過去の投稿2009年5月24日

5月24日

★  先週は、一泊二日で、中部中会教師会が、第二回日韓牧師合同セミナーとして「福音宣教の喜びに生きる信徒の教育」を主題として、行われました。宣教協力関係にある高神派の東釜山老会(=中会)より、5名の牧師たちが来日され、それぞれの教会教育についての発表がなされました。高神派は、韓国の中でも、おそらく教会教育に特に熱心を示しておられ、教団発行の教育機関誌は、他教派でも用いられているとのことです。現物を拝見して、日本のどの教会学校教案誌よりも、魅力的な装丁です。おそらく中身は、さらに充実したものであることは、疑いの余地はないと思います。そのプログラムの整備たるや、日本キリスト改革派教会とは、雲泥の差があります。というよりは、私どもの教会では、そのようなプログラムは、ほとんど皆無の状況です。例外を挙げるとすれば、僭越ながら、私どもの立ち上げた「教会学校教案誌」のみでしょう。

☆  日本人牧師たちは、ただただ、整った教育プログラムに圧倒されたようでした。引退間近の一人の教師が、「悔い改めて、もう一度、残りの日々、教会員教育に励みたい」とおっしゃいました。ある教師は、「日本(日本キリスト改革派教会)の教会教育の方法は、「研究的教育方法」で、韓国は、「実際的、訓練的教育方法」ではないか」と発言され、まったくその通りと思いました。研究的とは、じっくり対話するような仕方で、その人に適した仕方で、真理に導くということでしょう。それに対して、実際的、訓練的とは、きちんとカリキュラムを整え、プログラム化し、一体多で、教育する方法です。これは、現実問題として、日本では、求道者を導く場合、多くが複数ではなく、マンツーマンでするのが一般的です。洗礼入会志願者教育もまた、マンツーマンです。私自身は、皆さんと、「子どもカテキズム」をテキストにしながら、まさにマンツーマンで、一年程(洗礼後も含めて)かけて学びます。そのような教育方法ですが、韓国は、何十人という方々が一気に洗礼を受け、そして、会員として身に付ける実際的、教理的学びがクラスを設けて、始められます。執事のためのクラスがあります。長老任職のためには、最後には「試験」が課されて、一定の基準が明確化されます。

★  発題された牧師たちは、いずれも1000人余りの会員を有する牧師でした。250名の教会から、10年あまりで1500名になられた教会もありました。ひとりの先生は、「自分は、教会のために献身している、死ぬことも・・・、韓国の牧師(高神派)たちは皆同じであると思う」と語られました。神の権威に満ち、確信にあふれて、喜んで信徒教育、弟子訓練に励んでおられる姿に圧倒されました。「韓国では、大統領でも、教会に来れば、牧師の指導に服すのですよ」と教えて下さいました。日本の牧師たちが置かれている状況との余りの違いです。確かに、牧師の資質、献身の問題があります。ただそれだけでは片付きません。日本の状況は、固有です。そこに、韓国の先生たちとはまた違った、戦いがあります。おそらく成長しない日本の教会を不思議に思って、歯がゆく思っておられるかもしれません。私どもは、日本における教会教育を改めて再考し、反省し、「再献身」(このような表現をされた日本の牧師もいました)すべきです。しかし、私は、これまで通り、マンツーマンでの教育が基本であるとの姿勢に揺るぎはありません。しかし、実際的訓練の課題は明白です。だからこその今年の「読書会」(個人伝道)を設けるのです。

☆   先週、「報告」の欄に死刑囚への減刑嘆願書のことを記載しました。実は、( )として記載予定でした。口頭で、「これは、牧師個人のことです」と付け加えたのは、そのためでした。しかし、今は、反省し、「通信」に記すべきであったと思っています。教師会で、「減刑嘆願書」に記名されたり、教会に持ち帰って下さった方もおられます。先週、頂いた嘆願書ではなく、自分の言葉で嘆願書を記しました。賛同者の方だけ、ご記名下さい。(必要の方は牧師まで)「裁判員制度」の問題点については、スペースがなくなりましたのでさらに次回・・・。「信徒の手引き」の執筆には、対社会、世界の課題に切り込まねばなりません。押しつぶされそうなストレスを経験し続けています。なお、お祈りください。

★  名古屋地区四教会の合同修養会の主題は、家族伝道。私は、家族の初穂でした。牧師となってから、母、兄、父、義姉へと信仰が伝わりました。家内も、祖父母へと・・・。御言葉を信じて、祈るのみです。