過去の投稿2009年6月27日

6月14日

★  先週の説教、また牧会祈祷でも、アッシジのフランシスの祈りを用いました。八福の教えを語られた主イエス・キリスト御自身こそ、この幸いを完全に生き抜かれたまさに「幸いな人」でした。主イエスを礼拝しながら、同時に、教会の歴史の中で、この山上の説教を素朴に生きようとして大きな働きをなした人々の中で、とりわけアッシジのフランシスのことをも思い起こされました。先週、「ブラザー・サン シスター・ムーン」というDVDを買い求め、視聴しました。1973年に製作されたもので、中学生のとき、主題歌を聴いて、良い歌だなと思った記憶があります。その後、テレビであったか、この映画を見ました。おそらくキリスト者になる前のことであったのではないかと思います。裕福な商人の子として生まれた彼は、戦争に参加し、病に倒れて戻ります。そこから、救い、新しく生まれる経験をして、主イエスにならって「清貧・シンプルライフ・質素な生活」を生き始めます。何よりも、1206年イタリアのアッシジで、廃墟となったサンダミアーノ礼拝堂を再建することを、神からの召しと受けとめて、働き始めます。それは、当時の教会改革運動ともなりました。今回、あらためてこの映画とフランシスに感動致しました。子どもたちに、ぜひ、観てもらいたいと思いました。2時間ですから、集中力がいるかもしれませんが、家族でご覧になることもお勧めです。

☆  ローマ教会の歴史の中で、おそらくもっとも美しい物語の一つとして、このフランシスの働きを描き出すことができると思います。彼は、神の言葉を素朴に(一途な心で、心の清さ)従っただけでした。その意味で、特別な人ではなく、キリスト者のモデルです。16世紀に始められた教会の改革は、聖書のみ言葉を神の啓示として受け入れ、「聖書全体」から、「聖書のみ」によって教会を建てるところから始まります。聖書を記された神の言葉、文書啓示として、「絶対の基準」として受け入れるわけです。ウェストミンスター信仰告白第1章「聖書について」は、その意味で、鮮やかに改革派神学、信仰の拠点を明らかにします。これ以外に、真実の教会改革はありえないとしているのです。フランシスコの改革運動と私ども教会改革運動(いわゆる宗教改革運動)とは、この点において明瞭な違いを持ちます。しかし、その300年前に彼らの運動が起こったこと、大きな実りを結んだこと、今もこの修道会が存在し、活動していることの中に、神の霊の導きを認めざるを得ません。補足すれば、新しい教皇ベネディクトゥス16世は、改めて、第2バチカン公会議で告白された「啓示憲章」を強調しているようです。これは、カトリック版の聖書に帰ろうとする運動です。

★  伝道所委員会で上半期を振り返り、確認したことは、新来者(大学生や他教会の会員を含まず)が名、家族であったという驚くべき事実です。伝道新聞で導かれたのでした。伝道困難な時代であると言わざるを得ません。日曜学校伝道についても、数年前の私どもは地域の子どもたちでいっぱいだったのです。しかし、今は、契約の子たち中心です。

★  次主日は、講壇交換です。「中会が教会である」「中会なくして教会なし」という言葉は、加入前に何度も申しました。渡辺信夫先生の講演において、中部中会加入を勧められた理由も、中部中会が機能しうるとの判断でした。ただし、外から見るのとは、かなり違います。しかし、それは、折り込みずみで加入したのでした。名古屋岩の上教会と小さな私がどれだけ、貢献しえたのか、それが問われるはずです。今年度の目標を改めて祈り求めてまいりましょう。
☆  WHOが、新型インフルエンザの危険性を最高段階(パンデミック・世界的大流行)までひきあげました。委員会で協議しておりませんが、主日の礼拝式は、どんなことがあっても、捧げるべきです。私が罹患した場合は、説教原稿の朗読をしたり、とにかく、み言葉の説き明かしをして礼拝を捧げます。ただし、会員と地域社会の安全を守るために、さまざまな角度から検討し、工夫すべきでしょう・・・。今年の秋冬までに・・・。