★ 先週から朝の祈祷会が再開され、ほぼいつものメンバーがそろうことができました。本当に嬉しいときです。私は、なぜ、祈祷会を重んじるのか。それは、会員が、祈祷会なしには、生きて行けないキリスト者であってほしいからです。つまり、それほど、地上にあって信仰に生きるときには、上からの武装を必要とするからです。キリスト者として生きるとき、週の半ば、共に励ましあう祈りの交わりが求められると考えるからです。祈りなくして、生きて行けるほど、地上の旅路は、平坦ではありません。「神学と伝道とを祈祷の生活において統一することによってのみ聖霊の力あふれる教会として立ちうる」この20周年宣言の言葉を「祈りのしおり」に改めて掲載しました。「聖霊の力あふれる教会」は、すでに9年近く、掲げている標語です。言葉に垢がついたら、終わりです。私どもの教会が聖霊に満たされた教会、聖霊のお働きにあふれる教会、 聖霊に励まされ前進する教会として進むことは、日本キリスト改革派教会として進むことと一つの事です。
☆ 「かなたを目指し」た使徒パウロは、天の声をしっかり聴いていたと学びました。それは、主イエス・ キリストが父なる神に、私ども一人ひとりを執り成していてくださるその祈りの声です。(ローマの信徒への手紙第8章34節)神が義としてくださる宣言を聴いたのです。しかも、一度限りではなく、毎日のことです。 私どもの宣教の力も、祈りの力も、キリスト者の歩み・生活(聖化)のすべてにおいて、主イエスの執り成しの祈りが私どもを支えています。お祈りとは、まさにこの主イエス・キリストの祈りと一つに結ばれることであり、主イエス・キリストとの結合です。交わりです。わたしどもの祈りの究極の課題は、天上の主イエス・キリストの祈りをそっくり真似ることです。主イエスが何を、どう祈っておられるのか、それを地上で祈るのです。そうなれば、直ちにわかることは、「主の祈り」にまさる祈りはなく、主の祈りこそは、わたしどもの祈りの 模範であり、祈りの要です。
★ 信仰の旅路には、-信仰者ではなくとも同じかもしれませんが-試練の連続ではないでしょうか。 しかし、もしも、祈り続けるなら、私どもは倒れても、滅ぼされません。ノックアウトされないのです。どうぞ、いっしょに祈りましょう。悩みの中でこそ、聖霊の執り成しを受けて、呻くように御名をお呼びし、賛美しましょう。一人の生活で、祈りの生活を築いてまいりましょう。祈らないところでは、私どもの信仰の成長も、神を深く知る(体験)することも、起こりません。頭だけの、頭の良い人(?)の生活をしているなら、つまり、神の御業を期待しないで、自分で仕上げようとするだけなら、それは、かぎりなく未信者と近い生活でしかありません。神を神としないのなら、また、神を神として経験することも困難でしょう。祈りましょう。大胆に、御座に近づいて。そして、何よりも共に祈る輪を堅くしてまいりましょう。
☆ 来年は、中部中会設立50周年のときを迎え、50周年記念信徒大会が、名古屋港湾会館で開催されます。信徒大会開催は、中会決議されていますから、私どもも主体的に関心を注ぐ必要がありましょう。わたし個人としては、今回の目玉、それは、全教会が自分たちのビジョンを記し、宣言することにあると考えています。原稿用紙2枚程度で、教会の将来、ビジョンを宣言するのです。当初は、50周年の記念宣言作成のなかに、これらの「教会のことば」をも含んで宣言とする意見もありましたが、残念ながら、そうはなりませんでした。しかし、この企画は、おそらく、教会員全員が、自分たちの教会の歴史を再確認、点検しなおし、どのような将来を展望するのか(神に祈り求めるのか)を、考えることができるチャンスであろうと思います。
私どもは、中会の企てとは別に、自らのこととして、岩の上の歩みの原点を再確認することが、年間計画の中に定められています。それは、来る28日に、全体研修会のなかで行います。岩の上教会とは、いかなる教会であり、いかなる教会であろうとしてきたのか、これは、他の教会、伝道所より明確ではないかとの 自負を持つ者です・・・。しかし、果たしてその自負は、開拓伝道者としてのひとりよがりの自負であるかもしれません。牧師は、教会そのものが、自分の働きの証明です。これは、逃げられません。(牧師の仲間たちでも、自分の仕える教会への嘆きを語ることは、ないわけではありません。赴任前の教会の歴史から、困難な教会であることがあるわけです。)しかし、それでも、5年、10年と仕えていれば、その責任を、過去に求めることはできないでしょう。何よりも、わたしの場合は、前任者がいません!)一種の緊張もあります。そして、謙虚に反省しながら、その足らなさを、牧師や誰かのせいにしても、始まりませんし、基本的には、間違っています。皆で祈り、担って行く以外にありません。
★ 9月、秋を迎えました。しかし、なお厳しい残暑です。夏のお疲れがでませんように!