★2008年、最後の主日を迎えました。ここまで導いて下さいました三一の神に心から感謝致します!
そして、皆様の主にある奉仕と献身に感謝いたします。 平和の神が皆様と共におられますように!!
☆先々週の朝の祈祷会、また先週の夜の祈祷会、また先週の降誕祭の愛餐会で、今年一年の歩みが分かち合われました。(私どもの交わりが、霊的な交わりとなっていることを心から感謝いたしました!)伝道所委員会でも、常に、真剣に祈り、考えていることがあります。名古屋岩の上教会は、「聖霊の力あふれる教会」を希求する教会、つまり祈祷会を重んじる教会です。キリスト者一人一人が、み言葉を正しく聴いて、従い、成熟した信仰の判断に基づき、主に従い行くことができるキリスト者となるために、個人の祈りの生活はもとより、何よりも集まって祈ることを、今日まで真剣に求めてまいりました。ただし、現実的に、朝・夜の祈祷会に出席できない仲間たちがおられることを知っています。しかし、それでもなお、わずか一分でも、 教会堂に足を運び、執り成しの祈りの輪の中に入ることが、本人はもとより、教会の交わりを形成する祝福の鍵です。それでも、どうしてもかなわない方々のためには、主日礼拝式の前のわずかの「祈祷会」があります。(ただし、日曜学校教師会で、触れたことでしたが、先の、牧田吉和牧師の中部中会での講演(「説教の変革について」)のなかで、「牧師が、日曜学校の説教をすることは、説教者の集中力を削ぐ。日曜学校の説教の後、最低、30分は 静まる時間を設けるべき・・」の言葉に、自分自身反省させられることも、あったのです・・・。 その意味では、自分の説教のことを考えれば、無謀なことです)しかし、私どもの教会は、現住陪餐会員は、【礼拝と祈祷会】を重んじることを誓約し、それを重んじながらここまで来たのですから、平日、仕事や学校で出席がかなわない兄姉のために、これを止めることはできません。
★先に開催された中部中会の第二回定期会の後の宣教教師たちの集いの中で、一人の教師が、言いました。「今年は、一年の中で70日余り、教会を留守にした・・・」大きな反響がでました。ある教師は「そんなんでは、伝道などできないではないか」と。私も、彼が、忙しく奉仕しておられるのは、分かっていましたが、「それほどまで・・・」と同情致しました。ところがです。家に戻り、「それなら、自分は、どうなのだろう」と手帳を開いてみました。牧会する群れ以外の働きのために、外に出たのは、ざっと88回!中部中会の諸委員会、そして諸会議、そして大学や浜松、社会館などです。正直、これほどまでと思いました。外に出るのは、数時間から、泊まりがけまでさまざまです。しかし、準備をする時間もまた必要なわけですから、相当量の時間を費やしているわけです。伝道についての批難、批判は、私自身甘んじて受けなければなりません。何よりも、愛餐会でも申した通り、教会員にきめ細かな指導や配慮、牧会において不十分であったことをお詫びしなければなりません。
☆しかし、言い訳に受け止められるかもしれませんが、同時に、今年、いよいよ開拓伝道の何でも牧師(夫妻)に頼り、任せる仕方ではなく、自分たちでしなければとの危機感も、二人の伝道所委員を送り出したことによって加速して、芽生えられた事実を感謝いたしております。二人の新しい委員方が召しを受けて、立ち上がられたことにもはっきりと見えています。昔は、祈祷会のテーブルのセッティングですら、わたしがしていました。しかし、もはや「今は昔」となりつつあります。来年度、いよいよ、この歩みを進めていただきたいと願います。教会の年間計画、事業は、何から何まで、(牧師に相談しながら、指導を受けながら!)会員の手で担う歩みです。私自身、「限界」です・・・。これ以上、教会外の働きを増やすことは、不可能です・・・。しかし、同時に、「わたしがやらなければ誰がやる・・・」という性格の働きも少なくないのです。
☆伝道牧会開始20周年の今年、伝道所委員会では、年間計画の中で「研究休暇」をとることになっていました。蓋をあければ、これまで以上の激しい一年でした。来年、充実した、深みのある、霊的な奉仕を、 情熱を込めて捧げることができるように・・・、皆様のさらなるお祈りとお支えをお願いいたします。一方で、愛餐会の折、○○兄が、「名古屋キリスト教社会館」のことを、仰いました。やはり、やめるやけにはまいりません。「大学」のことも、先週の礼拝出席者を思うだけでも、やめられません。浜松伝道所の代理の働きも、今年度後半、時間と祈りを注ぐことが少なくありませんでした。体と時間が欲しい。
★今年の最後のクリスマス集会は、中高生クリスマス。牧師館で25日、○○委員、○○姉の奉仕を受け、開催。多くのお友達を誘いましたが、中々、スケジュールが合わず。しかし、金城中の子たち(8人)がほとんど勢ぞろい!楽しいときでした。