過去の投稿2008年9月12日

8月31日

★   先週の、28日の夜、緑区にも雷鳴とともに豪雨がありました。滝の水は、落雷が激しく、電化製品をパソコン周辺機器を壊された経験がありますので、電源をこまめに切り、だましだまし、動かしました。仕事を終えて、二階に行くと、被害が出ているとのNHKテレビで報道されていました。滝の水は、高台ですが、案じながらおりました。

☆   以前、ノートパソコンの下に、保冷剤をおいてだましながら、使用しているとここに記しましたが、今夏もまた、そのようにして乗り越えつつあります。しかし、さまざまな不具合もあり、いよいよ、買い替えが迫られます。しかし、まだ、動いているわけで、ストレスはありますが、命つきる、一瞬まで?と思います。

★   先週は、久しぶりに説教原稿の印刷ができませんでした。土曜日の深夜、誠兄が週報などの印刷、折の奉仕をしてくださっていますが、いつもは、なんとか間に合いますが、先週は、土曜日の夜、体が動かず、そのまま「アウト」でした。この夏、朝から夜まで、机に向かったままの日々のように思います。不健康極まりない生活を改善しなければ、と思いますが、実行に移せません。しかも、自分のさまざまな限界を、しみじみと思わせられる日々でした。体力そして気力を、聖霊の注ぎによって支えられるようにと、祈りますが、年齢は、年齢です。何より、聖霊は、神の霊であられますから、体と心と理性を持つ人間が、神の理にかなう仕方で、応答しなければ、つまり、なんでもかんでも聖霊にお任せ、解決を求めることは、むしろ、不信仰です。理性的信仰ではありません。反省を求められます。

☆   大会教育機関誌の発行のことは、「大会時報」でも、既に、お読みくださったかと思います。ついに、年末には、1月号が創刊されます。そして、その前に見本誌も発行されます。一昨年、大会教育委員会から発行した「試行版」と比べて、格段にセンスのあるスタイルです。私どもは、現在、中部中会の「改革派中部」を多くの方が購読されていますが、わたし個人の思いは、何よりも、大会の機関誌の購読は、全員にお願いしたいと思います。月、300円です。毎日、大人の聖書日課、さらには、「教会学校教案誌」に収めていた「いのちのパン」も、この機関誌と連動し、掲載されます。その他、漫画、教理の学び、伝道文書も収められ、日本キリスト改革派教会の総力を結集した内容となるはずです。それが、300円ですから、まったく安いと思います。改革派中部誌は、今後、どのようになるのか、委員会はお考えがあるでしょう。しかし、こちらの購読を止めてでも、大会の機関誌「リジョイス」を皆で、愛読していただきたいと願います。三川牧師の聖書日課は、なお、継続して、用いてくださればと思いますが、日本キリスト改革派教会の全会員が同じ日課を用いて、毎日、それぞれ遣わされた場所で、御言葉を味わい、祈ること。その幻は、とても素敵ではないでしょうか。・・・と書きながら、まだ、自分の担当の執筆を何もしていないのです、新たなプレッシャーです・・・。

★   アフガニスタンで、非政府「ペシャワール会」の働きに加わっていた、伊藤和也氏が、殺されました。医師の中村哲氏が始めた民間組織は、現地の人々の大きな信頼と支持を受けておられることは、よく知られていることと思います。それだけに、ついに、この働きにも銃口が向けられたことは、少なくない衝撃を与えました。まさに、日本の誇りのような彼らの尊い働きに対して、メディアや政府がどのように対応するのかを見守りたいですが、いよいよ、武力装備によって、行動すべし、自衛隊の給油活動を再開すべし、などの意見が出るのでしょう。しかし、私どもは、むしろその正反対の結果であると見ます。日本は、既に、米国と一体になって、戦争に参加していると、受け止められても、しかたのない行動を、政府は自衛隊に命じているのです。憲法違反の状況が、現実に続けられていることが、今回の悲劇の真因ではないでしょうか。

☆   韓国のセンムル教会の若い兄弟姉妹が、殺害された事件をも思い起こします。まさに、志高く、主にある隣人としての支援をしていた方々です。今年も、8月、平和についての学びを読書会と祈祷会で重ねました。しかし、私どもの現実は、なおなお厳しいです。一人の年配の兄弟が、読書会で、この現実に悲憤して語られました。「その通り・・・」と、お聞きしました。私どもは、教会として、中国のチベット問題(仏教の精神的中心となる指導者と僧侶への弾圧。これは人権問題であり信教の自由への弾圧です。)グルジアの戦争・・・、などなど。主の平和を実現する道を歩む教会としての発言が問われています・・・。

★  「わたしたちは、神の鉛筆」「神のために働く誇り」・・・、ローマ書講解説教が、なお、終わりません。パウロの誇り、それは、徹底的に神を誇り、神に生きる(用いられる)自分への誇りでした。この誇りこそがキリスト者をつくります。それ以外の誇りを捨てること。逆に言えば、劣等感を持たないこと。信仰の急所です。