過去の投稿2008年12月7日

12月7日

☆12月の第一の主日を迎えました。「待降節」(たいこうせつ=アドベント)を迎えて第二の主日を祝います。本日から、マタイによる福音書の講解説教が始まります。マタイによる福音書の第一章を、待降節において読み始めることができるのは、神の不思議な摂理と思わざるをえません。御子なる神が、天から降りてくださったことが降誕です。御子なる神が、もしも、そのままのお姿で現れたなら、私どもは、聖にして義なる神の御前で、犯したすべての罪を裁かれ、私どもは滅びる以外にありません。しかし、父なる神は、御子を、人間として、赤ちゃんとして、あの馬小屋に贈られました。そのようにしてもっとも小さく、貧しく、弱い者、汚れた者の友となってくださったのです。神が人間になられる!永遠の神が、人間性を獲得される!この驚くべき奇跡、奇跡の中の奇跡、この美しいみ業が、2000年前にあのユダヤの寒村ベツレヘムで起こったのです。待降節を迎え、マタイによる福音書の第一章を読み始めることができること、主に感謝せざるをえません。

★4年あまり、150回あまり重ねてまいりました、ローマの信徒への手紙の講解説教は先週、終わりました。この4年あまりの中で、ローマの信徒への手紙を読み続けるなかで、洗礼へと導かれた方が起こされました。当然のことです。福音が語られたのですから。しかし、一方で、その福音は、主イエス・キリストというお方そのものの人格と事業、その教えそのものを取り扱うものではありませんでした。それに対して、福音書!これは、新約聖書の一番最初に収められ、四人の著者たちがそれぞれの視点から、主イエス・キリスト御自身を描きだしたものです。その意味では、いにしえより、教会は、福音書を学ぶことを、教会の説教にとってまさに、基本中の基本、最も大切で、中心的な事柄としてまいりました。

☆「マタイによる福音書」は、ユダヤ人キリスト者たちを対象に、書きしるされたものです。著者のマタイは使徒です。12弟子の一人です。かつては、徴税人であった人物です。彼もまた、使徒パウロが描き出した福音の真理を知っています。使徒ペトロが説教した福音を知り、自分の福音、先週の説教で学んだ通り、「わたしの福音」として、主イエス・キリストの福音、神の福音を知っています。それを、聖霊の完全なる支配と導きのもとで、しかし、自分の福音としてここに福音書を教会に提示したのです。私どもは、今朝から、この福音書を通して、三位一体の神、父と子と聖霊において生きておられる唯一の神を礼拝します。名古屋岩の上教会の15周年以降の歩みは、この福音書がつくり、導くと言っても過言ではありません。大きな期待をもって、み言葉を聴き、従ってまいりましょう。

★いったい、何回、何年にわたって説くことになるのか、今回も、無計画で始めます。しかし前回も、神の導きは鮮やかで、私どもの思いを越えて、働いて下さり、最善へと導いて下さいました。「福音」の書なのですから。私どもは、これまで、マルコによる福音書、ヨハネによる福音書を学んでまいりました。

☆昨日は、恒例の子どもためのクリスマス集会、「イエスさまのお誕生会」を開催いたしました。今回は、何と言っても横浜から腹話術を用いて、福音を見事に語ってくださった○○姉のご奉仕に感謝いたします。福音伝道のために、志を立て、腹話術の師匠に入門され、修練を重ねられたのです。かつて、石川姉が東部中会の機関誌に記された日曜学校に関する文章を拝読しました。我が意を得たりでした。しかし、一人の教師として、どれだけ日曜学校教師の「訓練」を施してきたのか、問われ続けます。また、中部中会の日曜学校委員会でも、教師の研修プログラム、訓練コース設置の要望にこたえられていません。先週、小学校の前に行き、2~3年生の子どもたちに、チケットを配りました。素朴な、かわいい子どもたちに、なんとか、主イエス・キリストへと連れてゆきたいと新ためて思わされました。皆さんと力と賜物を集め、日曜学校伝道の働きに邁進したいと願います。立案、準備くださった日曜学校教師の委員たちに、一人一人の奉仕者に、心から感謝いたします。また、この場を借りて、教会学校教案誌の発送奉仕を担ってくださる皆様にも、心から御礼いたします。日本キリスト改革派教会で日曜学校をなしている多くの教会、伝道所への発送作業は、大会的な奉仕と言っても過言ではありません。主の祝福が豊かにありますように。

★先週は、○○兄の手術のために、祈りを集めました。何度か、見舞いましたが、なおなお、祈りを集めましょう。