを楽しむ祈りのときではなく、「執り成しの祈り」が中心に捧げられます。先々週から、夜の祈祷会の際に、ご好意で停めさせて頂いておりました駐車場が使用できなくなりました。教会では、二台分のスペースしかありませんから、どうすべきか考えています。一台の車で、離れた駐車場まで送迎する可能性もあるかもしれません。日中の仕事を終えての、祈祷会出席ですから、遠くから歩いていただくのは、忍びないことです。近くに駐車スペースが見つかれば、それに越したことはありませんが、なかなか、難しいでしょう。・・・、隣地は、空き地・・・。私どもの教会にとって、この現状は、何を意味しているのでしょうか。「取得しなさい!」との御心であるのではないでしょうか。「少なくとも」、「売却されないように」との祈りは、必要です。(これは、わたしの祈りでした。)さて、これまでもそうでしたが、教会に与えられたさまざまな課題について、私どもが心を一つにして、祈り求めれば、道が開かれてまいりました。祈祷会のための駐車場の必要性。これも、祈祷会の一つの真剣な祈祷課題です。献堂後、わたしどもにとってのいっそうの祈祷課題は、教会設立に他なりませんが、立ちはだかるように与えられる困難を克服す道は、祈りです。私どもの教会は、全会員が祈祷会に出席することを心から祈り求めます。主日朝の祈祷会の時間が取れなくなっているのも、課題です。
☆ 先週から、熱風ではなく、涼しい風が吹いてきました。窓を開け風を入れて、仕事ができました。やはり、仕事ははかどります。夜もまた、窓を開けて、涼しい風を入れながら、眠ることができます。いよいよ、夏も、終わります。皆様の健康が守られ、猛暑の仲でも、主の日を共に祝えたことは、私の最大の幸せでした。