過去の投稿2009年6月27日

6月28日

★  先週は、中部中会一斉講壇交換として瑞浪伝道所の杉山牧師が、説教奉仕をしてくださいました。良き説教をしてくださったことを心から感謝しています。テキストは、降誕祭に読まれる箇所でしたが、わたしが桑名でさせていただいたのは、今年なした伝道説教を土台としています。この時期に講壇交換をするという一つの理由は、大会役員修養会で教会を留守にして、説教準備の時間がふだんよりとれないという事情もあるかもしれません。しかし実際は、杉山牧師もわたしも、子どもの教会(日曜学校)の説教も担いました。聴き手は年齢の幅のある初対面の子どもたちです。本当に、緊張し、相当の準備を要します。しかし、その出会いの中で、お互いに新鮮な思いの中で、み言葉に耳を傾けることができ、よき説教聴聞経験が与えられます。説教者にとって、お昼を共にしながら、受けた恵みを語って頂くのは、もっとも幸いなひと時です。

☆  先週は、大会教育委員会で各委員が草稿をだした「信徒の手引き」について、協議しました。皆様には、朝夕の祈祷会で「ナマ」の「草稿」を読んでいただきました。「論旨」をそのまま文章にした、ゴツゴツしたものをお目に掛けてしまいました。それは、ぜひ、皆さんのご意見を伺いたいからです。手の内を明かせば、2週間くらいで、一気に書きすすめたものです。もとより、牧師のための祈祷課題のなかでも「信徒の手引き」執筆についてお祈り頂いていたわけで、ずっと心の中に重くのしかかっていました。それなりの準備もしていました。夜の祈り会で、出席者の率直な意見を伺いました。予想通りでしたが、とても貴重なものでした。祈祷会ではしばらくこのような形で学びを進めたいと思います。特に、8月は、夜の祈祷会や読書会でと
思います。

★  わたしの担当する箇所、教会員の倫理、具体的な生活指針、行動原理の手引きを書くことは、実は、「信徒の手びき」にとって、最も困難な部分です。人と人が意見の一致を見ることは、親子でも夫婦でも大変なことと思います。教会にとって、み言葉の釈義の一致も容易なことではありません。いわんや、社会の諸問題についてをや、です。しかし、大会教育委員会は、40年間、改訂してこなかった「手引き」の発行を公にしています。そこに踏み込むのです。すばらしいことであり、逆に言えば、遅すぎたかもしれません。教会の中で、皆さんの意見を反映させながら原稿をつくることができたら、それは、実にすばらしいことではないでしょうか。それは、私どもがどのような交わりを作ってきたのか、目指しているのかをも反映させることとなるでしょう。下記は、書き改めた第4章第1節の抜粋です。下線部分は、まさにわたし自身のことです。

☆  「【建徳的に】
ですから、自分の意見や考えを述べることは大切なことです。しかしその際、大前提とすべきことがあります。  
 第一に、お互いに平和の絆で結ばれたキリストにある兄弟姉妹であることを信じ、キリストの体なる教会を建て上げる志をもって、建徳的な発言をめざすことです。
第二に、「互いに相手を自分より優れた者として考え」ることです。(フィリピの信徒への手紙第2章3節)常に、教会の仲間たちと共に学ぶことです。長老たち、とりわけ説教者である牧師の指導に心を開き、耳を傾ける姿勢を保つことです。
第三に、真理の前にはいつでも自説を修正し撤回する謙虚さを持つことです。つまり、自分の意見を絶対化せず、「教えられよう、変えられよう」とのやわらかな心を保つことです。
最後に、「霊は一つ」、「主は一人」(エフェソの信徒への手紙第4章1節以下参照)であることを信じ、一致が与えられることを忍耐深く待つことです。たとい、生きている間にかなわなくとも、完成された神の国においては、すべてのことが明らかにされ、完全なる理解と一致が与えられます。
私たちは、「真理の柱であり土台である生ける神の教会」を建て上げるために、「愛に根ざして真理を語り」論じることのできる成熟した教会をめざしてまいりましょう。そのために第一の責任を負うのは、教会を治める務めにある者たちです。彼らこそ、信徒の声によく耳を傾ける姿勢が求められます。それは、十分な学びと理解のもとに、教会としての倫理的態度を大胆に表明することは、教会にとって生命的に重要な社会的責任だからです。」  

今、お一人おひとりが15周年記念誌の原稿に向き合っておられることと思います。文章を書くことの難しさに直面しておられることと拝察いたします。聖霊の導きが豊かでありますように!

★  本日は、中断しておりました「個人伝道」について学ぶ読書会です。半年ぶりとなるでしょうか。あらためて伝道とは何かを、聖書から、神学的にきちんとおさえます。そして、そこから正しい実践、燃えあがるような愛の力に基づく、伝道がなされてまいりますように・・・。