過去の投稿2009年1月11日

1月11日

★先週の朝夕の祈祷会は、新年の教会生活の抱負を分かちあいました。とても幸いな恵みのときでした。朝夕に出席できるわたしは幸い!です。皆さんお一人おひとりの言葉を、紹介したいほどです。教会の言葉を読んでいただいて、自分の教会生活を改めて問われた方もおられました。日曜学校伝道・・・。トヨティズムと教会のディアコニア・・・。炊き出し・・・。最も若い兄弟は、年配のキリスト者の「ど根性!(福音的な表現ではまったくありませんが!)に励まされます」とも。それは、「礼拝、祈祷会、読書会」を休まないということです。これは、荒立てて言うこともなく、私どもの教会の基本線です。生命線です。しかし、それを徹底的に守ろうとなさることに、教えられ、励まされたのでしょう。そしてそれは、牧師である私こそです。教会の言葉に「誇り」と刻みました。家内から、他教会の方からどんな風に、見られるか・・・。」つまり、威張っているようなニュアンスを嗅ぎ取ることもあるからです。しかし、個人的には、やはり「誇り」ではないかと思うのです・・・。お互いを誇りとする教会です。もとより、それは、神を誇る故のものです。

☆先週、この欄に記した教会の言葉は、当日の委員会での懇談の折の委員方の感想を踏まえて、第二案として練りました。すでに、朝夕の祈祷会でも皆さんに発表し、読んで頂きましたが、この欄でもご紹介いたします。1000字から800字へと主に形容詞を必要最小限にしました。結びを祈りにした他は、変わりありません。そもそも、この言葉は、私どもの現実の姿を切り取っているものです。「単なる作文」ではありません。ですから、骨格を動かしたり、鍵の言葉(特に下線を記したもの)を削除することもできません・・・。よりよき「言葉」を会員全員で織りなすためになお、ご意見をお聞かせ下さい。

「教会の言葉」(牧師第二案)

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」との主イエス・キリストの約束に立ち、 「ここに神の教会を、ここに聖餐を囲み、キリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させて下さい。」との切実で真剣な祈りの内に開拓伝道を始め、やがて「創立宣言」に共鳴し、「聖霊の力あふれる教会」の形成を自らの課題としてまいりました。

神の民の祈りの家である私どもは、徹底的に主日礼拝式を正しく捧げることに励みます。教会は、「御言葉によって絶えず改革される」からです。生ける神は、今ここで語られる御言葉の説教に正しく聴き従い、目に見える御言葉である聖餐の礼典を真実に受領することにおいて、私どもの間に神の国の力を現わされます。主が再び来られる日まで、生けるキリストと天上の礼拝に結ばれ、神の命と喜びに満たされ、兄弟姉妹に慰められ、愛の絆で結ばれて行きます。また、学びの家である私どもは、そのために全力を注いで週日の祈祷会や読書会を重んじ、教理体得の道を進みます。

キリストの福音によって救われた私どもは、神の国の到来を告知する伝道に、教会を挙げて献身します。伝道こそ、教会の存在理由だからです。私どもは、この町に住むすべての人々に   平和の福音の種をまき、収穫にいそしみます。また、目を挙げて世界の現実を直視し、教会の   ディアコニアを担い、隣人となる努力を始めます。とりわけ子ども達への伝道、キリストの主権と人間の尊厳を破壊する動きに対する戦いを、重大な責任と自覚し、霊的、実践的な訓練を受けることを喜び、課題とします。

15年の歩みを振り返れば、祈りに応えて下さる神の恵みの勝利は鮮やかです。日本キリスト改革派教会名古屋岩の上伝道所の会員であることは、私どもの誇りです。しかしなお、道半ばです。父と子と聖霊の御神よ、克服すべき課題を示し、一日も早く経済的自立と教会設立へと導いて下さい。ただ神の栄光のために。

★今年、私どもは、開拓伝道開始第15周年の特別のときを迎えます。そして、まさに特別の年、歴史的な節目にすべきと委員会で考えています。今年の大きな目標は、「経済的自立と教会設立への大きな一歩を踏み出す」ことです。私の提案ですが、経済的自給を目指して、20周年には、援助を辞退すべきではないでしょうか。中部中会から援助を止められるのではなく、辞退するわけです。祈祷会でも申しました。一週間の宿題として、本日の臨時委員会で決議します。他の伝道所のことを思いますと、建徳的ではないとの思いもあります。総合的な知恵深い決断が求められます。但し、少なくとも私ども自身の気構えとしては・・・!