★ 先週、十数年ぶりに中学校以来の「親友」に再会する恵みにあずかりました。わたしの洗礼の証、救いの証には必ず登場する兄弟です。なぜなら、大学生2年生の春休み、洗礼を受けた日本基督教団田浦教会(横須賀)を最初に訪ねたとき、彼が一緒だったからです。集会案内に、「聖書の学びあり、牧師に相談されたし」というような言葉がありました。そこで、「『ローマの信徒への手紙』を読んでいるのだが、よく分からないところがあるので、教えてほしい。」と高飛車な態度で、教会の扉(もしかすると牧師館の玄関・・・?)をたたいたのです。一人では、いささか怖かったので、彼を誘ったのでした。大学は北海道に渡り、手紙のやりとりをしながら、聖書やキリスト教についての議論もしました。二人で貧乏バイク旅行を何度もして、楽しい思い出がたくさんあります。その一方で、わたしの中には、人生の悩みについて、どうしても聖書の神と対決する以外にないとも思っていました。鼻をかんで捨ててしまった聖書を、もう一度読み直していたのです。春休みも終わり、彼は北海道に戻りますが、わたしは、続けて牧師とのマンツーマンの学びを継続します。そして、9月15日を迎えます。その日、決定的な回心の経験、救いの確信が与えられたのです。その年の降誕祭、洗礼を受けました。彼もまたまもなく日本基督教団札幌北光教会に通い始めます。一年後、洗礼を受けたのです。中学2年生からの大親友が、信仰の友にもなったのです。それは、まさに大きな喜びでした。しかし、神学校に入り、自由時間はほとんどなくなりました。牧師になってからも、会うチャンスを逸してしまいました。彼は、「獣医」となり、茨城県に就職。わたしは名古屋での開拓伝道へと離れてしまいます。本当は、もっと頻繁に会って、話をすべきであったと悔やみます。わたしの状況もまたゆるしませんでした。しかし、先週遂に、名古屋国際会議場での「細菌学会」に出席することとなり、再会の時を迎えました。
★ 現在彼は、京都大学で学位をとり、大いに活躍されています。かなり昔、母から「テレビで○○君を観たよ。すごいねぇ。」と電話がかかってきました。(今も、ときどき、映るとのことですが、むしろ、部下が取材に答える役割を担うそうです。)それは、わたしにとっても大きな喜びであり、誇りです。一緒に、思春期を遊び、話し合い、過ごした友です。キリスト者になる前のわたしのこと、誰よりもよく知っている彼です。
☆ シモンとアンデレは肉親の兄弟でした。「わたしについて来なさい」との主の招きを受けて、使徒とされ、教会の仕え人とされ、人間を取る漁師となったのです。わたしは20歳、彼は21歳のとき、私たち二人もまた、主イエスについて行ったのです。牧師と信徒ですが、しかし、それぞれ献身の道を進んだのです。(私とは違い)彼の活躍ぶりは、誰もが認めるものです。これからも研究者としても活躍されるように祈り、期待します。中学校、高校、大学と友として過ごした彼を、率直に申しますと、「スゴイ」と思います。そのすごさとは、他ならない、主の恵み、信仰の祝福のすごさでもあると確信します。彼とは、比べられませんが、わたしももしも、あのとき、主イエスについて行かなければ・・・、考えるだけで背筋が寒くなります!「今あるは、 ただ神の恵みのみ!」これは、本当のことです。福音の恵み、救いの恵みの重さをいよいよ思わされます。それだけに、この福音を伝えるべきことの使命と責任を思います。これにまさる奉仕もないと信じます。わたしもなお、コツコツと主の道を歩み、神と教会に仕える道を進み行きたいと改めて思わされました。
★ 本日、彼は、宣教師不在の故、「講壇」の奉仕に立たれる由、家族をあげて教会に仕えておられます。
☆ 本日、臨時伝道所委員会を短く持ちます。中部中会の伝道委員会から「援助金」についての事柄です。皆様には、まだ、内容をお伝えできませんが、「中部中会伝道委員会」の意向は、私どもが考えるはるか以上の速さでの経済的自立が要請されているようです。このような時こそ、これまでの教会の歩みが問われます。ここでこそ、「主について行く」献身と平和がいよいよ私どものものとなるようにと祈ります。
★ 4月6日~7日に開催される中部中会定期会は、恵那教会が会場です。ホテルを予約していましたが、伝道所の教師を教会堂で宿泊させるという姉○○ご夫妻からの提案を受け、お願いすることとしました。「緊縮財政」のためにも、ありがたいことです。
☆ 先週、○委員と○兄とで、新しい「カテキッズ」が開催されました。滝の水公園に出かけ、契約の子たちとそこにいた子たちとドッジボールを楽しみました。私も仲間に入れてもらいましたが、皆、とても上手でした。日曜学校への道は、なお遠いかもしれませんが、主に、期待しましょう。詳しい報告は、礼拝後に。
★ 海上自衛隊が、遂に、ソマリア沖に派兵されました。憲法を真っ向から否定する、武器の使用、つまり武力行為が伴う派兵です。いつか戦死者が出て、彼らは靖国神社へと祭りあげる・・・。恐るべき狙いです。